第十三話「好きなことをして生きていく」-5-
それは、単なる浄化の技ではなかった。
仲間と夢を守るという強い意志が込められた、巨大な炎の波濤。
ブラフザールは、迫りくる凄まじいエネルギーの奔流を、侮ることなく真正面から受け止める構えを見せた。両腕をクロスさせ、黒拳を構える。激しい光と熱がぶつかり合い、ビルの屋上全体が轟音と共に激しく揺れる。衝撃波が周囲のビルに反響し、夜の静寂を切り裂いた。
すべての力を放ち尽くしたリアスピサに、その反動と衝撃に耐える力は残っていなかった。
ふらつき、その場に膝をつく。
荒い息をつきながら、炎の奔流が消えた先を見据える。
「へへっ、……どんなも——」
言葉が途切れた。
爆炎と煙がまだ収まらぬ中で、黒い人影が、まるで何事もなかったかのように、堂々と立ち尽くしていたからだ。
コツ、コツ……と、硬い靴底がコンクリートを踏む音が、やけにはっきりと響く。
やがて煙が晴れ、ブラフザールの姿が現れた。
彼はわずかに息を切らしているようにも見えたが、目立った外傷はない。
装着していた黒いグローブが、わずかに焦げ付き、赤い宝石の輝きがかすかに鈍っているのが見て取れる程度だった。
膝をつき、愕然とした表情で自分を見上げるリアスピサを、ブラフザールはしばし無言で見つめていた。
そして、静かに口を開く。
「……フン。ぬるいな。君の炎は、その程度の熱量か?」
その声には、失望とも、単なる事実の指摘とも取れる響きがあった。
「……バケモンが」
リアスピサは、掠れた声で吐き捨てた。
デシリア三人がかりでも、決定的なダメージを与えられない。全力を込めた一撃すら、この男には通用しない。
「確かに、幾多もの死線を掻い潜り、命の危機を恐れる本能すらも麻痺させた吾らは、純粋な人間というより、化け物に近い存在なのかも知れぬな」
ブラフザールは、自嘲するように、あるいは諦めたように言った。
「なるほどね」
リアスピサは挑戦的に口元を吊るし上げる。
「そんな化け物が、傭兵として誰かの言いなりになってるわけだ」
「そうだ」
ブラフザールは、かすかな寂寥を滲ませた声で答える。
「軍人や傭兵という人種は、君の言うように、誰かの言いなりとなって動き、死ぬ――そのような悲しき化け物だ」
ブラフザールは、どこか遠い目をして続ける。
「黒感情を目に見えるようにするなどという気味の悪い手術を受けさせられたときも、拒絶はしなかった」
「手術?」
リアスピサは顔を歪ませる。
「あんたの主がさっぱり分からねえな。すげえ発明をした科学者かと思ったら、ナーサは『英雄』だって言うし、今度は手術? マッドサイエンティストまっしぐらだな。そんな奴のどこが『英雄』なんだよ。そんな奴の言いなりで、本当にいいのかよ、おっさん」
「傭兵は主の人格で仕事を決めぬ」
「理解できねえな」
「故に、君の炎はぬるいのだ」
有無を言わせぬ重量を含む言葉。
彼女のような若者には出せぬ気迫。
誰もが気圧されるほどの覚悟。
しかし。
リアスピサは狼狽えるどころか、皮肉な笑みを浮かべた。
「……だったらさ。アンタの炎も、大概ぬるいぜ?」
「なに?」
ブラフザールの眉が、わずかにピクリと動いた。
「己の信念より、立場を優先する奴の魂が、熱いわけねえだろ」
「……」
ブラフザールは反論しなかった。ただ、黙ってリアスピサを見つめている。
やがて、彼はふっと息を吐いた。
「ふむ。それも一理ある。だが、それはあまりに若く青い考えだ。故に、自らが経験できる時間の短さ、有限性を、甘く見積もってしまうのだろう」
「確かに、時間は有限だ。ウチひとりでは、全部を完璧にこなすことなんてできない。でもな」
力を振り絞り、震える脚を踏ん張らせ、立ち上がる。
膝をついたままではいられない。
「ウチには、優菜と瑞季、ヒナがいる。助けてくれる仲間がいる。ひとりじゃないから、きっと乗り越えられる。……ウチは、そう信じてる」
「……ほう」
ブラフザールは、理解を超えたものを見るような目でリアスピサを一瞥すると、静かに呟いた。
「この世界の住人に、空の邦の王子を救う価値があるとは、到底思えぬな。まったく……この世界の人間の思考回路というものは、どこまでも珍妙なものだ。——リアスピサ」
その声には、わずかにだが、先ほどまでとは違う響きがあった。
「君の勉学に励もうとする姿勢に免じ、今日は退いてやろう」
「……は?」
予想外の言葉に、リアスピサは呆気に取られる。
「その程度の熱では、本当に護りたいと思うものを、護ることなど叶わぬだろう。しかし」
ブラフザールは、彼女の瞳の奥にある炎を見据える。
「素質はあるようだ。自らの魂の炎を、さらに磨け。いつか、その炎が吾輩の炎をも超える日を期待している」
それが、彼の最後の言葉だった。
次の瞬間、彼の姿は淡い光と共に掻き消え、ビルの屋上には冷たい夜風の音だけが残された。
「……転移って、体力を大きく消耗する、って言ってたよね」
リアハイリンが呟く。
つまり、その分の体力は、まだ残していたということ。
痩せ我慢で立っていたわけではない。
大敗だ。
三人体制になってから初めての敗北だった。それも、スレイヴではなく、メルキーヴァのように特殊な能力を持つ相手でもなく、ただひとりの人間に負けた。
リアスピサは再び膝をつき、手をついて、俯いたまま変身を解いた。
優菜は、瑞季と支え合いながら星輝の元へ歩いていた。デシリアの変身を解くと、それまでの痛みは消えたが、身体がぐったりとして、ひとりでは歩けなかった。
また、彼女は先ほどの戦いの会話を反芻することに意識を奪われてもいた。
——バンド……音楽隊のことか。そのような浮ついたものにかまけているから、平均点を取らねば辞めさせられる、などという事態に陥るのではないか?
平均点を取らなければ、バンドを辞めさせられる——そのことを、口にしていたっけ?
細かい会話の内容までは正確には思い出せない。星輝が、無意識のうちにポロッと口にしていたのかもしれない。
もし、そうでなかったとしたら——。
その答えを、彼女は見出せなかった。




