第6章 望まれない客①
協会の鑑定所は、北の街区のはずれにあった。
大通りから一本入った石畳の道を進むと、商店の喧騒は遠くなり、代わりに静かな空気が降りてくる。住人の質が変わるのだ。仕立てのいい服を着た男が通り過ぎ、侍女を連れた婦人とすれ違う。道の掃除も行き届いていて、港側の路地とは別の街のようだった。
軽戦士と長身の魔法使いの二人連れというのは、それなりに眼を引いた。あからさまに振り返る者もいた。もちろんそれは、リンの美貌に見惚れたからかもしれないけれど。
鑑定所は、その通りの一角にあった。
二階建ての石造りの建物で、表に看板はない。ただ、入口の脇に魔術師協会の紋章が掲げてある。あの路地の魔法道具屋の煤けた許可証とは比べものにならない、磨き上げられた金属板だった。
扉は開いていた。中に入ると、受付らしき机があり、その奥に待合のような空間が見えた。壁際の長椅子に数人の客が座っている。商人らしき男が布に包んだ何かを膝に載せ、その隣の女性はなにか大きな鳥籠のようなものを抱えていた。中には何もないように見えるが、魔道具かなにかなのかもしれない。
「名前と、住所、それから用件をここに書いてください」
受付の男が、無愛想に紙とペンとインクを差し出してきた。来客の記録なのだろうか、すでに数人の名前や住所が書かれていた。
アルティはちらりとリンを見た。リンは小さく肩をすくめた。好きにしろ、ということだろう。
アルティは、ペンを取る代わりに別のものを取り出した。
「王家から依頼を受けてきました。鑑定士のセドリックさんに確認したいことがあります」
身分を示す書状を差し出すと、男の手が止まった。書類から顔を上げ、蠟封の紋章を見て、それからアルティの顔を見た。小柄な少女と、その後ろに立つ長身の男。魔法使いのようだが、暗い色のマントに協会の紋章は入っていない。それからもう一度蝋封の紋章を見る。
「——少々お待ちください」
男は奥へ消えた。
待合の客が何人か、こちらに目を向けていた。リンは平然としていたが、アルティは居心地の悪さを感じた。場違いな格好をしているという自覚はある。冒険者の革鎧に弓を背負った少女は、この磨き上げられた空間には少々似合わない。冒険者も鑑定を頼むことはあるのだが、こんな畏まった場所にわざわざ来ることはない。
手持ち無沙汰のまま周囲を見回すと、壁に鑑定士の担当日を記した紙が貼ってあった。何人かの名前の横に曜日が並んでいる。セドリックの名前もある。癖のない、几帳面な文字だった。
曜日を確認すると、丁度今日はセドリックの担当だった。よかった、もし違ったなら、また時間を改める必要があっただろうから。
ほどなくして、受付の男が戻ってきた。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、奥の小部屋だった。応接用らしい。質素だが清潔な部屋で、机を挟んで椅子が向かい合わせに置いてある。窓が一つ、高い位置にあり、午後の光が斜めに差し込んでいた。
椅子に座って待っていると、扉が開いた。
入ってきたのは、穏やかな顔をした男だった。
三十代の半ばだろうか。茶色の髪をきちんと撫でつけ、協会の鑑定士が着る地味な長衣をまとっている。少し猫背だが、背は高そうだった。
目の下に、薄い隈がある。
それを除けば、どこにでもいそうな、真面目な書生のような男だった。学者にしては肩の力が抜けていて、役人にしては目が優しい。
「鑑定をしているセドリックです。王家からの依頼でいらしたとのことですが……」
声も穏やかだった。椅子に座り、こちらを見る目には、少し警戒の色が宿っていた。それはまあ、そうだろう。理由もわからないのに王家から聞きたいことがあるなんて言われて、平常心でいられる人間はいない。
「はじめまして、アルティです。こちらはリン。お忙しいところ、すみません。少し確認したいことがあって来ました」
「ええ、どうぞ。お役に立てることがあれば」
セドリックは微笑んだ。人好きのする笑みだった。
だが少し、疲れが見える気がした。笑みの奥に、何か重いものを抱えているような——いや、先入観はいけない。ただ単に、寝不足なだけかもしれない。アルティは小さく首を振った。
「エルク、という古物商をご存知ですか」
