第十三話「好きなことをして生きていく」-4-
夜風が吹き抜けるビルの屋上。眼下に広がる無数の光とは対照的に、デシリアとブラフザールの間には、一触即発の空気が張り詰めていた。
「ハイリン。ふたりで一斉に攻めるぞ。マイムは後方支援頼む」
リアスピサが短く指示を出す。
「了解!」
リアハイリンが力強く応じ、リアスピサと同時に地を蹴った。
左右から挟み込むようにブラフザールへと突進し、タイミングを合わせて渾身の拳を繰り出す。
だが、ブラフザールは迫りくるふたつの拳を、こともなげに左右の黒いグローブで受け止めた。ピタリ、と寸分の狂いもなく動きが止められる。衝撃は完全に殺され、リアスピサとリアハイリンの腕に痺れるような感覚だけが残った。
「……どうした、デシリア。その程度か」
ブラフザールは表情ひとつ変えずに言い放つ。
圧倒的な実力差を、まざまざと見せつけられた気がした。
「まだまだ!」
リアスピサが叫び、掴まれた腕を強引に引き抜こうとするが、びくともしない。
それなら——。
ふたりは掴まれた状態から、空いている方の腕や脚で、怒涛の連撃を叩き込み始めた。
あらゆる角度からの攻撃。
ブラフザールは最小限の動きでそれらを的確に受け流していく。激しい嵐の中で揺るがない古木のように、その中心は微動だにしない。
「くそっ!」
焦りを感じ、至近距離から右手に炎を集束させた。
「これならどうだ!」
掴まれていない方の手で、ブラフザールの腹部目掛けて高密度の火の玉を叩きつける。
至近距離での爆発。
轟音と共に熱風が吹き荒れる。
しかし、ブラフザールは黒いグローブで爆風をガードし、一瞬たりとも怯むことなく、逆にリアスピサのがら空きになったおなかへ、重い拳を叩き込んだ。
「ぐはっ!」
リアスピサは数メートル吹き飛ばされ、コンクリートの床を転がる。
「スピサ!」
リアハイリンが叫ぶ。
「いてて……」
リアスピサは頬を押さえながら、なんとか立ち上がった。
「大丈夫だ、ハイリン。心配すんな。テスト前なんだ! こんなところでやられてる場合じゃねえんだよ! ウチは立ち止まらねえ!」
「ほう」
ブラフザールが、わずかに興味を示したように目を細めた。
「勉強に励んでいる、と。それは偉いではないか」
「だろ? 偉いんだよ、ウチは。だから、今は見逃してくんないかな? マジで時間ないんだって。点数悪かったらバンドやめさせられるんだ」
リアスピサは半ば本気で頼み込むが、ブラフザールは首を横に振る。
「その程度の理由のために、任務を放棄する吾輩ではない」
ブラフザールはフン、と鼻を鳴らした。
「バンド……音楽隊のことか。そのような浮ついたものにかまけているから、平均点を取らねば辞めさせられる、などという事態に陥るのではないか? むしろ、ちょうどよい機会であろう。音楽などという時間の無駄もデシリアもきっぱりとやめて、学生の本分である勉強に集中すればよい」
「ふざけるな! バンドは、ウチの夢なんだよ!」
リアスピサが激昂する。
だが、ブラフザールは冷徹に言葉を続けた。
「仮に、今回テストでどうにか合格点を取って、その音楽とやらを続けられたとしよう。だが、どうせ次のテストでまた同じ試練に直面することになるはずだ。テストが終わればまた音楽にかまけ、学業を疎かにし、次のテスト前になって慌てて苦しむ……。違うか?」
「それは……」
図星だった。
ブラフザールの言葉は、彼女の痛いところを的確に突いてくる。
そこで生まれた隙を、ブラフザールは見逃さない。右手の黒拳が、禍々しい赤い光を放つ。
「!」
炎を纏った拳が、動揺するリアスピサの腹部に深々と叩き込まれた。同時に、近くにいたリアハイリンも、その衝撃波に巻き込まれる形で吹き飛ばされる。
「スピサ! ハイリン!」
後方からリアマイムの悲鳴が聞こえる。
吹き飛ばされ、激しく咳き込みながらも、リアスピサとリアハイリンはなんとか体勢を立て直した。
ブラフザールは、ゆっくりとふたりへ接近する。
「一夜漬けのような、その場しのぎで忘れやすく、苦しいだけの勉強を繰り返して、何の意味があるというのだ? 学生時代の勉強とは、本来、次の段階……より高度な知識や技術、あるいは社会へと挑戦するための基礎を築き、未来へ向けて着実に積み重ねていくことにこそ、真の価値があるのだろう。君のやり方では、未来に何も積み重ねることはできぬのではないか?」
リアスピサは言葉に詰まる。反論できない。ブラフザールの言うことは正論であり、真理。
