第十一話「風鈴」-2-
「——ってことがあったわけよ」
翌日の二時間目の休み時間、理科室へ移動しながら瑞季は星輝と優菜へ鼻高々に話していた。
「すげえじゃん。瑞季もすっかりコミュ強だね」
「むふふふ」
やや背中を丸めた、オタク特有の笑い方だった。
「まあ、『またアニメの話を聞かせてください』って言われなかったら、たぶんそのままバイバイしてたかもだけど」
連絡先を交換した後、瑞季はおすすめしたアニメの各配信サイトのURLを貼り付け、さらに無難におすすめな少年漫画のアニメも紹介していた。既読は早かったが、日本語の読み書きが苦手なためか返信は遅かったので、気を遣ってそれほど話を膨らませなかった。夜に「五話まで観ました! 今日はもうおやすみしますが、次回が楽しみです!」と返信が来たときは、腕を組んで笑顔で頷くほかなかった。
「その子の名前は聞いたのか?」
「うん。アスラちゃん、っていうんだって。ほんっっっとかわいかった! まさかあんな絵に描いたような美女にワイの趣味を布教する日が来ようとは……もしや俺死ぬのか?」
「死なないから安心して」
優菜の冷静なツッコミを受け、自分の中の闇のオタクが顔を出してしまっていたことに瑞季は気づいた。顔が真っ赤になると同時に、瑞季はもうひとつ気づいた。
「待てよ……。私は善良な留学生を救うと同時に、二度と抜け出せない沼に引きずり込んでしまったのでは……? あんなに穢れのない純粋な清楚少女を、私はこの手で汚して……ん? 待てよ。それはそれで性癖」
「瑞季?」
「ななななんでもないよよ……?」
そんな瑞季を優菜は優しい眼差しで眺めている。月の光のような温かい笑みを見て、瑞季は改めてその美しさに見惚れてしまった。しかし、彼女は冷静に思い出していた。
こう見えて優菜も、同じ穴の狢なんだよなあ。
「ねえ、優菜。次の土曜日に映画見にいく約束してたでしょ」
「うん」
「アスラちゃんも誘っていいかな? アスラちゃん、故郷でも映画館に行ったことがないらしくて」
その映画は瑞季が生まれる前から人気のあったゲーム原作のアニメの最新作だった。幅広い世代に人気であり、優菜は過去の映画のみテレビで見たことがある程度だが、瑞季はアニメにもゲームにも触れてきていた。ゲームシリーズは数年おきに発売されており、それぞれの作品にはっきりとした繋がりはない。アニメ版では地続きであるが、一話から見ていないと理解できないなんてことはなく、どこから入っても問題はなかった。映画も同様で、一作品で完全に完結しているため、ゲームもアニメ本編も知らなくても充分に楽しめる。
瑞季は星輝も誘っていたのだが、その日はバンドでスタジオに入って一日中練習する予定があるらしく不参加だった。
「もちろん。アスラちゃんさえよければ大歓迎だよ」
◆
来たる土曜日。
瑞季は待ち合わせ時間の三十分前には駅に到着していた。
遠足の前の小学生よろしく、興奮と緊張で無駄に早く目が覚め、家にいても落ち着かず、「何かあるといけないから」と早く家を出てたのだった。日本の交通機関は優秀なので何事もなく、きっちり三十分前に到着してしまい、スマホでSNSを巡回して時間をつぶすこととなった。十分ほど経つと、改札の向こうから、ひと際目を引く黄金色が近づいてくるのが見えた。
アスラだ。
休日の駅は多くの人でごった返していたが、それでも彼女だけは不思議なほど目立っていた。まるで彼女の周りの空気が澄んでいるかのように、
「おはようございます、瑞季さん」
「お、おお、おはようございます!」
ぺこりと頭を下げるアスラに、瑞季は挙動不審に頭を下げ返す。
今日のアスラも、先日会ったときと同じ格好をしていた。白いブラウスに、首元の黒いリボン。そして黒いスカート。厳格な寄宿学校の制服のようでもあり、あるいはファンタジー映画の衣装のようにも見えた。
「迷わずに来れましたか?」
「はい。ここは、いつも使っている駅からすぐに来れるので」
ふふっ、とアスラは花がほころぶように笑う。その笑顔の破壊力に、瑞季は危うく拝みそうになった。
