友人
寝る場所と用を足す場所の他には食事を受け取る場所が狭くあるだけ。
高い場所にある窓は小さく、金属の格子がはまっている。
仮営倉と言っても不品行な士官候補生を矯正するために作られただけあって、独房のような場所で、とても居心地が悪かった。
唯一ムザブにとって幸いだったのは、隣部屋にあの少年がいて、暇つぶしの会話が出来たことだった。
「……ただの噂でしか無かった皇子殿下がまさか木の上にいらっしゃったのか」
他にすることも無かったので、二人は雑談をしている。
ムザブは苛立った。
「殿下って呼ぶな。 次呼んだら殺す。 俺はムザブだ、【狂犬】のムザブ!」
「承知いたしました、ムザブ様」
ムザブは壁を殴った。
「ぶっ殺すぞ! その尻が痒くなる話し方を止めろ! 『様』もだ!」
壁の向こうで呆れたようなため息。
「……仕方ないな、ムザブ。 これで良いかい?」
尻を掻きながらムザブはぼやく。
「あーあ、本当に痒かった。 ところで名前は何て言うんだ?」
「ウルガンド。 ウルガンド・アニグトラーン。 ああ、そうか、ムザブは僕のことを知らなかったんだね」
それなのに上級生相手に助けに入るなんて、と驚いたような、呆れたような声。
どこか言葉尻が上品な話し方なので、ムザブはウルガンドが貴族なのかも知れないと考えた。
「まあな……。 ウルガンドは貴族なのか?」
「これでもね。 そもそも士官学校に入れるような人間は大半が貴族の出身だから」
「そうなのか。 まあそうだよな。 でもどうしてウルガンドは上級生にただただ殴られていたんだよ?」
上級生よりも弱小の貴族の出身だから虐められていた、という様子では無さそうだった。
ウルガンドの、意識して威圧しなくても、存在感のある独特の雰囲気で分かる。
彼は相当な大物貴族の子弟だ。
若干の沈黙が流れたので、ムザブは言いにくいことだったのかと思ったのだが、
「いや……どうやったら全員を殺せるか考えていたんだ」
「!?」
流石のムザブも何を言って良いのか分からなくて、声を失った。
その沈黙を肯定的に受け取ったらしく、ウルガンドは穏やかに言葉を続ける。
「僕の一族の男はほぼ全員が武官をやっている。 女にも武術を教え込むし、武官になることを推奨するくらいなんだ。
勿論、上級生に目を付けられて虐められていることは家族に相談したのだけれど、『貴様もアニグトラーンの一人ならば恥を知れ! 責任なら全て我らが取る! 故にそのような慮外者共は皆殺しにせよ!』と散々に怒られてね……」
それじゃ後宮の女人達みたいだな。
大貴族って怖いな。
少しだけムザブは身震いした。
「お、おう……」
「けれど、人を殺すのって大変じゃないか。 特に士官候補生に与えられている短剣じゃ、相当上手くやらないとあの数は殺しきれないだろう? 僕の腕前じゃ、精々四人が限度だ。 かくなる上は罠なり毒なり用意しようか、いっそ愛用の刀を持ち込もうかと苦慮していたところにムザブが出てきてくれたんだよ」
一切、殺すことをためらっている声では無い。
殺すための手段手法について真剣に悩んでいた――どこか鋼のように芯が冷えていて、淡々とした声である。
「……そう、だったのか……」
「うん、本当に助かったよ。 これでもっと体を鍛える余裕が生まれた。 次やられたら相手を皆殺しにできるようにしないと」
この時期の若者特有の、恥ずかしさのある誇大空想病では無い。
これは、ウルガンドによるウルガンド自身への宣誓だ。
「人を殺したら、退学くらわないのか……?」
ムザブは勇気を出して聞いてみたが、ウルガンドは笑いながら答えた。
「まさか! これでもアニグトラーンは名門だから、それこそ皇族の方々や皇族の血を引く公家の方々相手の無礼じゃなければ、大体はどうとでもなるよ。
むしろ無礼打ちなら一族からは褒められるんじゃないかな? 『よくぞアニグトラーンの名誉を守った』って」
それからもムザブとウルガンドは暇つぶしに話をした。
リーセルブルユで今も起きていること、ムザブは一等武官になるために帝都に来たこと。
成る程ね、とウルガンドが何度か頷く気配がした。
