第10章 小さくて、大きい嘘①
アルティはセドリックの手首を縛った。
腰の道具入れから、細く長い革紐を取り出した。
魔法使いは杖を握れなければ魔法は使えない。手首と指を動かせないように縛る、独特の縛り方だ。
審問官になって最初に習ったのは、この縛り方だった気がする。もう慣れていた。何度やっても、いい気持ちにはなれない。
セドリックは抵抗することなく、黙って手を出した。視線は弟の寝顔に向いたままだった。
この場で裁くこともできた。
証拠は十分あった。
禁呪の実験と実行。七賢者の書の研究。そして発動。
印章がある。権限がある。調べて、判断して、罰を下すところまで、全て一人でやっていい。やっていいと、王家が決めている。
だが、リンの声が蘇った。昨日の午後の、宿の部屋の声が。
一人で調べて、一人で裁いて、一人で手を汚して——そして最後に責任まで一人で被る。
あの声が、耳に残っていた。
冷静な、でもどこか吐き捨てるような、そんな声だった。
だが。
アルティは自分に言い聞かせた。リンの言葉に影響されたからではない。あの男の言葉が正しいから裁かないのではない。
ただ、この男の年月を、自分一人の判断で終わらせることが、できなかった。
この場で一人で決めることが、正しいと思えなかった。
魔法は消える。時間と共に痕跡は薄れ、証拠は霧散する。多くの犯罪を犯す魔法使いはとても凶悪で、捕らえることなど到底できない。
だから、魔術審問官が必要だった。その場で「処断」することを求める人が、たくさん居たからこそ出来た制度なのだ。
だが、今回は消えない証拠がたくさんあった。再生の研究の記録も、七賢者の書を元にした魔法陣の痕も——そして、墓を掘り起こせば、テディの手が生えていることも——。
時間をかけても、セドリックは段階を踏んで、きちんと罰されるだろう。今ここで、結論を一人で出さずとも。
それは弱さかもしれない。審問官としては、褒められたやり方ではなかったかもしれない。
それでも構わない。
アルティは革紐の端を結んだ。きちんと結べた自分を、褒めてやろうと思った。
一旦セドリックを寝室の椅子に固定した。これからまだやらなくてはいけないことがある。
弟の容態を確認していたリンが、こちらを見た。
目が、合った。
言葉はお互い発さなかった。
アルティは、小さくため息をついて、寝室から出た。
その後ろに、リンがいた。
寝室のドアが閉まる音がした。
静かだ。
肩が触れるところに、リンの気配がある。すぐ、そこだ。
意を決して振り返り、リンの顔を見上げた。
果たして、リンの表情は、読めなかった。
笑顔ではなかった。
でも怒ってもいなかった。
失望している様子も、なにもわからなかった。
もっと静かで——静かすぎて、アルティには怖かった。
と、その瞬間、
「ひどい顔してますよ」
ぽん、と頭に手を置かれた。
「取って食ったりしませんから」
その声は穏やかだった。少し困った笑顔で。
そうか、リンにこんな顔をさせたのは、自分か。
一度、自分の頬を両手で包み込んだ。そして、深呼吸を1回。
「そうだね、審問官を見た人はいないのはなんでだって言ってたっけ?」
「——そうか、もしかして僕はあの世にいるのかもしれないですね」
「審問官は嫌いなんだっけ?」
「審問官の制度が嫌いと言いましたよ、僕は」
飄々と言ってのけた男に、アルティが笑った。
「審問官って知ってたの?」
「いえ、全然」
「疑ってるのかと思ったのに」
「疑ってはないですが、ただの王家の使いっ走りとも思ってませんでした。でもまあ、わかれば納得いった部分もいくつか」
リンの指が、すっと胸元を指し、それから腰の——印章をしまった——道具入れを指した。
「納得がいくようなこと、あった?」
「ええと、説明が長くなりますが、要ります?」
「短く……いや、今は忙しいからあとにして」
それから、地下室に目をやる。
「ちょっとセドリックを見ててもらっていい? 断章を取ってこないと」
リンは小さく頷いた。