駅からショッピングモールまでは歩いて十分ほどの距離だ。優菜とはショッピングモールで待ち合わせをしており、ふたりは並んで歩き出した。
「あのアニメ、見ていただけましたか?」
歩きながら、瑞季はおずおずと切り出した。SNSで報告は受けていたが、生の声を聞きたかったのだ。
「はい。『スリー・デイズ・バック』、六話まで見ました」
「おおっ! ど、どうでした……?」
心臓が早鐘を打つ。自分の推し作品を布教した後のこの瞬間は、いつだってギロチン台に立つような心地だ。
アスラは少し遠くを見るような目をして、ぽつりと言った。
「とても悲しくて、綺麗な物語でした。六話の最後、主人公が叫ぶシーンで、私も泣いてしまいました」
「ですよねえええええ!!」
瑞季は往来の真ん中でガッツポーズをしたくなったが、なんとか堪えた。
「あそこが! あそこがターニングポイントなんですよ! 分かってくれるとは、アスラちゃん、お目が高い!」
「ふふ、ありがとうございます。続きも気になります」
「ぜひ見て! ここからさらに怒涛の展開が待ってますから!」
よし、と瑞季は心の中で勝利の拳を突き上げた。布教成功である。
そのとき、通り過ぎる女子高生たちが「あの子かわいい〜」と話しているのが聞こえた。
だろ? ウチのアスラちゃんは最高だろ?
そんな虎の威を借る狐のように無意味な自尊心で鼻の下を伸ばしていると、アスラがふと少し不安そうな顔をした。
「あの、今日ご一緒する優菜さんというのは、どんな方ですか? 私、うまくお話しできるでしょうか」
「優菜? ああ、全然心配いりませんよ」
瑞季は自信満々に胸を張る。
「優菜はね、なんていうか……菩薩? いや聖母? とにかく優しさの擬人化みたいな子だから。私みたいな陰の者とも仲良くしてくれる奇特で素敵な美少女なの。ビューティフル・ガール」
「なるほど。楽しみです」
アスラが安心したように微笑んだところで、目的地のショッピングモールが見えてきた。
正面入り口の柱のそばに、瑞季は見慣れたシルエットを見つけた。
「あ、いたいた。おーい、優菜ー!」
瑞季が手を振ると、スマホを見ていた優菜が顔を上げ、こちらに気づいて小さく手を振り返した。
優菜が駆け寄ってくる。
そして、優菜とアスラ、二人の視線が交差した。
「初めまして。アスラ・ウィリムと申します」
「初めまして。月音優菜です。瑞季から話は聞いてるよ」
日本美人な優菜と西洋美人なアスラの挨拶には現実離れした清涼感があり、まるで青春ドラマの撮影をしているかのような光景だった。
道行く通行人たちの多くが彼女たちに目を向けてもいた。そこに居合わせた瑞季は、周囲から「あいつだけ一般人顔で邪魔だな」と思われるんじゃないかという気がしたが、そんなことがどうでもよくなるくらい、ふたりの美しさに見惚れ、思わず「たまんねえな」と呟いていた。
そんなこんなで彼女たち三人は映画館に向かうべくエレベーターの列に並んだ。右から優菜、瑞季、アスラの順でエレベーターを待つ。
優菜のファッションは、薄い水色の襟なしブラウスに、ブラウスより濃い水色のタックワイドパンツを合わせた、大人っぽく上品なものだった。
いつも私服で会うときはTシャツに細身のデニムであることがほとんどなので、アスラのことを意識して綺麗に仕上げているのかもしれない。靴は深い碧色のビジュー付きパンプスだった。
要するに、瑞季は清楚美人に挟まれていた。
「この場にオセロ理論が適用されればいいのに……」
「何か言った?」
「なんでもない……気にしないで」
ちなみに、この日の瑞季は「どうせアスラちゃんとの初対面は雑な服だったし、適当なシャツでいいよね。暑いし」と量販店で買ったクリーム色のTシャツワンピースと、着古された黒のストレッチ生地のパンツを装備していた。靴は黒い生地に白い紐のスニーカーだ。
瑞季は思い出す。初めて星輝とライブに行ったときに、自分が気合いを入れた服を着てライブハウスから浮いていたことを。
——絶対逆だったじゃん!
