第十二話「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の」-6-
スレイヴは巨体に似合わぬ速度で、軌道を読ませぬまま疾走する。スレイヴの周囲を衛星のように巡る巨大なかるた札が、次々と撃ち出される。
水の盾が悲鳴を上げるような音を立てて軋む。
攻撃は苛烈を極めた。息つく暇もない。
直線的とはいえ、札はどこから飛んでくるか予測できない。
盾越しに揺らぐスレイヴの姿を見失った、その一瞬。
死角となった背後から、鋭い殺気が肌を裂いた。
「させねえ!」
リアスピサの炎弾とリアハイリンの蹴りが、寸前で凶器を粉砕した。
火花と破片が舞い散る中、リアマイムは叫んだ。
「鳥羽さん。今日はどうしてあんなに悔しそうだったの?」
スレイヴから放たれる禍々しいオーラ。そこには敵意だけでなく、自暴自棄に近い感情が渦巻いている。
優菜はかるたで茜と何度も戦ってきた。実力は常に拮抗しており、勝つこともあれば負けることもあった。茜は負けるといつも心底悔しそうな顔をするけれど、それをいつまでも引きずることはなく、最後には必ず「次は絶対に勝つから」と、カラッとした挑戦的な笑みをこちらに向けてくれる、そんな好敵手だった。
しかし、今目の前にいるスレイヴからは、優菜への敵意だけではない、投げやりな自暴自棄の感情が色濃く感じられた。いつものように試合に負けただけでは、こうはならない。
あんなふうに涙を流すのも初めて——。
リアマイムの問いかけが届いたのか、スレイヴの動きが一瞬止まる。
だがそれは、次なる行動への予備動作に過ぎなかった。
嵐のように札が飛び交う中、スレイヴ本体が突っ込んでくる。
リアマイムは盾を構えるが、スレイヴの行動は予想外だった。
黒い両手が、展開された水の盾を力任せに鷲掴みにしたのだ。
「!?」
盾が軋み、水飛沫が飛散する。力ずくでこじ開けようとする膂力に、リアマイムの足がアスファルトを削る。
至近距離。のっぺらぼうの顔の奥にいるはずの少女へ、もう一度問いかける。
「何があったの!? 教えて、鳥羽さん!」
その激しい抵抗の中に、空間が歪むように、悲痛な声が響き始めた。
《うるさいッ! 顔も性格もカルタの腕前も完璧なあんたなんかに、私の気持ちが分かってたまるか!》
紛れもない、茜の声。
心の叫びが直接脳内に流れ込んでくる。
《今日が……! 今日が最後だったのに……ッ!》
「最後?」
リアマイムは息を呑んだ。
「どういうこと? 鳥羽さん」
《もうすぐ転校するんだ。だから今日しかなかった。今日が! 今日があんたに勝てる、最後のチャンスだったのに……!》
茜の慟哭。
転校するという事実。今日が最後の対決だったという現実。
だからこその、あの異様な集中力。そして、試合後の涙。
「やっぱり、そうだったんだね」
寂寥感が胸に刺さった瞬間、水の盾が崩壊した。
周囲に清らかな水の粒子がきらめく中、反動で仰向けに倒れる。
重量級の質量が、彼女の上に馬乗りになった。
振り上げられる巨大な拳。
「マイム!」
巨大なかるた札が飛び荒れる中、リアハイリンがスレイヴを蹴り飛ばそうとする。
しかし、
「鳥羽さんに攻撃しないで!」
リアマイムは助け船を拒否した。
「え」
リアハイリンの動きがぴくりと止まる。
振り下ろされた拳を、自身の腕をクロスさせて受け止める。
骨が軋むほどの衝撃。だが、彼女は耐えた。
「マイム!」
「ごめんね、ハイリン……! 鳥羽さんの攻撃を、自分の手で受け止めたかったの……!」
歯を食いしばりながら、目の前の怪物を見据える。
「今日の試合が、わたしたちの最後の試合だったんだね。もしそれを知ってたら、たぶん私は動揺して負けてただろうなあ」
彼女は、優しく素直な気持ちを伝えた。
「あえて教えなかったんだよね。ありがとう」
スレイヴの中にいる茜は、優菜を恨んでいるようなことを言っている。しかし、彼女の拳を受け止めたリアマイムは、その奥にある本当の気持ちを、確かに受け取っていた。
だからこそ、ここで終わらせるわけにはいかない。
至近距離からの水砲。
スレイヴの腹部に直撃し、その巨体が後方へ吹き飛んだ。
拘束から逃れたリアマイムは、砂煙を上げて倒れるスレイヴへ語りかける。
「鳥羽さん。初めて戦ったときのこと、覚えてる? わたしは、見事に負けた。口には出さなかったけど、すごく悔しかったの。だから、あなたに負けたくない一心で、わたしは本気でかるたと向き合うことに決めた」
いつのまにか荒れ狂っていた札は、すべて地面に突き刺さっていた。
誰も動かない戦場で、リアマイムは茜へ語りかけ続ける。
「あなたがいなかったら、あなたがライバルだと思う人はいなかった。だからわたしは鳥羽さんのことを感謝してるし、鳥羽さんが思ってる以上に、わたしはあなたを大切なライバルだと思ってる。そんな人が転校するって聞いて、悲しくないわけないよ。今日が最後なんて、わたしも嫌だ。……でもね、今日が最後じゃないよ」
リアマイムは優しくも、どこか挑戦的に微笑む。
「転校したって、かるたを続けていれば道は繋がる。わたし、決めたよ。鳥羽さんと再戦するまで勝ち続ける。だから鳥羽さんも勝ち上がってきて!」
《……く……あ……》
スレイヴがよろりと立ち上がる。
その拳が、再び高く振り上げられた。
細かく震える拳。
迷いを振り払うように、それは振り下ろされた。
轟音と共に、砂地が粉砕される。
リアマイムは瞬きひとつせず、噴き上がる土煙の中に立っていた。
拳は、彼女には当たらなかった。
それが答えだった。
「もう一回、戦おうね」
しばしの沈黙の後、茜のいつもの勝気な声が響く。
《次こそは、絶対に私が勝つ》
「うん!」
リアマイムはスレイヴの拳に触れる。スレイヴにはもう戦意が感じられなかった。
間合いを開け、静かに両手を胸の前に合わせた。集束した水のエネルギーが、純白の輝きを放つ。
その手をスレイヴへ向ける。
「『黒き感情、流れゆけ。デシリア・フライト・シャワー!』」
放たれた浄化の飛沫が、優しくスレイヴを包み込む。
どこか解放されたような叫び声を上げ、スレイヴの体は光の粒子となって霧散していった。
「ライバルとの別れが強い黒感情となった、か」
ブラフザールは、スレイヴが浄化されるのを高みから見下ろしていた。
彼の脳裏に、とある男の存在が浮かぶ。その人物と馴れ合ったことなどないし、言葉を交わしたことも数えられるほどしかない。だが、
「奴と戦うことはもう叶わぬ、か」
ブラフザールは重く息を吐いた。
「……やはり、スレイヴは気に食わぬ」
彼は物陰に隠れて戦場を覗く少女——アスラを一瞥し、拠点へ帰還した。




