第十一話「風鈴」-3-
映画館から出てきた瑞季はハンカチを濡らしていた。
「最高だった……感情全滅して床になりそう」
瑞季の語彙が不思議なのか、アスラは首を傾げていた。
「もし私が本当に床になったら、ふたりとも、心置きなく踏んでね」
「もしかして欲望出てる?」
瑞季も優菜も映画についてたくさん語りたかった。彼女たちがいるショッピングモールの映画館のひとつ下の階にはテラス席のあるカフェがあったため、そこでお茶をしながら感想を語り合うことにした。
カフェでテラスの丸テーブルの席につき、ストレートティーとショートケーキを三つずつ注文すると、優菜がアスラに微笑みかけた。
「アスラちゃん、初めての映画館はどうだった?」
「はい。なんと言いますか、こう……迫力がすごかったです」
「ね。わたしもたまに映画館に行くと圧倒されちゃうんだよね」
その後、彼女たちは映画の展開や描写について語り合った。優菜はキャラクターの細かい感情描写に繊細らしく、瑞季が覚えていないようなちょっとした仕草から感じた感情に触れ、瑞季は感心してアスラと一緒に驚きの声を出した。
アスラはまだ少し緊張しているのか、そもそも口数が少ないのかは瑞季には判然としないが、「あそこよかったですよね」「同じことを私も思いました」「そうなんですね」「あれはそのような意味だったのですね」などの相槌が多かった。相槌だけでも会話に参加してくれることが、瑞季にはすごく嬉しかった。
この映画で、瑞季がもっとも印象的だったのが、とある老夫婦の愛だった。ここのところ、瑞季はアニメで、憎み合い、あるいは一方だけが強く憎み、人間の汚いところが出てしまう夫婦を見ることが多かった。そんな中、『永遠の愛』という普遍的な象徴となるようなふたりの愛に、瑞季の涙腺は崩壊した。
その感動をふたりに伝えながら、瑞季は先日、寝る前にヒナから聞いた、精霊の番の話を思い出していた。
「ヒナ。精霊って結婚とかするの?」
「するニャ。子供も産むし、精霊の番は、人間の夫婦とそう変わらないニャ。でも、ひとつだけ違うところがあるニャ」
「え、なに?」
「精霊の番は、子育てを終えるとそのままふたりでいるか、同化するかを選択できるニャ」
「同化?」
「文字通り、ひとつの肉体になることニャ。同化してしばらくは、ひとつの肉体にふたつの魂がある、不思議な状態になるんだニャ。このときは、まだ元に戻ることもできなくはないけど、一年も経つと完全に魂がひとつになって、二度と離れられなくなるニャ。この状態になって死ぬと、来世でも再会し、再び番になると言われているんだニャ」
「へえ、ロマンチックじゃん」
瑞季たちが見た映画に出てきた老夫婦は、来世での再会を誓って、亡くなった。それが、精霊の話とリンクしたからこそ、より一層、瑞季の涙腺を刺激したのかもしれない。
そのまま十分ほど紅茶を飲みながら話しているとき、ふと瑞季は思った。
やばい……今の俺、めっちゃ女子してる気がする——。
すらっとした優菜やアスラが綺麗な姿勢でティーカップに口をつける姿は、まるでドラマの世界の光景だった。
それに引き換え猫背気味でちんちくりんな自分ときたら、さぞかし異物だろうな。
そう思わずにはいられない。少し、背筋を伸ばす。
アスラがティーカップから口を外し、ソーサーに置いたとき、彼女が左手首の腕時計に目を向けたのを、瑞季は目に入れた。瑞季が見た限り、カフェに来てからアスラが時計に目を向けたのは三度目だった。
「アスラちゃん、何かこの後予定あるの? 門限とか?」
「いいえ、門限はありますが、あと一時間くらいはここにいても大丈夫そうです。もしかして私が時計を気にしていたことが気になってしまったのでしょうか」
「ちょっとね」
「すみません。細かく時間を見てしまう癖がありまして」
そのとき、低い破裂音が遠くから聞こえた。ちょうどアスラの真後ろの方面だった。
瑞季と優菜は反射的にそちらに目を向ける。アスラは特に気にしておらず、ケーキを頬張った。
瑞季はその音を気にしないで話を戻すつもりだったが、デパートと隣のホームセンターの間に暗い闇色の影が一瞬見えたため、話を戻せなかった。
「あれは」
スレイヴだ。瑞季と優菜は目線を合わせる。アスラがいる手前、いつものように駆け出すわけにはいかない。とはいえ、どうするか話し合うこともできない。
