降臨
霊峰クォルタスの下層に設けられた小さな神殿に近づくと、ウルガンドの父が言ったように、門の左右に置かれている――これこそが【天馬】だと思しき、翼の生えた馬の魔除けの像が揃って一行を出迎えた。
その小さな神殿の先は高い絶壁になっていて、更にその絶壁のすぐ上には巨大な岩が数多浮いている、浮遊岩礁地帯がいよいよ迫って見えた。
「……」
ムザブは神殿の拝殿で戦勝の感謝の祈りを捧げるや否や、神殿の周りを【天馬】の手がかりを求めて一帯を探して回った。
武官達も手伝って方々を探したが、これと言ったものは――草木が生い茂っている以外は何も発見できなかった。
そろそろ出立せねば日暮れまでに陣地に戻れない頃合いが近付いてくる。
ぎいい、とムザブは俯いて歯を食いしばった。
拳を握りしめる。
ここまで来たのに、行き止まりなのか。
後、ほんの少しだったのに!
「……。 ムザブ、もう帰ろう」
その後ろ姿があまりにも痛ましく見えて、モルガがその肩に手を優しく置いた時だった。
『モルガ、モルガ! ねえ、これ何ー!? ちょっとこっちに来て!』
【パペティアー】が姿を見せて、二人を呼んだのは。
その羽根を模した装飾品は、神殿の拝殿の奥に安置されていた大地母神【ラメデ・マー】の女神像の背後に隠すように置かれていた。
「羽根の装飾品……?」
ムザブが近づいて拾うと、冷たい感触と一緒にキラリと美しい銀色に輝いたのだった。
『コレから、ワタシ達【精霊】に近しい残留魔力があったのー。 帝国城の【アレ】なんかに気配だけなら似ているかも……。 ま、あっちが起動するようなことになったら帝国城はお終いだけどさー』
後ろからモルガも近づいて確認したが、首を左右に振った。
「金属で出来ているようだな。 きっと昔ここに詣でた者による奉納品だろう」
『……モルガ、ちょっとコレにワタシの魔力を流しても良い?』
そう言うと彼女は、いつも持っている人形を操る糸を丁寧に解き、銀色の羽根の装飾品にするすると絡めたのだった。
「【パペティアー】、どうしたんだ……?」
不思議そうにモルガが訊ねると、彼女は一度きり頷いて見せた。
『これで駄目だったら、どれ程ムザブが暴れてもワタシが抑えて連れて帰るから。
本当に……最後の足掻きよ』
ムザブは祈るように呟いた。
「頼む!」
直後。
銀色の羽根の装飾品が一瞬、激しく輝いた。
――だが、それきり何も起きなかった。
ついにモルガと【パペティアー】が相次いで肩を落とし、声も無いムザブをどう連れ帰ろうかと思い始めた時。
外で待っていた武官達が派手に騒ぎ出したかと思うと、すぐさまアウルガが拝殿の中に飛び込んできた。
「殿下がた! 一大事にございまする!」
この剛直な男が慌てふためいている!?
「クソ! 完全に掃討したと思ったのに! 反乱軍の残党が追って来たのか!?」
兄や【パペティアー】を庇うように前に出たムザブが、腰の剣に手をかけた時だった。
「私を呼んだ【精霊】は何処であるか?」
時が止まったかのようだった。
どくり、どくりと響く己の心臓の鼓動音がやかましいと感じるほどの静寂の中。
その白馬は一つの翼も持っていなかった。
あの魔除けの二つの像は単なる空想の産物だったのだろうか。
それとも、あまりにもムザブにとって都合の良いので、これはただの白昼夢なのだろうか。
されど、確かに彼らの目の前で、その白馬は優美に空を翔けていた。
徐々に下降しつつ拝殿の前で止まると、はっきりと人間の言葉でそのように訊ねたのだ――。
その【天馬】は【パペティアー】がはっきりと姿を現すと、懐かしそうに目を瞬かせた。
「よもや【精霊】と【精霊】を従える者が、再びこの神殿に訪れようとは思ってもいなかった」
モルガもしばらく呆けていたが、驚きが波のように引いていくとようやく言葉を出すことが出来た。
「再び……とは?」
「数百年前のことだそうだ。 貴殿らの父祖に当たる皇帝の中に【精霊】を従え、我らの父祖と手を組んで残忍暴虐の【天竜族】を討たんと試みた者がいた。 自らこの神殿に足を運び、【精霊】の【スキル】を用いてその羽根を生み出し、我らの父祖と対話したそうだ。
されど遠征を起こす直前、かの者達は病にて儚くなったと聞いている」
「……」
ムザブは力が抜けて座り込みそうになる己の両足を叱咤して、辛うじて立っていた。
最後の駒が目の前にやって来た。
だが、まだ味方になると決まった訳ではない。
ならば、今こそが正念場。
大詰めの時なのだ!
「我らは確かに自由自在に空を翔けることが出来る。 しかし翔け続けるには莫大な魔力を要するのだ。 かつて【天竜族】と戦った折、長引く戦いに魔力が足りなくなって我らの父祖は敗北した。
故に我らは、無尽蔵に近しい莫大な魔力を持つ【精霊】を利用することに決めた。 されどこの数百年の間、【精霊】と【精霊】を従える者は我らを呼ぶことは無かった……」
拝殿前の広場で、モルガと【天馬】――サルウスと名乗った――は対話している。
武官達も目の前の光景には戸惑っている者が大半だったものの、サルウスに攻撃の意思が無さそうだったのでひとまずは静観していた。
「それは、貴方がたに【天竜族】と戦う意思が今でもあるということか?」
モルガは密かに舌を巻いていた。
【天馬】の実在にではない。
彼の異母弟ムザブにだ。
ずば抜けて勘が良く、そして、恐らくは運も誰よりも良いのだ。
単なる幸運や、都合の良い偶然を引き寄せる力ではない。
行き詰まりからでさえ、遠い勝利を手繰り寄せるための決定的な要素を掴み取る力を、生まれながらに持っているのだとしか、モルガには思えないのだった。
「左様。 我らはわずか二千人に満たぬ少数であるが、いずれも精鋭である。
【精霊】さえいれば、ラーレルカイトウの地を私達は取り戻せる。 我らは、我らの父祖が生きたかの故郷を、どれ程の犠牲を払おうとも取り戻す覚悟である」
サルウスは居丈高に言ったが、モルガは冷静だった。
「念のために聞くが、どうか無礼だと思わないで頂きたい。 ラーレルカイトウを取り戻した後はどうするおつもりだ?」
ヒヒーン!と大きくサルウスは嘶いた。
「知れたこと。 我らは我らの国を復興するのだ。 人間にも【天竜族】にも支配されぬラーレルカイトウを!」
――確かに気位が高く、人間を下に見ている。
されど、少なくとも【天馬】は女を拉致して最悪のやり方で殺しはしない。
領土拡大のために帝国へ侵略する魂胆も当分は無さそうである。
モルガは慎重に考えた上で、判断した。
「では、お互いに『良き隣人』となれるように努めるとしよう」
サルウスは笑った。
こんな顔で馬も笑うことがあるのだとムザブ達は初めて知った。
「フン、『良き隣人』か。 絵空事だが、嫌いでは無いぞ」




