第2章 翡翠と黒曜石③
一刻後、宿の前に馬車が止まっていた。
二頭立ての箱型の馬車だった。エルディンの紋章はないし、飾り気もなく、質素だ。だが、車体は丁寧に塗装されているし、造りもしっかりしている。見る人が見ればいい馬車だとすぐにバレそうだ。
御者台に男が一人。もう一人が馬に乗って脇に控えている。どちらも目立たない格好だったが、あの剣は安物じゃない。
先ほどのエルディンの格好を考えてもどこかへの公的な訪問というわけではなさそうだが、最低限の護衛は連れて行かざるを得なかったのだろう。全く、身分の高い人は移動すら大変だ。
「荷物は後ろだ」
エルディンが短く言った。御者が荷台を開け、アルティとリンの旅荷を受け取ってくれた。と言っても大した荷物はない。野営用の荷物が少し嵩張る以外は。
アルティは弓と矢筒と短剣を手に持ったまま、馬車の扉を開けた。
中は向かい合わせの座席が二列。
「こっちに座れ」
エルディンが進行方向側の席に座り、隣を叩いた。まあ、リンを隣に行かせるわけにもいかない。
「リン、ごめん、向こうの席で。荷物も置いていいから」
リンは頷いて、向かいの席に座った。アルティの弓と矢筒を受け取り、自分の横に立てかけた。
アルティがエルディンの隣に収まると、扉が閉まった。
御者台から短い声がかかり、馬車が揺れ始めた。
「……あれ? なんか……あんまり揺れないね?」
すぐにアルティが異変に気づいた。
石畳、整備された道の上を走っているとは言え、明らかに揺れが少ない。
「あまりに乗り心地が悪いから工夫できないかと思って、魔道具の試作をして試しているところだ」
「え、そんな魔道具があるの?」
「試作だ」
「でもかなり揺れないよ、すごいね!」
「——これは、車輪周辺に風を起こしてる?」
リンが呟いたので、エルディンはリンに向き直った。
「ご名答。車輪というか、進行方向に風の層を作って、それに乗る感じだな」
「それだと、舗装されてる道はいいですが、それ以外は厳しそうですね」
「泥水の上は全く役に立たんだろうな」
「でも、かなり魔法効率が良さそうですね。これならそこまで大きな核晶も必要ない」
「そうなんだよ。これなら車軸自体に仕込める。ただ、持続時間が——」
「あのー、盛り上がってるところ悪いんだけど、私を置いてけぼりにしないでくれる?」
アルティが手を広げて二人の会話を止めると、リンとエルディンは、咳払いをした。気まずそうだ。
「仲良くしてくれるならそれに越したことはないんだけど、自己紹介と仕事の話を先にしない? 内容によっては飛び降りなきゃいけないし」
「アルティ」
「だって、ヤバい内容なら逃げるよ、私」
エルディンは小さくため息をついた。
「——わかった。まず、改めて自己紹介だな」
エルディンはリンに向き直った。
「エルディン=オルディアスだ」
「……オルディアス?」
リンの眉が少しだけ動いた。
「なにか」
「いえ……ええと、それは、この国の王族、ということですか?」
「王位継承権は一応あるが、名前だけと思ってくれていいし、敬語も不要だ」
リンは一瞬、目を瞬かせた。それからアルティを見た。アルティは小さく頷いた。
「……なるほど」
「驚かないんだな」
「いえ、驚いてますよ。ただ、なるほどと思いまして」
「なにがなるほどだ」
アルティはリンを見て瞬きを増やした。変なことは言うなよと必死で目で圧力をかける。
「——いえ、まあ、雰囲気が」
リンの曖昧な返事に、エルディンは怪訝な顔をしたが、追及はしなかった。
「それで、王族がなぜアルティさんの『上司』なのかは、教えてほしいんですけども」
「あー、えーとね……」
リンは本当はアルティが審問官で、その「上司」であることは察しているはずだ。けれど、そのことを知らないと言うフリをしつつ「上司」と呼ぶのはなぜか、ということが言いたいのだろう。
「私は、この人に私的に雇われてる冒険者なんだよね」
「ただ、関係と言われると事情がややこしくてな……」
「いろいろ面倒だから『上司』って説明してるの」
「なるほど」
リンは穏やかに頷いた。わかってくれたのかどうかはわからない。どちらにしろ、本当に説明がややこしかったので、引いてくれて助かった。
「——で、エルディン。そろそろ教えてよ。北ってどこ? 何しに行くの?」
アルティが膝の上で手を組んで、隣のエルディンを見上げた。馬車に乗ってからずっと聞きたかったのだ。
エルディンは腕を組んだまま、少し間を置いた。リンがいる場でどこまで話すか、測っているのかもしれない。
「——グラニスだ」
「グラニス?」
アルティは聞き返した。どこかで名前は聞いたことがある気がするが、すぐには出てこない。
「北にある鉱山都市ですね。山脈の麓の」
リンが補足した。アルティは「ああ」と手を打った。
「そうだ、鉱山の。行ったことないけど」
「——そこの領主家に、用がある」
「用って?」
「縁談だ」
アルティの手が止まった。
「……縁談?」