「無駄な道楽や遊びなどに現を抜かさず、真に己が為すべきこと、未来への礎となるものを、着実に積み重ねていくべきであろう。それが、道理というものだ」
ブラフザールの言葉が、彼女の心を抉っていく。
バンドも、デシリアとしての戦いも、もしかしたら本当に、無駄なことなのかもしれない。もっと、やるべきことがあるんじゃないか……。
そんな弱気が、心の隅から鎌首をもたげる。
しかし、
「……そんなこと、ない!」
リアマイムが、水の盾を構えながら叫んだ。
「星輝は、どっちも本気で頑張ってる! あなたの言う道理だけが、すべてじゃない!」
「マイム……」
リアマイムの声に、リアスピサははっとする。
そうだ、諦めてどうする。
「黙れ、小娘」
ブラフザールはリアマイムを一瞥すると、右手の黒拳を地面に叩きつけた。赤い宝石が閃光を発し、地面から灼熱の炎の柱が数本噴き上がる。
リアマイムは咄嗟に水の壁で防御するが、炎の勢いに押され、後退を余儀なくされる。
「マイムに手を出さないで!」
リアハイリンがブラフザールの背後から飛びかかり、蹴りを叩き込む。しかし、ブラフザールは振り返ることなく、左手のグローブでその蹴りを受け止め、そのままリアハイリンの足を掴んで投げ飛ばした。
再び立ち上がったリアスピサは、目の前の光景に唇を噛み締める。
強い。
圧倒的に強い。
そして何より、言葉が重い。
ブラフザールの言うことは、一見、正しいように聞こえてしまう。
……でも、本当にそうか?
「——ウチは、バンドを続ける!」
リアスピサは、腹の底から声を絞り出した。
「勉強だって、ちゃんと続けて、未来に向かって進んでいく! どっちもやる! それでいいだろ!」
「愚論だな」
ブラフザールは即座に切り捨てる。
「時間は有限だ。それくらいは分かっておろう」
昼間の教室で居眠りしていた自分の姿が脳裏をよぎり、リアスピサはぐっと言葉に詰まる。
「そもそも、学生の身であり、己の課題すら満足にこなせぬ君たちが、他所の世界のために命を懸けて戦っていること自体が、片腹痛いというものだ。大人しくそのデシリル・ジェムとデシリル・アンプを吾輩たちに引き渡し、学業に専念すべきだ。どうしても音楽とやらを続けたいのであれば、それこそ、このデシリアなどという道楽こそが、おまえが最も先にやめるべきことではないのか?」
「……ふざけるな!」
リアスピサの全身から、怒りと決意の炎が立ち昇る。それは、ブラフザールの正論めいた言葉に対する、魂からの反発だった。
「ウチは! 好きなことをして生きていくって決めたんだ! 音楽も! デシリアになって、優菜や瑞季と一緒に戦うことも! 全部ウチの夢の途中にある壁なんだよ! だから、ウチは音楽も! デシリアも! ……勉強も! 何ひとつ、逃げねえ!!」
その声は、夜のビル街に響き渡る。
「それに、ヒナは他所の世界の王子である前に、ウチの大事な友達なんだ! 友達が困ってんのに、放っておけるわけねえだろうが!!」
その叫びに呼応し、リアハイリンは渾身の右ストレートを、リアマイムは水の槍を生成し、ブラフザールの左右から同時に攻撃を仕掛けた。
ブラフザールは左手でリアハイリンの拳を、右手で水の槍を掴む。
「スピサの言うとおり!」
「わたしたちがあなたたちと戦う理由なんて、友達が困ってるから助ける、ってだけで充分なんだから!」
リアハイリンもリアマイムも、自分の攻撃が少しずつブラフザールを押しているのを感じていた。——それが情けだとは知らず。
「若いな」
ブラフザールは左手を強く握る。リアハイリンが苦悶に唸ると、その身体が浮いた。そして、彼女はブラフザールの左腕一本により、水の槍へ投げ飛ばされた。その衝撃に、水の槍は砕け散り、ただの水飛沫となった。
「!」
体勢を崩したリアマイムに容赦ない蹴りを入れ、宙に浮くリアハイリンにぶつける。
ふたりは抵抗する間もなく、屋上の反対側のフェンスに叩きつけられた。
「ハイリン! マイム!」
仲間たちが一瞬で無力化された。実力の差は歴然だった。
しかし、リアスピサの瞳の炎は消えなかった。
むしろ、その炎はさらに激しく燃え盛る。
リアスピサの全身から、これまでにないほどの熱い炎のオーラが噴き出した。
迷いを振り切り、己の信じる道を突き進むと決めた、覚悟の炎。
両手を天に掲げ、自身の持つ全ての力を、一点に集束させていく。ビルの屋上全体が、彼女の放つ熱気で陽炎のように揺らめいた。
「いくぞ、ブラフザール! これが、ウチの答えだ!! 『黒き感情、燃え尽くせ。デシリア・セイリング・ファイア!』」




