第1章 問題のある相棒①
2話開始します。お付き合いいただけますと嬉しいです。
夕刻のレンスティアは、一日の終わりに向かう街らしく、気怠さに包まれていた。
大通りから一本奥に入った通りにあるこの宿屋兼酒場は、もうすでに夕食目当てにやってきた人たちでいっぱいだった。客の多くは冒険者だ。食事の並んだテーブルに立てかけられた剣や弓。なかなか物騒な光景だ。
アルティは、目の前の皿をフォークで突きながら、向かいの席に座る男の顔を眺めていた。
リン。
出会ってから、もうどのくらいになるだろうか。まだ秋口だったから、三月ほどは経った。
乳白色の長衣に青鈍色のマント。一見して魔法使いとわかる装いだ。
緩やかに波打つ金の髪を後ろで低く束ねている。
薄暗い酒場の中でも、この男の周囲だけ空気の色が違って見えるし、通り過ぎる人が振り向くのにももう慣れた。知らない人にもよく声をかけられる。美形には美形の悩みがあるんだろうな、とアルティは人ごとのように思った。
相変わらず、こんな場所に似つかわしくない男だった。
いや、どういうところが似合うかと言われても思いつかないのだけども。
「……昨日は疲れたね」
アルティが言うと、
「そうですね」
とリンが飄々と言った。
アルティはため息をついた。
「誰のせいで……」
*
時は昨日の昼に遡る。
レンスティアの北西、街道が谷を渡るところに、古い石橋が架かっている。
そこそこ大きな橋だった。馬車が通るのに苦労しないほどの幅と強度がある。
両側の崖は切り立っていて、谷底へ降りて対岸へ行くのはかなりの労力を要する。
この橋の崖に、大蝙蝠が棲みついた。
大蝙蝠は夜行性の魔物で、翼を広げると人の背丈ほどにもなる中型の魔物だ。一匹であればそこそこ腕の立つ護衛がいればなんとかなるだろうが、群れで襲われれば馬車ごと引きずり落とされかねない。
迂回しようにも、大きく道を逸れて南のレンスティアに向かうか、それか北方のここより更に危険といわれる街道を通るか——でなければ、谷底に一度降りて川を越えるしかない。なんとも厄介なところに住み着いたものだ。
なんとか群れを追い出してほしい、それが冒険者ギルドに出された依頼の趣旨だった。
石橋の上から下を覗き込み、アルティはすぐに顔をしかめた。
崖の岩肌に、黒い塊が張り付いているのが見える。一匹、二匹……十を超えたところで数えるのをやめたが、二十くらいいそうだった。
日差しを避けて、岩の窪みに入り込んでいるのだろう。
「下から行った方がいいかなあ……」
「足場を考えても、下からのほうが狙いやすそうですね」
依頼人含め、しばらく危ないから橋には近づかないように通行止めにしてもらっている。下から射ても大きな問題はないだろう。
谷の少し上流から、崖を迂回して降りられる斜面がある。細い道だが、人の足であれば谷底まで降りるのは難しくなかった。
そこから橋の近くまで戻ってくる。
川の水音と、崖の向こうから差し込む光。少し湿った岩の匂い。そこまで高さはないと思ったが、降りてみると橋までかなりの距離があるように感じた。
橋を見上げると、下に降りてよかったことに気づく。
橋の裏にも、黒い影が複数ぶら下がっていた。首の後ろがぞくりと冷えた。
「びっしりですねえ」
「さすがに気持ち悪いね……」
「三十くらいいますかね」
「取りこぼしそうでやだなあ」
群れを追い出してくれという依頼ではあったが、この様子だと下手に残すとまた戻ってきそうだ。谷の暗さといい、大蝙蝠にとっては案外居心地がいいのかもしれない。
アルティは弓を背中から外し、弦の張りを確かめた。
自分の体の半分ほどもある弓だが、それでも、流石に橋までは届かない。
「下から届く範囲は弓で落として……後は上からかなあ。橋の下のやつをどうするか……」
「そこは、魔法で援護しますので、なんとかなりますよ」
「本当? 本当に頼りにして大丈夫?」
「どうでしょう? 僕の実力は大体わかってると思うんですけど」
「そこね……」
アルティは渋い顔をした。
確かに、腕は立つのだ。いくつか一緒に依頼をこなしてわかったが、魔法の腕は、アルティが見てきた中でも有数の……いや、正直に言うなら、多分トップレベルで間違いない。
ただ、ちょっと——
「ちょっと大味、なんだよね」
「失礼な。おおらかだと言ってください」