頭の中で反省会を開いていると、最上階の映画館へたどり着いていた。
エレベーターの扉が開くと、そこは映画館特有の薄暗い空間だった。ポップコーンの甘い香りと、これから始まる物語への期待感が入り混じった、ざわざわした空気。
「うわー……!」
瑞季は、壁一面のポスターや、キラキラしたグッズコーナーに目を輝かせ、思わず感嘆の声を漏らした。この、日常から切り離された異世界の雰囲気が、たまらない。
「チケット発券してくるね」
優菜はスマホアプリを開きながら発券機の列へ向かっていく。チケットを予約してくれたのは彼女だった。
瑞季はアスラとふたりきりになる。今日はずっと緊張して舌が回らなかったが、映画館に入った興奮により、すらすらと言葉が出てきた。
「アスラちゃんは、映画よく見るんですか? テレビとかネットとかでも」
「いえ、あまり……。とても、わくわくしています」
「そっかあ。私も映画久々なんだよね。楽しみだなあ」
瑞季はニコニコしながら両手をお尻の後ろで結び、踵を上げて、下げて、を繰り返す。
——まさか学校のマドンナと、道で偶然会った美少女と映画に行くことになるなんて。ちょっと前まではクラスの隅で孤独に妄想してるだけの女だったのに。
「——ラブコメか?」
「何か言いましたか?」
「ううん、なんでもない。ただの独り言」
また心の声が漏れてしまった……、と瑞季は顔を赤らめた。
グッズコーナーに目を向ける。パンフレットやフィギュア、アクリルスタンドやシールがキラキラと輝いて見えた。残念ながら先日のイベントでヒナのおやつ代ごとお金を溶かした上、この映画のチケット代やこの後の食事代、交通費で財布が空っぽになる見込みであるため、グッズを買う金銭的余裕はない。苦渋を舐めることしかできなかった。
「アスラちゃんは何かグッズ買う? 私はお金無くて買えないけど」
「いいえ、あまりこの作品のことも分からないので……」
「あー、そうだよね」
当たり障りのないことを適当に話していると、優菜が戻ってきた。
「お待たせ。はい、チケット」
「ありがと〜」
「チケットありがとうございます」
アスラは腰から頭まで背筋をまっすぐ伸ばしたまま九十度のお辞儀をした。
「アスラちゃん。そんなに深いお礼はいらないよ。お金はさっき貰ったんだし」
「そ、そうなのですか」
「わたしとは初めましてだし、瑞季とも二回目だと思うから緊張はするだろうけど、今日は肩の力を抜いて気軽に楽しみましょう」
「は、はい」
アスラは困惑している様子だった。すらっとした身体といい、品格のある仕草や服装といい、すごく厳格なおうちで育ったのかな——と瑞季はぼんやりと思う。きっと自分とは違う世界の育ちなのだろう。
少しでもアスラちゃんをリラックスさせよう! と瑞季は張り切って少し大きな声を上げた。
「よし、行こう! ポップコーンいっぱい食べるぞー!」
瑞季は手を高く掲げた。
「おー!」
優菜も元気に手を上げた。
「お、おー、です」
控えめに手を上げるアスラ。
そんな彼女にキュンキュンしながら、瑞季は胸を弾ませながら入場門へ向かった。




