第十二話「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の」-5-
模擬試合後、優菜は大広間の入り口の側で膝を立てて座っていた。彼女の隣には星輝が同じように座り、視線の先では瑞季とアスラが向かいあってかるたをしていた。アスラは案の定周囲の注目を集め、特に優しいおばさまたちに気に入られ、レクチャーを受けることになった。茜との試合で疲弊した優菜には、おばさまたちの優しさが頼もしかった。
試合には勝ったものの、優菜の気持ちは晴れなかった。泣きながら走り去っていった茜のことが気になっているのだ。
「どうしたんだろう、鳥羽さん」
そう呟くと、星輝が「足立先生がさ」と小声で話し始めた。
「さっき外で言ってたんだ。今日のくじは、茜ちゃんと優菜がペアになるよう細工してたんだって」
「え?」
「『今日だけは、どうしても戦わせてあげたかった』、ってさ。何か事情があるんだろうな」
そのとき、かすかだが遠くから不気味な轟音が聞こえた。建物に何かがぶつかって倒壊する様子を、優菜は反射的に思い浮かべる。今の音でそれを鮮明に想像したのは、優菜と星輝、瑞季だけだろう。
スレイヴだ。
彼女たちは互いに目配せし、頷きあう。その隙にアスラが瑞季の手元にある札を取り、おばさまたちが湧いていた。
優菜と星輝は手元に置いたバッグからデシリル・アンプを取り出し、立ち上がる。まだアスラと札を囲んでいた瑞季は、おしりのポケットからスマホを取り出し、「ごめん、親から電話かかってきちゃった。ちょっと長引いちゃう心当たりがあるから、どなたか代わりにアスラちゃんの相手をお願いします」と小芝居を打ち、スマホを耳に当てながら、壁際に置いているバッグへ向かう。
優菜と星輝が先に大広間を出て、追って瑞季も出てきた。三人は玄関で靴を履き、外へ飛び出す。
「さっきの小芝居、ちょっと無理やりだったかな」
「ううん、いいと思う。そういえばヒナは?」
「今日は家で呑気に寝てるよ」
けたたましい金属音と、何かが崩れ落ちるような地響きが連続して轟いた。同時に、鳥が一斉に飛び立つ羽音が聞こえ、遠くで誰かの短い悲鳴が上がる。そして、スレイヴ特有の地響きのような唸り声が聞こえた。音は近い。
おそらく現場付近は人目を集めている。変身後の姿は見られてもいいが、変身するところを見られるわけにはいかない。彼女たちは物陰でデシリアに変身し、駆けた。
デシリアと生身の人間では走る速度がまるで違う。ものの十数秒でリアマイムたちは公園の入り口に辿り着いた。
そこから見える光景に、三人は息を呑む。
入り口の金属柵は歪み、古びた滑り台はあらぬ方向に捻じ曲がっている。かつて子供たちの笑い声が響いていたはずの砂場には、まるで隕石でも落ちたかのようなクレーターが穿たれていた。ベンチは木っ端微塵に砕け散り、周囲の木々は何本も根元から薙ぎ倒されている。
そして、その破壊の中心に、ソレはいた。
身長はリアマイムたちの倍以上、およそ三メートルはあろうか。巨大な少女の姿をした異形の存在。顔には目も鼻もないが、憎悪と破壊衝動をたぎらせているのは一目瞭然だ。
その両手には、黒く薄い長方形の物体が数枚握られていた。優菜たちの胴体と同じくらいの大きさだった。
「第二世代……!」
リアハイリンが呟く。前回戦ったのは物体や動物を媒介にし、召喚主が操る第一世代スレイヴ。そして、今回は人の負の感情、通称『黒感情』を媒介にして召喚される第二世代。力は第二世代の方が強いという。
つまり、今日もヘヴンは誰かの心を兵器として利用したのだ。
リアマイムは怒りを拳で強く握る。
同時に、彼女は感じ取っていた。今回のスレイヴから漂う、どこか切実な痛みを伴った気配を。
スレイヴが、ゆっくりと顔を上げた。黒紫色に塗りつぶされた顔の内に秘めた見えない双眸が、公園に踏み込んできた三人のデシリアを捉える。
「来たか、デシリア」
