瓦解
その夜、ルテロはモルガとムザブを確実に殺すべく、暗殺者を選んでいた。
ルテロの【固有魔法】は【幻覚】である。
もはや重度の中毒にはなったが、愛用する違法薬物を使ってその威力を一時的に増すことで、さも彼に【精霊】が従っているかのように見せかけているのだ。
幼い時から、ルテロは皇族になりたかった。
憧れていた。
どうにかして己も【精霊】を従えたかったのだ。
「ああ……私の【精霊】が言っている。 モルガドリックとムザブドリックは殺さねばならぬ! 偽の皇統は滅ぼさねばならぬと!」
ルテロから自害用の毒薬と、毒を塗った短刀を、それぞれ歓喜の表情で暗殺者達が受け取った時だった。
彼らの頭の中で威厳のある声が響いた。
『我こそは皇子モルガドリックの従える【精霊パペティアー】! そこなるルテロは皇統の者にあらず! 皇統と【精霊】を騙る偽りの大逆人である!』
「!?」
ぎょっとしたルテロは周囲を散々に見渡したが、誰もいない。
行政庁の広く豪華な建物に詰め寄せている信者達の間にも、不審者は一人もいない。
だが、ほんのわずかに――それまでルテロに狂信的なまでの忠誠を誓っていたはずの暗殺者や側近達の目には、疑念が宿っていた。
基本的に【精霊】は滅多に人前に姿や声を現わさないし、【精霊】を従える者にしかその存在を感知できない。
もしもルテロが本当に【精霊】を従えているのなら、ルテロだけには【精霊】の姿が見えないことはあり得ないのだ。
一方、皇子モルガドリックが【パペティアー】を従えていることは有名である。
かの【精霊】がルテロが偽物であり、【精霊】を従えていないと断言した……?
反乱軍はルテロが【精霊】を従えていると信じていたから、安心して彼に従っていたのである。
だが、その事実がもしも幻覚だったとしたら――。
ルテロや彼らの不安を煽るように、何とも言えない、酷く不愉快な耳鳴りがした。
まるで壁一枚隔てた先でガラスを引っ搔いているかのような、あるいは鬱陶しい虫の羽音のような――。
その耳鳴りはじわじわと酷くなっていく。
ルテロは同じく耳を抑える側近に怒鳴った。
「ふざけるな、私には【精霊】がいるんだ! 確かに【精霊】が――!」
「な、なあ……」
誰かが言った。
「ルテロ様の【精霊】の……お名前って何なんだ?」
一度も聞いたことが無くないか?
その誰かが実はアウルガ達の放った偵察兵の一人だったとか。
ムザブが彼に己の【固有魔法】の【以心伝心】で『こう言え!』とけしかけたとか。
ルテロ達には分からなかったし、分からないままで終わる。
信仰は狂信的であればあるほど、信仰の炎が揺らいだ瞬間に危うくなる。
「……なあ」
「どうするんだ?」
「あっちは六万の大軍だぞ」
「【精霊】がいなかったら」
「どうやって勝つんだ……?」
さながら、大衆が幻覚から覚めて現実を目の当たりにしたようだった。
「――うわああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」
大きな悲鳴を上げて、誰かが我先に行政庁から逃げ出した。
それこそが蟻の一穴となった。
まるで雪が大量に乗った家がその重みで潰れるように、反乱軍は一気に瓦解を始めたのだった。
同時刻、アウルガ率いる帝国軍が雄たけびを上げて反乱軍へと突撃している。
結局、自害も出来ぬままにルテロは捕らわれ、モルガの前に連れてこられた。
モルガは辟易した顔で訊ねる。
「【パペティアー】、どうだ? まさかとは思うが……」
すると今度こそ本物の【精霊】が姿を見せて、
『予想通りだったねー。 ワタシ達と違って、れっきとした偽物だよー』
「そうか。 では帝都に連行してからの公開処刑と言ったところが妥当だろう」
【精霊】が消えたと思うと、モルガもさっさと行ってしまった。
「……!!!」
その後姿を見送って、口に詰め物をされたルテロは声も出せずに藻掻いた。
【精霊】、本物の【精霊】!
それを従える皇族!
己が唯一憧れた存在!
成りたい。
ずっと成りたかった。
お前に!
私はお前になりたかったのに!
されど、その存在はルテロには大した興味関心すら示さなかった。
「アイタタタタタ……」
また始まったか。
アウルガは冷ややかな視線で腹を押さえているムザブを見つめる。
「兄貴、いきなり腹が痛くなっちまった。 これじゃ、とても馬には乗れそうに……」
馬に乗ろうとしていたモルガも、完全に呆れた様子でため息をついて、
「そう言うだろうと分かっていたよ。 【天馬】を探しに霊峰クォルタスに登りたいのだろう?」
「……」
アウルガは密かに視線だけでモルガに合図を送った。
もしも彼が否と言うのならば、力ずくで己がムザブを取り押さえるという意図を伝えたのである。
「駄目か?」
ムザブは勘が良いのでそれを察知して、今度は泣き落としにかかった。
「兄貴、頼むよ、頼む……! 俺、帝国軍の損害を抑えるために頑張っただろう?」
長く、深いため息。
モルガはアウルガに瞬きで合図した。
アウルガは黙ったまま天を仰いで、密かに長いため息をこぼした。
臣下に苦労をかけたことを内心で詫びつつも、モルガは口を開く。
「駄目と言えばムザブは暴れるだろう。 良いか? 下層の神殿に詣でるだけだ、それだけならば許してやる。 どの道、この勝利を神々に報告せねばならなかったところだ」
えっ。
驚愕するムザブにモルガは告げる。
いつものように――苦労性で、押しに弱くて、それと同じくらい慈悲深くて心優しい兄の顔をしていた。
「幾ら愚弟とはいえ、【狂犬】を一人で神殿に遣るわけにはいくまい?」




