第5章 困ったときには③
赤い扉を開くと、埃の匂いがした。
数日間、誰も出入りしていない空気だった。
中は、あまり広くなかった。
2階建の家だが、2階の入り口は裏手にあり、他の人が住んでいるとのことだった。
1階部分が店舗で、奥に住居を兼ねた部屋になっていた。仕切りの布がかかっている。
アルティは、派手にため息をついた。
棚という棚にものが詰め込まれている。古い燭台、欠けた陶器、錆びた短剣、色褪せた織物の切れ端。壁には額に入った古い地図や、何かの獣の牙が吊るしてある。床にも木箱が積まれていて、蓋の隙間から中身が覗いている。
いくら狭いと言っても、これを一つ一つ確認するのかと思うと、気が遠くなった。
「手伝いましょうか?」
アルティの顔を見て、リンが言った。
「物がわかれば、手伝えると思いますが……」
アルティは思わずリンを見上げた。もしかしてこの男は天の使いかもしれない。
「……お願いしていい?」
「もちろん。ただ、まずは僕の荷物を探していいですか。杖が入っていたので、多分あればすぐわかるはず——」
リンは山査子の杖を手に——そう、買ったばかりのあの杖だ——、小さく呪文を詠唱した。
アルティにはその意味は全くわからない。ただ、なぜか耳心地のよい響きだなと思った。
ぽう、と杖の先に、淡い青の光が灯った。
店内を探り始めた。棚の前をゆっくり歩き、杖の先を向ける。光が辺りを、ぼう、と照らす。ゆっくり、慎重に。
仕切りの布をめくって奥の部屋に行くと、そちらでも同じことを繰り返した。
「……地味だね」
入り口の柱に寄りかかって待っていたアルティが、ぼそっと呟いた。
「……地味な魔法もあるんです」
布の向こうから返事が来た。なんだ、魔法を使ってても話せるのか。
「こう、パーっと部屋中が光り輝いて、探してるものがピカーっと」
「いや、近づけばピカーっとするはずなんですよ、この魔法も」
布の向こうで笑う気配を感じた。
やがて、首を振って布をくぐって戻ってきた。
「ないですね。少なくともこの店の中には」
「売られちゃったのかな」
「かもしれません。まあ、杖は新しいのを買いましたし、他は替えの利くものばかりですから。諦めます」
あっさりしたものだった。
大したものはなかったのかもしれないし、本当はあったのかもしれない。どちらにしても、この男はこうやって「諦めます」と言うんだろう。
「それで、アルティさんが探しているものは? なんでしたっけ」
「——うん。ええとね……」
アルティは口を開きかけて、閉じた。
窓の外を見た。また口を開きかけて、今度は腕を組んだ。
いくら魔法使いでも、探すものがわからないものを探すことなんて不可能だろう。
つまり、説明をしなくてはいけないのだが……
「……ちょっと、言いにくいことなんだけど」
「はい」
「ええと——」
リンは急かさなかった。腕を組んだまま黙っているアルティを、ただ静かに待っていた。
窓から差す光が、亜麻色の髪を明るく染めている。
思案げに揺れる鳶色の瞳、そしてその横顔は凛として美しかった。
何かを天秤にかけている目だった。
リンはなぜか目を離しそびれた。
アルティは顔をあげて、リンの眼を見た。
この二日ほどで見たこの男は、茫洋としているが、信頼できる人間だ——と思う。ただ、この直感を、信じていいのか……
もう一度目を店内に向ける。無数の物品たちがこちらを嘲笑っていた。
うん……信頼もそうだけども、背に腹は変えられない。
「……ここで聞いた話を、秘密にできる?」
「もちろん」
リンは軽く頷いた。その軽さに、アルティは信じられると思った。
「その——七賢者の書を、探してるの」
言ってしまってから、アルティはリンの顔を見た。
驚くだろうか。呆れるだろうか。面倒事に関わりたくないと言って離れるだろうか。
リンは、少し目を見開いた。だがそれだけだった。
「七賢者の書」
「うん」
「あの、禁書扱いの?」
「知ってる?」
「ええ——あれですよね、魔法の創始七賢者が書いたという、本、というか、古書群」
「うん」
「魔術師協会と王宮が躍起になって回収している、という、あれ」
「詳しいね」
「魔法使いならある程度知ってるとは思いますけども」
「テディが最近手に入れたものの中に、その断章があるかもしれないの。それを確認したくて」
リンはしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐いた。
「——わかりました」
「驚かないの?」
「驚いてますよ。ただ、色々と腑に落ちたので」
「腑に落ちた?」
「鍵開けが上手くて、盗賊の洞窟に一人で乗り込んで、故買屋の遺品を調べに来る。王宮が一体なにを探しているのかなあとは思いますよね」
「……鋭いね」
「しかも弓で飛竜を射落とすし」
「別に射落としてないし、それは関係なくない?」
アルティは睨んだが、口元は少し緩んでいた。
「ふむ……しかし、こんな小さな故買屋の手に余りませんか。あれ、相当な値段で取引されてると噂で聞きましたよ」
「そこは——まだわからないの。私が知ってるのは、盗賊に盗まれる前までの話だから」
「なるほど」
「で、ここに七賢者の書があるかどうか、わかる?」
「——やってみます」
リンは杖を構え直した。先ほどより長い言葉が、リンの口から紡がれた。また杖に、ぼう、とした青い光が灯る。
「地味だね」
もう一度アルティが呟くと、
「派手な反応があるのを期待しててください」
と、リンが返した。
今度はさっきより慎重に、棚の一つ一つに杖を向けていく。時折、首を傾げては通り過ぎ、別の棚に移る。
店舗側を一巡し、奥の部屋にも入り、戻ってきた。
「ありません」
「断言できる?」
「七賢者の書であれば相当古い物ですし、ええと、説明するとかなり長くなりますが、説明します?」
「——簡単にお願いできる?」
「要するに、ちょっと特殊なものなので、わかります」
端折りすぎてはと思ったが、説明されてもどうせわからないので、アルティは曖昧に頷いた。
「少なくとも、今ここにはないってことね?」
「そうですね。場所が移されていたらちょっとわかりませんが」
「そうか……」
旅立ってからもう十日。ここまで追いかけてきて、また空振りだ。
しかも手がかりがなくなってしまった。
こうなると、どうやって次の手がかりを探せばいいのか——
アルティは腕を組み、埃っぽい天井を見上げた。




