第4章 追伸③
そのアルティはというと、路地——もう大通りからも離れた、路地の先の路地だ——を足音もなく進んでいた。
少し関わりすぎたかな、そう思いながら。
この稼業、親しい人は作らないに限る。
問題は、まだレンスティアに用事があることだ。大きな街だから出会うこともないだろうが、まだやらなくてはいけないことが残っている。
できるなら、とアルティはため息をついた。できるなら、旅に必要な消耗品を買い足したら、夜になる前に街を出てしまいたかった。あまり長居をしては、どこでリンに会ってしまうかわかったものではない。
心に少しだけ引っかかるものがある。だけど、多分この引っかかる気持ちは、考えすぎてはいけないやつだ、とも思う。
なんとなく、なんとなくだけど、この心の苦しい気持ちを否定も肯定もしてはいけない、アルティはそう思った。そうでなきゃ、私は自由に動けなくなってしまう。
比較的高い建物の間を、人一人やっと通れるぐらいに細く伸びる路地は、まだ日も沈んでいないというのに薄暗かった。大通りの人ごみも、ここには関係ない。すれ違う人すらいない。
そもそも、人の通り道ではないのだろう。するりと、向かいの通りから白い猫が入り込んできた。汚れ一つない、光り輝くような白猫だ。猫は迷いなくまっすぐにアルティに向かって走ってくると、足下でにゃあと一声鳴いた。
「ここはお前の縄張り? ごめんね、通してね」
声をかけて横を抜けようとすると、その足にするりと体をすりつけてきた。
「悪いけど、食べ物はあげないよ……ん?」
奇妙な気配を感じて、見上げてくる猫をまじまじと見る。いや、違う。奇妙な気配を感じたのではなく、気配を感じずに奇妙に思ったのだ。
「ご無沙汰じゃないか、アルティ」
猫は、低い男の声を出した。アルティは目に見えて顔を引きつらせる。
「げ」
「げ、じゃない。調査はどうなってるんだ」
「エルディン、気楽に言うけどね、こっちに来るだけで五日かかったんだからね。人間の足には遠いの」
「転送装置を嫌がったのはお前じゃないか」
白猫が呆れたような声を出した。
「あれ、酔うから嫌いなんだよね……」
アルティはため息をついた。そうそう一般人が使えるような代物ではない転送装置だが、いかんせん、乗り心地が最悪なのだ。馬車の方が百倍マシだ。
「随分探したんだぞ」
「調査もしていたし暇がなかったんだよ。私の連絡を待てばいいのに」
「よくよく連絡を忘れるやつの連絡を待ってられるか」
「はいはい、すみませんね」
アルティがしゃがみ込むと、その膝に白猫がひょいと飛び乗った。確かになにか乗った圧はあるのだが、全く重みを感じない。
「それで、どうなった?」
「まだ見つかってないです」
「なにがあったんだ」
「情報があった商人の積荷を追ってたんだけど、近く——レントの近くを根城にしてた盗賊に奪われたそうで。昨日そこに行ったんだけど、もう売り払われた後だったんだよね」
「盗賊? その後の情報は?」
「戻ってきた盗賊から聞き出したところ、レンスティアの故買屋に売ったってとこまではわかった」
「まだ故買屋と接触してないのか?」
「昨日の今日だよ。今やっとレンスティアに辿り着いたところ——もうね、大変だったんだから!」
今日の飛竜との戦いを思い出して、アルティは思わず声を荒げた。
「それはご苦労だったな」
「聞く気ないでしょ?!」
「聞いていると魔法が保たない」
「——わかった」
アルティはため息を一つついた。
「故買屋との接触はまだだし、見つかるかどうかわからない。このまま調査を続ける? 他の人に引き継ぐ?」
「もう少し調査を続けてくれ。できれば回収まで」
「ちょっと待ってよ、後から誰か送ってくれるって話だったじゃない」
アルティは白猫を抱き上げた。可愛がるためではない、睨むためだ。
「こら、雑に扱うなよ。事情があって、そっちに避ける人員がないんだ」
「一人でやる仕事じゃあないと思うんだよ……」
「それは理解している。だが、ミュウはしばらく現場復帰が難しそうだし、今動かせる他のやつはお前と相性が悪すぎるし……」
「わかってる。けど、私一人じゃ七賢者の書かどうかの見分けがつかないんだよ?」
「それも理解している。だが、今回の断章にはうちの蔵書だって印章がついてる。見ればわかるだろ」
「偽物かどうか見分けられる自信がないんだけど?」
「……偽物でも放っておけるものじゃないから回収してくれ。回収だけでいい。今回はそれで十分だ」
「わかった……」
アルティは渋々、本当に渋々頷いて、白猫を膝に下ろした。
「そうだ。実はあちこちで、七賢者の書を燃やしてまわってる賊がいるらしい」
「燃やす?」
「うん。まあ、昔からこの手の賊はいて、結構な数が燃やされてるんじゃないかと考えられている。ただ、最近この国でも出没していると情報があった」
「燃やすより売ればお金になるんじゃないの? 燃やしてどうするの?」
「愉快犯の考えることはわからんよ。どこの誰かもわからんし、目的もさっぱりわからん。協会も血眼で追いかけてるようだが——」
そこで、白猫の顔がサッと上がった。
耳が二度、ぴくりと動く。路地の先——大きな通りに繋がる方角を見ている。
「人が来る。手短に済ませよう」
白猫の声から、軽口の色が消えていた。
「故買屋はわからんが、情報屋にルッツという男がいる。左目に傷があるから見ればわかるだろう。『赤鳶亭』で、主人に探し物があるから別室で話をさせろと言えば、繋げてくれるはずだ。わたしの名前は出すな」
「王宮の使いってことは?」
「それは使っていい」
「わかった」
路地の向こうから、足音が近づいてくる。
白猫はアルティの膝から飛び降りた。
「次の連絡は三日後だ。遅れるなよ」
「はいはい」
「『はい』は一回だ」
白猫は路地の闇の中へ、音もなく溶けていった。
後には、猫一匹分の温もりすら残っていなかった。
足音の主は、酔っ払いのようだった。千鳥足でアルティの横をすり抜けると、反対側へ消えていく。
アルティは立ち上がり、膝の土を払った。
「赤鳶亭か……」
赤鳶亭に直接向かうか一瞬思案したが、もう、流石に今日はへとへとだった。アルティは大きく伸びをすると、通りに向かって歩いて行った。




