あばよ
事件から二週間後、浅草に行った。
特に用事はなかった。ただ、一度行っておこうと思っていた。
あの銭湯には営業中を示す暖簾は出ていなかった。
ボイラーも止まっているのか、煙突から煙が出ていない。
入口は施錠されていた。
張り紙があった。
「諸事情により閉店いたします。長年のご愛顧ありがとうございました」
日付は一週間前だった。
俺はしばらく銭湯の前に立っていた。
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近所の煙草屋のおばあさんに聞いた。
「ああ、あそこね」とおばあさんは言った。「急だったわよ。夜逃げみたいにいなくなっちゃって。番台のおばちゃんとも仲良かったから、一言くれればよかったのにって思ってるんだけどね」
「いつ頃からいなくなりましたか」
「先週の頭よ。朝来たらもうしまってて。荷物も全部なくなってたって話」
「どこに行ったか分かりますか?」
「さあ」とおばあさんは言った。「あの人たち、そう言えば、あの人たちの素性、聞いてなかったわ。すごく感じはよかったんだけどねぇ」
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スマホを確認した。
ケンとのLINEを開いた。
最後のメッセージは事件の翌日だった。「あの子のこと、頼むわ」「分かりました」。それ以降、既読のマークもついていなかった。
電話をかけた。
繋がらなかった。
もう一度かけた。
繋がらなかった。
番号が変わったか、端末を処分したか。どちらかだった。
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虎ノ門のオフィスに戻った。
渋谷のデスクに郵便物が積んであった。渋谷が「お前に届いてたぞ」と言って一枚の郵便物を渡した。
葉書だった。
表は俺の名前と虎ノ門のオフィスの住所だけ。送り主の名前はなかった。消印が読めなかった。
裏を見た。
写真がプリントされていた。
南国らしいビーチだった。青い海、白い砂浜、ヤシの木。その手前に、三ツ矢サイダーの瓶が一本、砂浜に刺さるように置かれていた。
文字が一言だけ書いてあった。
「あばよ」
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俺はしばらく葉書を見ていた。
渋谷が横から見た。
「知り合いか」と渋谷は言った。
「そうです」と俺は言った。
「元気そうじゃないか」
「そうですね」
渋谷が、また仕事に戻った。
俺はグラスのフレームに触れた。
葉書をデスクの引き出しにしまった。
三ツ矢サイダーの瓶が、青い海の前に立っていた。
―― 番外編4 了 ――