リンは不服げに口を尖らせた。
まあ、大蝙蝠を倒すのに繊細さもなにもあったもんじゃないから、大丈夫とは思うのだけども……
「よろしくね」
「わかりました」
リンが頷いた。
アルティは大きく息を吸って、吐いた。
矢筒から一本を抜き、弦につがえた。
狙いは、まずは群れの端。他の個体から少し離れた位置で、単独でぶら下がっている一匹。
弦を引き絞る。
風はほぼなかった。今は、谷底の少し淀んだ空気がありがたかった。
指を離した。
矢は音もなく弧を描き、大蝙蝠の胴を貫いた。黒い体が崖面から剥がれ、途中壁面にぶつかりながら谷底に落ちてきた。
次の矢をつがえて構えたが、動く気配はない。そのまま、次の個体を探す。
二匹目。群れの端から順に、起こさないように外側から削っていく。
三匹目。四匹目。
「お見事」
リンは杖を構えもせず、小さく後ろで手を叩いた。
「援護してくれていいんだよ? 矢の残数問題もあるし」
「そうですね、そろそろ——」
そうそう一撃で落とせるわけでもない。五匹目を射たところで、わずかに逸れた矢が左の翼を引き裂き、大蝙蝠が甲高い悲鳴を上げた。
——まずい。
悲鳴は崖面に反響し、隣の個体が身じろぎする。
張り付いていた黒い塊がぎょろりと目を開く。翼を広げる。
連鎖するように、群れ全体が目を覚ましていく。
アルティは動じず、続け様に矢を放った。
五匹目、六匹目。回転しながら大蝙蝠が谷底へ落下する。
甲高い鳴き声が重なり合い、谷間にぶきみに反響した。
ざわり。
大蝙蝠が岩壁から飛び立つ。
二十以上の黒い影が、狭い谷間の空を埋め尽くした。
「リン、お願い!」
アルティは、七匹目の翼を射抜きながら叫んだ。
動かない的を狙うのとは訳が違う。次の矢は外れた。落とした個体も、まだ息がある。
群れは二人の上を渦を巻くように飛んでいる。
まだ眩しいからか、まだ敵がどこにいるのかはっきりとわかっていないようだった。
しかし、こちらに襲いかかる個体も出てきた。
真っ直ぐに向かってきた大蝙蝠を、アルティの矢が貫いた。大蝙蝠が悲鳴を上げて地面に転がる。
しかし数が多すぎる。このままでは埒が明かない。
徐々に黒い影の高度が降りてくる。
黒い波のように、影がうねった。
「リン!」
振り返った。
リンは岩の上に立ったまま、杖を上に向けていた。
翡翠の瞳が、旋回する群れを静かに追っている。
詠唱が聞こえた。
短い、耳慣れない響き。
穏やかな声なのに、空気の質が変わるのを肌で感じた。
ないはずの風が、リンの金色の髪をわずかに浮かせた。
杖の先に光が集まっていく。
小さな白い点だったものが、急速に膨らむ。
光が光を呼ぶように、杖の先端に凝縮されていく。
——まずい。
アルティは直感的に思った。
嫌な予感がした。
だが、声を出すより早かった。
光が放たれた。
下から上に向かって、光の柱が谷間を貫いた。
大蝙蝠の群れを呑み込み、狭い谷の間をまっすぐに駆け上がっていく。
黒い体が光の中で溶けるように散った。
翼の破片が灰のように舞い、ゆっくりと谷間に落ちてくる。
直後、轟音が降ってきた。
アルティは何が起こったかわからず、轟音の先を見る。
土煙。
光の柱は大蝙蝠を貫いた後も勢いを失わず、そのまま、まっすぐ突き抜けていた。
その先にあったのは——石橋だ。
谷底から放たれた光が、西側の橋桁を直撃していた。
橋はかろうじて形を保っていたが、逆光でもわかる。明らかに、円形に、削げていた。
直後、バラバラと激しい霰のような音が鳴り響いた。吹き飛んだ石橋のかけらが、周囲に落下した音だった。
それがおさまると、谷底には静寂が訪れた。
大蝙蝠は見当たらない。全て落としたのか、逃げたのか。
そして、石橋から、石のかけらが落ちて、ぽちゃん、と音を立てた。
アルティはリンを振り返った。
「あれ……」
杖を握ったままの手が、膝の上に下ろされていた。翡翠の瞳が、崩れた橋の断面を眺めている。
その表情は——どう言えばいいのだろう。
困っている、とも違う。反省している、とも違う。
ただ、崩れた橋を見上げて、少しだけ首を傾げていた。
「…………リン」
「はい」
「橋」
「ええ、そうですね」
「橋」
「ほら、数が多かったので、一度で倒したいなと」
「橋!!」
アルティの叫びが、谷間にこだました。




