無謀
暴動の後、アウルガ・ゼーザが帝都での勤務に変わったのには理由がある。
『元』太守が大失態を犯した一方で、彼は海賊から副都ノナレアデヴェを見事に守った功績を認められ、二等武官に昇格した。
それに伴い人事異動が行われ、彼は士官学校の校長に配属されたのである。
勿論、間もなく赴任する新太守のシロナサのため、ノナレアデヴェの古いしがらみを一掃しなければならなかったモルガ達の思惑もその背景にはあったが――アウルガはそもそも、人望、性格、実力、経験、身分、何をとっても申し分のない武官なのだ。
たまたまアウルガの妻が『元』太守の一族プファレ家の出身であったので、すぐに彼を更なる要職に就けることができないだけだと、アウルガを含む大半の者が理解していた。
帝都に戻れたことを、実はアウルガ本人も歓迎していた。
確かに異動の原因とはなったものの、『元』太守の遠縁でもある妻に、帝都の館を任せきりにしていたのである。
気丈な夫人ではあるけれど、ずっと気がかりだったし内心では寂しかったのだ。
昼時の終わり頃、彼が愛妻弁当を大事に抱えて士官学校の食堂に行くと、騒がしく駄弁っていた生徒達がわらわらと近づいてきて、目を輝かせながら話しかけてきた。
「校長先生! 海賊退治の武勇伝を聞かせて下さい!」
「海賊船に突撃したんですよね!?」
「罠を仕掛けて一網打尽にしたって本当ですか!?」
アウルガは微笑んで告げる。
「聞きたい者は放課後に資料室へ集まりなさい。 そうそう、午後の戦術史の講義で寝なかったら話しましょうか」
放課後にムザブが居残って弓矢の練習をしていると、そこに顔を上気させたウルガンドが走ってきて叫んだ。
「この最高の裏切者め!」
「は?」
いきなりで意味が分からなかったムザブが手を止めて振り返ると、ウルガンドはニヤニヤと笑っている。
「どうして僕に言わなかった。 僕達は友人じゃ無かったのか? 校長先生からつぶさに聞いたぞ!」
嫌な予感がした。
新しい校長としてアウルガが赴任したことを、今朝ムザブも知ったばかりだったから。
そしてその予感は直ちに的中する。
「『やあやあ我こそは偉大なるガルヴァリナ帝国が皇子が一人ムザブドリック! この矢外れし時は我が命月に還さん!』
いやはや、実にお見事!」
反射的に弓矢を捨てて、ムザブはウルガンドに素手で殴り掛かった。
武術の天才ウルガンド相手には、弓術だけは勝っているが、格闘術や体術、剣術では圧倒的に負けていることも忘れて。
「この! この! この野郎!」
「おや、格闘術の練習かい? 本当に熱心だね、ムザブ。 だったら道場へ行こうか?」
案の定、余裕の態度でいなされてしまう。
「テメエ、ふざけんな!」
「一切ふざけてなんかいないよ」がらりとウルガンドの態度が変わった。どこか淡々とした、鋼のような態度に。「ムザブ。 君はまだ本気なのだね。 本気で【天竜族】と戦うつもりなのだね?」
「黙れ! からかうなら噛み殺すぞ!」
正真正銘の【狂犬】のような有様の友人に、ウルガンドは小声で囁いた。
「僕の父が若い時、霊山クォルタスに登った経験があるらしい。 途中で下山して戻って来たそうだけれど、話を聞く価値はあるんじゃないかな?」
ムザブは息をのむ。
「どうやって……知って……?」
違う。
シロナサの手引きが無ければ、ウルガンドがこの情報を知るのはほぼ不可能だ。
そうだと頷いて、ウルガンドは教える。
「僕の従姉がシロナサ様付きでね。 と言っても女官じゃなくて、皇族の警護を務める親衛隊に所属しているんだ。 本来は皇族の方々の会話は機密だから言外不可なんだけれど、シロナサ皇女殿下が少しだけならとお許し下さったそうだよ」
副都ノナレアデヴェに赴く支度のため、宦官や女官が慌ただしく行き来する中をムザブは無遠慮に進んで、やがて、宦官や女官達に指示を出している異母姉シロナサを見つけた。
「おい」
ムザブの態度が殺気立っていたので、親衛隊の女武官達がシロナサを庇うように彼の前に立ちはだかる。
なのでムザブは吠えた。
「どうしてだ、シロナサ!」
シロナサは毅然と異母弟ムザブを見つめる。
「『どうして』とは何のことかしら?」
「しらばっくれんな。 【天馬】だ!」
「あら、間に合ったようね」
彼女は親衛隊に下がるように命じ、ムザブの前に自ら進み出るなり、彼の頬を強かに張った。
「?!」
乾いた音が鳴り響くと同時に、ざわめいていた周囲の音が消える。
その沈黙の中、シロナサの声が響き渡った。
「いやしくもその身に皇族の血を宿す者が、こともあろうに霊峰で遭難して死ぬなどということ、決してあってはならないのよ。 恥を知りなさい」
ムザブはしばらく何も言えなかったが、どうにか言葉を絞り出す。
「俺は……死ぬつもりじゃ……」
「ならば。
登山の計画は? 装備は? 地図は? 天候の予測は? 遭難した場合の避難先は? 万が一死んだ後の始末は誰にさせるつもりだったのかしら?」
答えられない。
ムザブはその若さゆえの無謀だけで、単身、霊峰クォルタスに挑もうとしていたのだ。
「――はん」
いっそ嘲りに近しい態度でシロナサは言った。
「海賊ごときに勝った程度で調子に乗っていてはたかが知れたものね。 今のままでは貴方は絶対に負けるわ。 貴方だけが負けて死ぬならば知ったことではないけれど、現実はそうでは無いのよ。
はて、死んだ後まで兄上達に迷惑をかけ、どれほどの平民を苦しませるつもりだったのかしら?」
彼女の言葉は、ムザブの若さに起因する全能感と勝利の余韻を木っ端みじんに打ち砕いた。
「だったら、どうすりゃ……」
「貴方自身で考えなさい。 貴方も皇族ならば考えることくらい出来るでしょう」
突き放すなり、シロナサはムザブには興味無さげに再び宦官や女官達に指示を下し始めた。




