第十一話「風鈴」-6-
瑞季と優菜が急いでテラスカフェへ戻ると、彼女たちが出ていく前と変わらぬ様子でアスラが美しい姿勢で座り、青空を見上げていた。その膝の上には瑞季のバッグがあった。
「アスラちゃん!」
「瑞季さん、優菜さん。おかえりなさい」
彼女の笑顔を見て、瑞季はようやく日常に戻ってきたのだと実感することができた。
「瑞季さんのバッグは私が守っておきました」
「あり、がとう……?」
瑞季が席に着くと、アスラは彼女にバッグを渡した。
「外国の人から見ると、バッグを持たずに席を立つのは不用心なんだって」
そんな優菜の肩にはバッグがかけられていた。
「あー、なるほど。ありがとね、アスラちゃん」
「どういたしまして」
優菜も席につき、「ひとりにさせちゃってごめんね」と手を合わせた。
「いえいえ。おふたりは合流できたんですね」
「うん。さっき偶然会ったの。せっかくの休日なのになんかバタバタさせちゃってごめんね」
「とんでもないです。すごく楽しかったです」
瑞季は冷めたストレートティーとケーキの残りを見つめる。ケーキを頬張ると「おいしい……」と呟き、ストレートティーに口をつけた。
「瑞季が残りを食べ終わったら、出る? もういい時間だし」
「そうですね。今日はありがとうございます」
アスラは深々と頭を下げる。彼女が顔を上げると、優菜は月の光のような優しい笑顔を見せた。
「こちらこそ、楽しかったよ。また遊ぼうね。……あれ? そういえば伝票は」
瑞季は口の中のものを全て喉に流し込み、テーブルを見渡す。伝票はどこにもなかった。
すると、アスラが「ふふふ」と笑った。
「おふたりが留守の間に払っておきました」
「あ、ごめんね!」
瑞季と優菜はバッグから財布を取り出そうとするが、アスラが「大丈夫です」と制した。
「お誘いいただいてありがとうございます、の気持ちだと思ってください」
そう言われると、財布からお金を出すのは野暮だろう。優菜も瑞季も財布をバッグにしまった。
「そっか。こちらこそありがとう! ごちそうさまです」
「ごちそうさま。ありがとね、アスラちゃん」
「こちらこそ、また誘っていただけるとたいへん嬉しいです」
駅の改札前まで辿り着いたが、繋市へ戻る電車も、アスラが乗る逆方面の電車も、駅に来るのは十分以上経ってからだった。
「ここで少しだけお話ししてく?」
「はい。喜んで」
「アスラちゃんは普段、休日に何をしてるの?」
そうですね、と頷きながらアスラは少し上を向き、人差し指を顎に当てて考えた。
「主におうちのことや勉強をしています。ときどき日本のアニメを見たりもしますね。優菜さんは、休日どのようなことをしていらっしゃるのですか?」
「そうだなあ。学校の授業の予習復習とか、アニメ見たりとか、かるたとか」
それを聞いて、瑞季は「かるた?」と首を傾げた。
「あれ? 競技かるたをしてるって瑞季に言ってなかったっけ」
「初耳。競技かるたって、あのバチーンって畳叩いてカード吹き飛ばすやつ?」
「語弊はあるけどだいたい合ってる」
瑞季は着物を着てかるたの札を弾き飛ばす優菜を想像した。その妄想上の姿にうっとりし、思わず「和服美人こそ至高」と呟いてしまっていた。
「和服は着ないよ」
やんわり優菜に指摘される。
「かっこいいなあ」
「ありがと。アスラちゃん、かるたは分かる?」
「いいえ。日本の遊戯ですか?」
「うん。百人一首っていう昔の歌が書かれたカードを使ったゲーム」
「昔の日本の歌……興味があります。私、音楽も好きなので」
「音楽とはちょっと違うかも知れないけど」
優菜は苦笑気味に微笑む。
アスラは困惑した様子で首を曲げた。
「音楽ではないのに、歌なのですか」
「詩、って言った方が近いのかな。リズムのある詩、みたいなイメージ」
アスラはうんうんと頷き、柔らかな笑顔を輝かせた。
「詩なら分かります。とても興味が湧いてきました」
「じゃあ今度一緒にやろうよ。教えたげる」
「はい。ぜひお願いいたします」
アスラは腰からお辞儀する。
日本人より綺麗なお辞儀だ、と瑞季は思わず呟いていた。
「瑞季は興味ある? かるた」
「百人一首はよく分からないけど、かるたやってる優菜は見てみたい!」
「なにそれ」
その後、電車の到着時刻前まで雑談をし、彼女たちは改札に入り、ホームへ上がる階段の前で解散することとなった。
駅のホームに上がると、逆のホームにアスラを見つけ、瑞季と優菜は手を振る。それにアスラも気づいてくれ、手を振り返してくれた。
その直後に瑞季側のホームに電車が到着した。彼女たちふたりは電車に乗っていつもの町へ戻っていく。電車内はロングシートの端に人が座っている程度だったので、瑞季たちはロングシートの真ん中に並んで座り、小声で会話していた。
「アスラちゃん、すごく日本語上手だね」
「うん。声だけだったら日本人と区別つかないよね。声めっちゃ透明感あって綺麗だし。ほんとすこ」
瑞季は今にも溶けそうな、とろっとした笑顔になった。
そんな彼女を見て、優菜は上品に微笑む。
「ね。『アニメ』や『チケット』みたいなカタカナ英語もすごく日本人らしいイントネーションだったし。本当にすごい」
「あー、言われてみれば。読み書きはまるでダメって言ってたけど、あんなに話せるのに読み書きが苦手なことなんてあるんだね」
「ほんとにね。そういえば、ヒナって字は読めるの?」
「あいつは読めるよ。憎たらしいことに」
憎たらしいって、と苦笑する優菜を見ながら、瑞季はふと思った。
ナーサたちも当たり前のように日本語を話しているけど、日本語がネイティブなわけはないし、ヒナと同じように勉強して身につけたのかな——。




