第5章 困ったときには①
港の朝は早い。朝早い便で届いたらしい積荷を積んだ荷車の音や、船夫たちの掛け声が聞こえてくる。
その脇を通り過ぎて、アルティは赤鳶亭のドアをくぐった。
朝の酒場は閑散としていた。まだ昨夜の酒の匂いが染みついた空気の中、カウンターの向こうで男が一人、グラスを磨いていた。
大きな男だった。太い首と、樽のような胴。シャツの袖を肘までまくり上げた腕は、酒場の主人というより用心棒のそれだった。
グラスを磨く手つきは丁寧で、あの指で、よく割らずに磨けるものだとアルティは思った。
「誰だ」
「探し物があるんだけど、別室で話をさせてもらえない?」
主人はグラスを光に透かし、曇りがないことを確かめてから、アルティに目を向けた。値踏みするような視線だったが、敵意は感じない。
「誰の紹介だ」
「王宮の仕事で来てる」
主人の手が止まったが、ほんの一瞬のことだった。すぐにグラスを棚に戻すと、奥の扉を顎でしゃくった。
「突き当たりの部屋だ。待ってな」
その声には慌てる様子も媚びるような様子もなかった。客をあしらう酒場の主人のものだった。愛想はないが、荒くもない。
こういう場所でこういう話を取り次ぐことに、慣れている声だった。
「別室」は、物置を片付けたような狭い部屋だった。机、それに椅子が三つ、奥の方にはもう一つ扉。窓はない。
待たされたのは、そう長くはなかった。四半時くらいか。
奥の扉が開き、男が入ってきた。
痩せた中年の男だった。左目に、眉から頬にかけて古い刀傷が走っている。見ればわかる、とエルディンは言ったが、確かにその通りだった。
「ルッツ?」
「座って」
立ち上がったアルティにそう言うと、男はアルティの向かいに座り、テーブルに両手を置いた。
余計な話は不要のようだ。
「故買屋を探してる。盗品を扱ってる男で、テディという名前。左腕がない」
「テディね……」
ルッツは顎を撫でた。
「ひとまず5かな」
アルティは懐から銀貨を5枚取り出すと、男の前に積んだ。
「港の東側に古物商がある。名前はテディじゃない、エルクだ。看板は出してない。赤い扉の、二階建てで——花屋の隣だ。朝はいない。昼過ぎに行った方がいい」
「最近、変わったものを扱ってなかった?」
「最近って、いつ頃だ?」
「ここ1ヶ月以内と思う」
ルッツは口を閉じた。
アルティはもう三枚、銀貨を重ねた。
「半月くらい前に、掘り出し物を手に入れたって、えらく上機嫌だった。物は知らない。その後は見てないな」
「そう——。それをもう他の人に売ったとか、売りに出してるとか知ってる?」
三度目の沈黙。銀貨を三枚追加した。
「悪いがオレはその物は知らないんだ。ただ、価値が高そうなものは、魔術師協会の人間に鑑定を頼んでるって聞いたぜ」
「魔術師協会の鑑定?」
「——これは調べりゃすぐわかる話だから、サービスでいいか。協会に鑑定を頼みたい人が多いから、北の街の方で日替わりで協会員送って鑑定業やってるんだよ。簡単なものはその場で調べてくれるし、魔法関連なら引き取りまでやってる」
その言葉に、アルティはあの軟膏を思い出した。リンの傷を一瞬で治したあれだ。もしかすると正体がわかるかもしれない。ついでに頼んでみようか——と一瞬思考を巡らせたが、仕事中だと意識をこちらに戻した。
「ありがとう。助かった」
アルティは追加で銀貨を2枚おいた。
「毎度。——テディはセドリックに頼む事が多いと言っていた」
「セドリック?」
「鑑定をしている魔術師だ。週に2回くらいは鑑定をやってる」
「わかった。ありがとう」
ルッツはテーブルの上の銀貨を掌に収めると、奥の扉から出て行った。
どこにつながった扉なのか、少し気になったが、多分知らなくていいことだろうと、アルティは酒場につながる扉から、出て行った。
酒場の主人は、今度は包丁を持って林檎を剥いていた。どう考えても林檎より、それを武器にした方が似合いそうな風貌なのだが。
アルティが「ありがとう」と声をかけると、目線も向けずに「おう」と返事をした。
外はまだ朝の光がさしていた。
港の南側は、朝の大通りとは空気が違った。道幅が狭く、建物が古い。壁の漆喰が剥がれたまま放置されている家も多かった。
赤い扉の二階建て。花屋の隣。
小さく呟きながら、左右の家を見ながら歩く。
ルッツの言った通りの建物は、すぐに見つかった。
だが、赤い扉は閉まっていた。
昼過ぎに行けと言われたのを思い出す。来るにはまだ少し早かったか——。念の為扉を叩いてみたが、返事はなかった。
隣の花屋に目を向けた。軒先に並んだ木桶から、色とりどりの花が通りにはみ出している。
奥から、水桶を抱えた中年の女が出てきた。
「あの、隣のお店の人、いつ頃来るかわかりますか?」
女はアルティを見て、それから隣の赤い扉を見て、顔を曇らせた。
「あんた、お客? それともエルクさんのお知り合い?」
「知り合いというか、ちょっと用があって来たんです」
「それが——」
女は水桶を下ろした。そっと口元に手をあてて、そっと声を落とす。
「エルクさん、亡くなったんだよ。四、五日前かね」
「——亡くなった?」
アルティは思わず聞き返した。
「夕方過ぎても店が開かないもんだから、おかしいと思って、組合の人と一緒に見に行ったらねえ……」
女は目を伏せた。
「苦しんだ様子もなかったから、眠るように逝っただろうって聞いたけど。いい人だったんだよ。古いものを扱っててね、たまにうちの花も買ってくれて」
「古いもの?」
「骨董とか、古い本とか。詳しいことはわからないけど、好きな人には好きなものを扱ってるって言ってたね」
「なるほど……」
間違いなく、故買屋のテディで間違いなさそうだ。しかし、もう死んでいる……
「でも——、ちょっと、気になることがあってね」
「気になること?」
「ああ……そのご遺体が……私の見間違いかもしれないんだけどね」
ちらりと女は赤い扉に目をやった。
「はい」
「その——あったんだよ、手が」
「手?」
「ほら、エルクさん、左手がないじゃない。昔事故で無くしたって聞いたんだけど——だけど、あの時、手があったんだよね」
アルティの背筋に、ぞくりとなにか冷たいものが走った。
テディには左手がない。そう盗賊から聞いていた。しかし、死体には手があった……?
そこまで言ってから、はっと花屋の店主は顔を上げた。
「いや、すまないね。気になってたんだけど、亡くなった人のことをどうこう言うのはおかしいね。他の人にも見間違いだろうって言われてたんだ、忘れとくれ」
少し悲しそうな笑顔で、花屋はそう言った。通りすがりの人間に話すくらいだ、余程自分の中で持て余していたのだろう。
それ以上詳しく事情を聞くのは憚られた。アルティは曖昧に頷き、少し間を置いてから、尋ねた。
「亡くなった後、ここのお店は誰が管理してますか?」
「組合が管理してるはずだよ。家族がいないから。話が聞きたいなら、この通りの突き当たりに組合——商業組合の事務所があるから聞いてみるといいよ」
アルティは花屋の店主にお礼を言うと、その足で商業組合の事務所へ向かった。
頭の中では、テディの左手のことがぐるぐると回っていた。しかし、論理的な解決方法が、どうしても思いつかなかった。