「エルク——古物商のエルクさんでしょうか。ええ、何度か鑑定にいらした方です」
セドリックは頷いた。
「最近ここにいらっしゃいましたか?」
「ええ、確か少し前に」
「いつかわかりますか?」
「ええと……いつだったかな。ちょっと待ってもらっていいですか」
セドリックは一度部屋の外に出て、すぐに戻って来た。
手に一枚の紙を持っている。来客の記録だろう。
「すみません。ええと……訪問記録を見ると——12日前ですね」
12日前。
アルティは頭の中で計算した。情報屋のルッツは、半月ほど前に掘り出し物を手に入れたと上機嫌だったと言っていた。時期は合う。そうであれば、12日前の訪問で、テディがその「掘り出し物」を持ち込んだかもしれない。
「その前はいつになりますか」
「その前ですか。その前、その前……うーん、ここにはないので、1ヶ月以上前になると思いますが……調べた方がいいですか?」
「いえ、それなら結構です」
1ヶ月以上前であれば、目的の断章が盗難にあうよりも前の話になる。
「その12日前に彼が持ち込んだものの中で、古い文書のようなものはありましたか」
セドリックは少し首を傾げた。思い出すような仕草だった。
「古い文書——ああ、ありましたね。古い紙を束ねたものが」
「それを、どうされましたか」
「拝見しましたが、古いということ以外は特に価値のあるものではなさそうでした。そうお伝えして、お返ししましたよ」
特に価値のあるものではない——その言葉を、アルティは心の中で反芻した。少し、引っかかるような気がした。
「その古い文書、どんなものだったんですか?」
「どんな、というと」
「なにか魔法の品のようだったとか、なにか印があったとか」
「どうでしたか——いえ、そういう特徴はありませんでした。本当に古い、なにかの書き付けのようなもので」
セドリックの視線がわずかに揺れた。一瞬だけ、机の上の自分の手に目を落として、すぐに戻した。
リンは二人のやりとりを黙って聞いていた。椅子の背にゆるく体を預け、口を挟む様子はない。ただ、翡翠の瞳がセドリックの顔を静かに見つめていた。
「その時の鑑定の記録とか、返した記録とか、そういうのってありますか」
「いえ。貴重なものなどで、鑑定結果が必要な方には書類を発行しています。その時にこちらでも記録をつけますが、それ以外は記録は残していません。他にもこちらで引き取ったりする時には記録をつけますが……」
「じゃあ、その古い文書の記録も、ない?」
「ないですね……」
確かに毎日大量に持ち込まれる品々の記録を一つ一つつけていては、仕事に差し支えるのかもしれない。
アルティはリンに目をやった。リンはなにも言わない。長い指が膝の上で組まれたままだった。
アルティは少し悩んだが、方向を変えることにした。
「それが12日前?」
「そうですね」
「実は——エルクさんは、数日前に亡くなりました」
セドリックの手が、ぴくりと動いた。
膝の上に置かれていた指が、ほんの一瞬、握り込まれた。
目が揺らぎ、それから、ゆっくりと顔を上げた。
「——そうですか」
声は静かだった。
鑑定に何度も来ていた客が亡くなったと聞いた人間として、普通なのか、静かすぎるのか、アルティにはわからなかった。
「存じませんでした。……12日前に、ここでお会いした時には、お元気そうで——いえ、そう言えば、体調が悪いとは仰ってましたね」
「そうなんですか?」
つい聞き返した。新しい情報だった。
「ええ——はい。最近少し体調がすぐれないと……詳しくは聞いていませんが」
セドリックの声は落ち着いていた。客の死を知らされた人間にしては落ち着きすぎているかもしれない、とアルティは思った。
けれど、あくまでも、印象に過ぎない。顧客は少なくないだろう。その死を知らされることもあるだろうから。
「他になにか気づいたことはありませんか?」
「他に……」
セドリックは眉を顰めて、少し俯いた。
「……特には、いつも通りと思うんですが……」
アルティにはまだ聞きたいことがあった。文書を返したと言ったが、それは本当なのか。持ち込んだ文書は断章とは別のものだったのか。体調が悪そうだったという話は、最後に会ったのは——もう少し詰められれば、何かが見えてくるかもしれない。
口を開こうとしたその時、唐突に応接室の扉が開いた。