アスラは涼しい顔で、口をもぐもぐと動かしながらティーカップの水面を眺めていた。異変には気づいていないらしい。周囲の人たちも煙が上がっていることは話題に出していたが、一瞬だけ見えた黒い影は気にしていなかった。一瞬の出来事だったので、見間違いか空目だと認識したらしい。
先に行動したのは瑞季だった。
「あー急にお腹痛くなってきたなー。さっき館内でコーラ飲みすぎたのかも。お手洗い行ってくるね。ちょっと長くなるかも。ごめんね」
早口で言い、瑞季は走り出す。「ちょっと!」と優菜の声が聞こえたが、振り返らなかった。
「行っちゃった……」
たったひとりで大丈夫なのか、優菜は不安で仕方なかった。最初はひとりで第二世代スレイヴと戦い、勝っていたとはいえ、今の相手はスレイヴと一緒に戦ってくることもある。
どこかでうまく合流しないと……。
あれこれ考えていると、黙ってしまった優菜に気を使ったのか、アスラが「おなか痛いのは苦しいですよね」と語りかけてきた。
「そ、そうだね。早く治るといいね」
思考がスレイヴに持っていかれていたため、うまく会話が続けられない。どうしよう、どうしよう、と優菜が考えていると、アスラが不思議そうに瑞季が席に置きっぱなしにしたバッグを眺め、立ち上がった。
「どうしたの?」
「瑞季さんのバッグが危険だと思いまして」
アスラは瑞季のバッグを手に取り、自分の席に戻った。膝に瑞季のバッグを置く。
「私の祖国では、荷物を置いて離れると、おそらく盗まれます」
「そうなんだ。同席するわたしたちがいても?」
「はい。女性だけだと狙われやすいので」
「そっかあ」
「この国は治安がいいのですね」
「うん。よくそう言われるね。住んでるとこれが普通だと思っちゃうけど」
話しながら、優菜はテーブルの下で、落ち着きなく太ももの前側をぺしぺしと叩いていた。
◆
瑞季はショッピングモールを飛び出し、騒ぎの方へ走っていた。
国道を百メートルほど進み、左に曲がったあたりが煙の上がっていた場所だ。今はもう煙は消えており、うっすらと砂塵が舞っている程度だった。そちらへ向かうと、慌てて逃げる人たちとすれ違う。瑞季は、初めてデシリアになったときのことを思い出していた。
「あのときはヒナを抱えて人混みと逆走していたっけ。あ、そういえばヒナをバッグに置いてきちゃった」
今さら戻る気にはなれず、彼女は進み続ける。
商業ビルの角を曲がると、瑞季の胸に痛みが走った。横転した車があちこちに転がり、壁の凹んだビルやコンビニの窓が大破している。そして、道路の真ん中には闇色の運送トラックが、瑞季側を向いて鎮座していた。
スレイヴだ。
「車ってことは、第一世代」
歩いてスレイヴへ向かいながら周囲を見渡す。彼女の視界にはヘヴンの一員が見当たらなかった。
すると、スレイヴが動き出した。少しずつアクセルが踏み込まれ、三秒かけて全開になる。運送トラック型スレイヴは猛スピードで瑞季へ突っ込んできた。
「やば」
瑞季はちょうど彼女のいた位置の左前方のビルの影に姿を隠す。すると、トラック型スレイヴは急ブレーキの甲高い音を立て、瑞季の隠れている地点にウィングサイドパネルを向けて止まった。
「やあ」
声をかけられて見上げると、トラックの荷台の上に黒と銀のツートンカラーの髪の少女——ナーサが座っていた。
「ナーサ!」
「こんなところで会うなんて奇遇だね」
「あなたが私の跡をつけてスレイヴを召喚したんでしょ」
「さあ。あたしはドライブしてただけだけど?」
ナーサはアニメのようなわざとらしい仕草で両手を上げてとぼける。
「ドライブ、ってあなたねえ。街をこれだけ壊してよく言うよ」
「安心しな。なるべく人は殺さないようにしたつもりだ」
「うるさい!」
瑞季は手を握りしめてナーサを睨むが、彼女はどこ吹く風だった。
「今日はひとりか?」
「だから何?」
「今日はちょっと肩がだるくてね。あたしは戦わないよ」
ナーサはトラックの荷台から街路樹の木の枝に移り、枝に腰掛けた。
そんなナーサがどこか不可解で、瑞季は怪訝そうに目を細める。
「何を考えてるの?」
「さあね。自分で考えてみれば?」
ナーサはわざとらしく両手を曲げ、ほくそ笑む。
「どうやらあんたひとりみたいだし、第一世代スレイヴでちょうど良さそうだね」
「良くない! 私たちの前に現れないで!」
「仕方ないなあ。じゃあ」
ナーサはにやりと笑い、指を鳴らした。
「あの世への片道切符をくれてやる」
運送トラック型スレイヴはバックをしながら左折する。正面に瑞季を捉えると、轢き飛ばさんとアクセルを踏み込んだ。




