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TOKYO PMC  作者: ヒロセカズヒ
ニューロン
23/24

見える

 国立医療センターの検査室で、主治医の田中は画像を見ながら首を傾けた。


 三度見た。結果は変わらなかった。


「水無瀬さん」と田中は言った。「少し確認させてください。今、デバイスなしで、私の顔が見えますか」


「はい」と芙由は言った。「白衣を着た人が、椅子に座っています」


「私の顔は」


「眼鏡をかけています。少し疲れた顔をしています」


 田中は眼鏡を触った。


「正確です」と田中は言った。「信じられませんが、正確です」


---


 画像を同僚に見せた。


「これを見ろ」と田中は言った。


 同僚が画面を見た。


「視覚野の周辺だな」と同僚は言った。「これは——」


「デバイスの信号を取り込もうとしていたニューロンが、アポトーシスしている」と田中は言った。「デバイスが不要になったと判断したんだ」


「脳が、自分でデバイスを切り離した」


「そうです」と田中は言った。「代わりに、視覚野そのものが再構成されています。デバイスなしで機能するように」


 同僚が画像から顔を上げた。


「治験データとしては」


「予想をはるかに超えた成果です」と田中は言った。「ただし——」


 田中は画像を見た。


「これは私たちの設計通りではない。脳が自分で判断した結果です」


---


 経産省の技術審査官、中村は報告書を三回読んだ。


 読むたびに頭痛がした。


「つまり」と中村は言った。「デバイスが不要と判断されたら、ニューロンネットワークから外れる、ということか」


「そうです」と部下は言った。「脳側が自律的に判断します。こちらの制御が及ばない」


「電脳化の研究にとって、これは」


「新しい課題です」と部下は言った。「脳はデバイスを道具として使うが、必要がなくなれば捨てる。人間がスマホを買い替えるのと同じように」


 中村は窓の外を見た。


「ただし」と部下は言った。「水無瀬さんは見えるようになりました。これは素晴らしい成果です。どう評価するかは別として」


「そうだな」と中村は言った。しばらく間があった。「そうだな」


---


 芙由は病院の廊下を歩いていた。


 見えていた。


 白い廊下。窓から光が入っていた。人が歩いていた。顔が——まだよく分からなかった。顔は難しかった。輪郭は見えるが、誰が誰か分からなかった。


 それでも、見えていた。


 自動販売機の前を通った。


 立ち止まった。


 缶コーヒーを一本買おうと思った。お金を入れた。パネルを見た。ボタンを押した。


 缶が落ちてきた。


 普通に落ちてきた。


 芙由はしばらくその缶を持っていた。


 自動で選んでくれない。ボタンを押さなければならない。当たり前のことだった。

  当たり前のことだけど——少し寂しかった。


---


 病院の外に出た。


 春だった。桜がまだ少し残っていた。見えた。ちゃんと見えた。


「フユ?」


 声がした。


 男の子だった。同い年くらい。背が高かった。学校の制服を着ていた。


「タケル?」と芙由は言った。


「なんだ、分かったのか」とタケルは言った。「見えるようになったんだ」


「そうだよ」と芙由は言った。「でも、まだ分からないことだらけなの。特に顔が難しくて」


「俺のことは分かったじゃないか」


「あれ?」と芙由は言った。「そうだね。なんでだろうね」


 タケルが少し考えた。「さあ」


「あ」と芙由は言った。「入院前に、顔を触らせてくれたじゃない」


「ああ」とタケルは言った。声が少し変わった。


「あれで分かったんだと思う」と芙由は言った。「記憶と一致した」


「そうか」


「ねえ」と芙由は言った。「もう一度触らせて」


 間があった。


「……バカ。いやだよ」


「なんで?」


「なんでも」


 タケルが顔を横に向けた。芙由にはその顔がよく見えた。耳が赤かった。


「なんで赤いの」と芙由は言った。


「赤くない」


「赤いよ」


「うるさい」とタケルは言った。「病院来たのか。もう退院したんじゃないのか」


「検査だよ」と芙由は言った。「タケルは?」


「祖母の見舞い」


「そっか」


 二人でしばらく桜を見た。


「見えるって、どんな感じ」とタケルは言った。


「まだよく分からない」と芙由は言った。「でも——」


 芙由は桜を見た。


「きれいだと思う。花ってこういう形なんだね」


 タケルが桜を見た。


「そうだな」とタケルは言った。


 春の光の中で、二人は並んでいた。



―― 番外編3 了 ――

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