第4章 追伸①
堀にかけられた大きな橋を渡り、門をくぐった城壁の先がレンスティアの街になる。いくつかの街道が交差する要衝に発展した商業都市で、往来には人と荷馬車がひっきりなしに行き交っている。大きな河川と接しており、川港としても栄えていた。
遠くの丘の上に見えるのは、魔術師協会の支部塔だ。石造りの、飾り気のない塔だが、街のどこからでも目に入る高さがあった。
そのレンスティアに着いたのは、山の端に太陽が沈みかけた頃だった。
馬車が城門の前で止まると、幌から先に母親と男の子が降りてきた。
男の子は顔いっぱいに笑って、アルティに手を振った。
「おねえちゃん、ばいばい!」
「ばいばい。元気でね」
老夫婦は、深々と頭を下げた。老婦人の目が潤んでいた。何度もありがとう、ありがとうと繰り返していた。
御者は報酬を手渡しながら、ぽつりと言った。
「何十年走ってて、飛竜は初めてだ」
「災難でしたね」
「あんたがいなけりゃ、今頃馬ごとやられてた。——上乗せしとくよ」
「いいんですか?」
「片手で数えるほど、が増えちまったからな。その分だ」
御者はそう言って、にやりと笑った。
辻馬車と別れると、リンとアルティは雑踏の中にぽつんと取り残された。
夕暮れの街は騒がしかった。城門の近くで荷下ろしの声が飛び交い、荷車の車輪の音が石畳に響く。家についた煙突からは白い煙が立ち上り、どこからか焼いた肉の匂いが漂ってくる。どこかの鍛冶屋が今日最後の一仕事を急いでいるのか、遠くで鉄を打つ音が響いていた。
人の波は二人のことなど気にもかけず、ただ流れていく。
「さて……」
いろいろあったが、無事にレンスティアまで辿り着いた。
ここが、二人の旅の目的地であり、終着点だ。
旅とも呼べない短い道中だった。たった一日と少し。一年も経って振り返れば、もう思い出す事ができないくらい短い時間だった。
なのに、別れの言葉がうまく出てこなかった。
アルティが顔だけリンを仰ぎ見た。
夕日が横から差して、金の髪が琥珀のように透けている。
夕映えに染まった顔は、息を呑むほど端正だった。
思わず目を逸らして、次の言葉を考えた。
じゃあね? またね? さようなら?
どれもしっくりこない気がする。
アルティがなんと別れの言葉をかけようかと頭を巡らせていると、
「これからどうするんですか?」
リンがそれより早く言葉を発した。
それが別れの挨拶ではなかったことに虚をつかれ、アルティは少し目を丸くした。
「私? 私は……まずは上司に連絡かな……」
「上司の方がレンスティアにいるんですか?」
「ここにはいないけど、連絡取る方法はあるからね」
手紙でも書くのか、遠くに声を送る魔道具を使うのか——方法はいくつか思いついたので、聞き返すことなくリンは曖昧に頷いた。
「リンはどうするの?」
リンは眉を顰めた。
「うーん……杖ですね、まずは」
「だけどお金は?」
「まあ、それはなんとか」
「なんとか」
「ええ、なんとか」
誤魔化すと言うことは、なにかわからないけれども方法があるのだろう。アルティは深く追及するのをやめた。
話が途切れた。
二人の横を、荷物を抱えた商人が通り過ぎていく。夕日が城壁の向こうに沈みかけていて、通りに長い影が伸びていた。
アルティは一瞬口を噤み——小さく息を吐き、そしてもう一度リンを見上げた。
「杖を扱ってる店はわかる?」
「いえ……」
「じゃあ、案内しようか?」
「いいんですか?」
「ここまで来たんだから、そのくらい付き合うよ。ええと、レンスティアの魔法道具屋か——協会の支部と、市中の店と、どっちがいい?」
「市中の店がいいですね」
迷う風もなく、リンは即答した。
「それなら、確か中央の通り付近にあったな……あっちの方だよ。行こう」
アルティが歩き出す。リンがその半歩後ろについた。
中央通りに向かうにつれて、道の両側に店が密集してくる。店の軒先に張り出した看板が重なり合い、頭上が狭い。
アルティは慣れた足取りで人波を縫っていくが、リンの方は長身が災いして、低い看板や突き出した荷物を何度か避けなければならなかった。
「確か——こっち」
不意にアルティが立ち止まり、リンはその背中にぶつかりかける。アルティが指差した先には一本の路地があった。
「そういえば、レントでも思ったんですが……アルティさんはこの辺りに住んでるんですか?」
角の看板を屈んで避け、路地に入り込んだところでリンが尋ねた。
「何度か来た事があるってだけで、別に住んでるわけじゃないよ。なんで?」
「それにしては、随分詳しいですね。魔法道具屋なんて、普通の人は知らないものだと思いますけど」
「冒険者稼業もしてると、詳しくなるんだよね。お世話になる事も多くて。——ここだ」
急にアルティが立ち止まったので、リンはぶつかりそうになって、慌てて足を止めるとアルティの指差す先を見た。
路地から更に一歩奥まったところに、窓のない店があった。
入り口は人一人がやっとの幅で、看板もない。
戸口の脇にぶら下がった小さな紋章だけが、魔法を扱うことを許可された店であることを示していた。その紋章も煤けていて、言われなければ紋章であることにも気づかなかっただろう。
「ええとですね……」
リンが言いにくそうに口を開いた。
「ちょっと一人で選びたいので、アルティさん、ここで待っててくれますか?」
「ん? 元から入るつもりないから大丈夫だよ。私の案内はここまで。はいこれ」
「はい?」
アルティが握った拳をリンの目の前に差し出した。わけがわからず手を差し出すと、手の中で金属音が響いた。
「杖買うんでしょ。足りなかったら困るし、一応貸しとく。いつか返してね」
「これはさっきの依頼料? いえ——いや、はい。ありがとうございます」
リンは戸惑ったように目を泳がせたが、一呼吸おいてから頷いた。
「だから、ここで待っててくれませんか?」
「でも」
「まだ、お金を返す用事が残ってるじゃないですか」
リンが少し寂しそうな笑顔を見せた。
「お別れにはまだちょっと早くないですか」
「——まあ……うん……そうね」
「時間はかかりませんから」
「……わかった」
アルティは曖昧に頷いた。
「出来るだけ急ぎますね」
「いいよ、ゆっくりいいものを選んでよ」
じゃあまた、と声をかけると、リンはその高い身長を少しかがめて、決して広くはない戸を潜った。