「【天竜族】と戦う時の参考になるかは分からないけれど、僕は【地竜族】の血を引いている」
「あん? でも、ウルガンドには鱗なんて……」
見る限り、ウルガンドは色白の普通の少年である。
失礼だな、とウルガンドが呆れたような声を出した。
「アニグトラーンでも、鱗は生えている者とそうでない者で分かれているんだ。 僕はたまたま一枚も生えていないだけだ。 亡くなった祖母がエルデベルフォーニの王女だったのは間違いないから」
「なっ……!? 『王女』って――!」
大貴族だと聞いてはいたが、まさか他国の王女が嫁いでくるほどだとはムザブも思っていなかった。
けれどウルガンドは少しだけ勘違いしたようで、
「そう、【地竜族】にはちゃんと女がいた。 数十年前にエルデベルフォーニは疫病で滅びてしまったけれど、余所から女を拉致して子供だけ産ませて死なせるなんてことはしていなかったと聞いている。
ただ、人間とは決定的に異なるところがあるんだ」
少し黙ってから、ウルガンドは話し出す。
「【祝福】さ。
かつて【地竜族】の先祖は、罪を犯した神が購いのために人の体に宿っていた時にとても親切にしたらしい。 神はそのお礼として一族に【祝福】を――【屈強】を授けて下さったんだって」
「それは、どんな力なんだ?」
「文字通り体が頑丈になる力だ。 最悪、手足を切り落とされても再生するらしい」
ムザブは納得した。
武官ばかりのアニグトラーン一族にとっては、喉から手が出そうなくらいに欲しい【祝福】だったのだろう。
「でも……祖母は三人目の出産の時に……」
祖父はそれから数十年間、独り身を貫いているのだとウルガンドは言った。
突如ざらりと無遠慮に首筋を舐められたような不快感と、声にならぬ苛立ちがムザブを襲った。
「……。 嫌だな、そう言うの」
呟いて、苦い唾を吐いた。
二人は究極の退屈と居心地の悪さを忘れるかのように、色々と話を続けた。
「座学が退屈で耐えられないというムザブの気持ちは分かるけれど、それはただの子供の甘えだね」
ウルガンドは冷静に指摘されて、ムザブは怒るよりも先に驚いた。
「甘えだ? 子供の? ――この俺が!?」
「だってムザブ。 君は将来、軍隊を率いて【天竜族】と戦うつもりなんだろう?」
ああ、とムザブは頷く。
「それが俺の目標だからな」
「聞くけれども、一度も勝ったことの無い相手と戦う軍隊をどうやって指揮するつもりだい? 指揮官がよほどに優秀でなければ、戦いの始まる前に戦列は崩壊するし、兵士は逃亡するだろうよ。
ムザブ。 そんな極限の状況下で――士官学校の成績が最悪だった指揮官と最優秀で卒業した指揮官、どちらに兵士は従うと思う?」
ぐうう、とムザブは唸ったが吠えなかった。
ウルガンドの言葉の何もかもが正論で合理だったからである。
「……俺が間違っていた。 そうだった、俺がやらなきゃならないのに俺が甘えてどうするんだって話だよな」
おや、とウルガンドは意外そうな反応をする。
「……素直に謝れるんだね。 てっきり噛みついてくるかと思ったのに」
ムザブはそこまで狭量で単純な少年ではない。
単純に暴力だけでなく、圧倒的なカリスマと悪知恵と勘働きで、悪童を率いてその頂点に君臨していた経験があるのだから。
「だってウルガンドの言ったことは合理的だろ。 よく利くのに苦い薬を嫌がる病人にちゃんと飲めって言っているようなもんだ。
それに、目上相手に臆さずにそういうことを言えるヤツの言葉は何より貴重なんだぜ」
返事が来ると思っていたのに、謎の沈黙が流れた。
あまりにもウルガンドが沈黙していたので、ムザブでさえとうとう心配になったのだが、
「生意気だと叩かれることはあったけれど、そうやって認めてくれたのは……僕の一族以外ではムザブだけだよ」
そんなことを言われてしまったので、恥ずかしいような気まずいような――ムザブは妙ちくりんな気持ちになってしまったのだった。
次の日、解放された彼らはすっかり仲良くなっていた。
ムザブとウルガンドの終生の友情は、ウルガンドの子とその孫にまで強い影響を及ぼす。