頭上から声が降ってきた。
民家の屋根の上に、筋肉隆々の壮年の男が立っている。
「ブラフザール!」
リアハイリンは力強く一歩踏み込み、怒りにまかせて噛みついた。
「あんたねえ、いい歳してわざわざそんな高いところに上るんじゃないよ!」
「無駄話している場合か?」
ヒュンッ、と鼓膜を裂く音が鳴った。
「っ!?」
スレイヴの手から放たれた長方形が、電動鋸のような回転音を上げて迫る。
最初に反応したのはリアスピサだった。
両手を突き出し、炎の弾丸を連射する。
爆ぜる音と共にスレイヴの放った物体の軌道が逸れ、リアマイムたちの頭上を通過した。
「ナイス、スピサ!」
リアハイリンは地面を蹴った。一気に距離を詰め、その懐に飛び込む。
だが、拳を振りかぶるよりも速く、スレイヴは持っていた板を地面に叩きつけた。
腹の底に響く重低音と共に、黒い衝撃波が炸裂する。
「くっ……!」
吹き飛ばされるリアハイリンへ、スレイヴは間髪入れずに追撃の札を投げ放つ。
「危ない、ハイリン!」
リアマイムが叫び、両手をかざす。瞬時に展開された水の盾が、回転する凶器を受け止めた。
こんな飛び道具を使うスレイヴは初めてだった。ということは、このスレイヴを知るためには、それが大きなヒントになる。
改めてそれを見ると、その長方形の物体の縦横比には既視感があった。
「……札?」
一度それに見えると、もうそれにしか見えない。
あれは、百人一首の札だ。
確信が、リアマイムの中で形になっていく。
「まさか……鳥羽さん?」
え、とリアハイリンとリアスピサが短く発する。
スレイヴの肩がぴくりと震え、ゆっくりとリアマイムへ顔を向けた。
数秒の沈黙。
突如、スレイヴが咆哮した。
それは復讐の叫びであり、同時に子供の癇癪のようでもあった。
スレイヴが突進してくる。
「させない!」
リアハイリンが割って入ろうとするが、スレイヴは巨大な札を大団扇のように振るい、爆風で彼女を吹き飛ばした。援護の火球もまとめて叩き落とされる。
標的は、リアマイムただひとり。
右から、左から。巨大な札が暴風のように叩きつけられる。
リアマイムは水の盾で防ぎ続けるのが精一杯だった。
両手の札でリアマイムを叩き続ける様は、どこか駄々をこねる子供じみていた。怒りや憎悪というよりは、悔しさや悲しみのような。
「鳥羽さん! 聞こえる!?」
リアマイムの叫びは届かない。
スレイヴの全身から黒いオーラが噴き出し、腕力が倍加した。ついにリアマイムの水の盾が砕け散る。
「きゃっ!」
「マイム!」
防御を失った生身に、硬質な札が直撃した。
脳が揺れる。身体が宙を舞い、地面に叩きつけられてバウンドする。
全身を走る激痛。
だが、意識は飛ばさない。
地面に手をついた瞬間、リアマイムは真下へ水柱を放ち、その反動で高く跳び上がった。
スレイヴから声を聞き、浄化するためには、防戦一方ではいけない。
「ごめんね!」
上空から、大砲のような水鉄砲を撃ち下ろす。
スレイヴが回避行動を取ろうとした瞬間、
「逃がさない!」
横から飛び込んだリアハイリンが、体当たりでスレイヴを水の射線へ押し戻した。
強烈な水圧の直撃を受け、巨体が吹き飛ぶ。
砂煙が舞う中、スレイヴは倒れたまま動かない。
だが、異変は起きていた。
砂煙の奥で、カサカサという無機質な音が響く。
一枚、また一枚。
スレイヴの周囲に、黒い長方形が浮かび上がっていく。
十枚、二十枚、三十枚……その数は異常な速度で増殖していた。
着地したリアマイムの隣に、仲間ふたりが駆け寄る。
「ウチの直感が正しければ、あれはやばそうだな」
「奇遇だね、私の直感もそう言ってる」
「たぶん、百枚まで増えるよ」
予言は、すぐに現実となった。
空が、黒く塗りつぶされた。
スレイヴがゆらりと立ち上がる。その背後には、空を埋め尽くすほどの巨大な札が展開されていた。
百の凶器が、一斉に切っ先を三人に向けた。




