第三十九話「手鏡と姿見」-6-
リアウインズが巻き起こした暴風が収まったとき、スレイヴは広場の中央で、倒れた石のオブジェたちに囲まれ、四つん這いになってうずくまっていた。
五人のデシリアは、ゆっくりとスレイヴに歩み寄った。
近づくにつれて、嗚咽のような声が聞こえてきた。
《好きだった人を嫌いになっちゃうなんて、私は……悲しき獣……心の醜い獣……ううっ……》
リアハイリンはスレイヴの前にそっと膝をつき、優しく語りかけた。
「佐倉さん。すごく、ショックだったんだね。でも、かえでちゃんが配信で言ってた鏡の話、思い出して」
リアハイリンは自らの記憶を辿りながら、あの夜の推しの言葉を紡ぐ。
——『好き』も『嫌い』も同じくらい大事な気持ちだから、それを否定したくはないかな。
——『好き』は手鏡で、『嫌い』は姿見。
「誰かを嫌いになっちゃうのは、悪いことじゃないよ。すごく、あたりまえな気持ちだと思う。その気持ちを大切にしてあげて。攻撃的になるんじゃなくて、姿見のように、大事に扱ってあげて」
スレイヴのすすり泣く音が小さくなった。
「推しが変わったっていい。応援する形が変わったっていい。あなたの『好き』は、誰のものでもない、あなただけのものなんだから。だから……これからも、お互い自由に推し活を楽しもうよ!」
リアハイリンは、そっと手を差し伸べた。
スレイヴの肩がほんの少し下がった。けれど、その手は動かない。すすり泣きも、まだ止まらなかった。
どうすれば、佐倉さんの心を救ってあげられるのかな——。
そのとき、リアハイリンの脳裏に、先ほど聞いたしずくの叫びが蘇った。
——あんなに性癖に刺さる、綺麗で可愛いお姉さんなんて希少種なのに!! ああ!! 綺麗なお姉さんによしよしされて慰められたい!!!!
これだ……!
「マイム、ウインズ」
彼女は、背後に立つふたりの『綺麗なお姉さん』を振り返った。
「どうしたの?」
「ふたりで、あの子のこと、よしよししてあげて」
「「え……?」」
リアマイムとリアウインズの声が、綺麗にハモった。リアウインズの目は、完全に据わっていた。
「ほ、ほら! さっき、『綺麗なお姉さんによしよしされて慰められたい』って言ってたでしょ!? まさに、ふたりなら、うってつけじゃない!」
リアハイリンは、必死に説得を試みる。
「それに、性癖っていうのは『1 + 1 = 11』みたいなところがあるから! ひとりより、ふたりでよしよししてあげた方が、相乗効果が出ていいと思う!」
「……」
「……」
リアウインズとリアマイムは、互いに顔を見合わせ、なんとも複雑な表情を浮かべた。
やがて、ふたりは観念したように深いため息をつくと、重々しい足取りで四つん這いのスレイヴへと歩み寄る。
そして、ふたりはスレイヴの頭に、そっと手を置いた。
「よし、よし……」
「大丈夫、ですよ……」
ふたりの綺麗なお姉さんによる、ダブルよしよし。
その瞬間、スレイヴの身体が、びくんと大きく震えた。
《あ……あ……あ………………召される………………》
固くこびりついていた黒感情が、春の雪解け水のように一気に溶けていく。
「ええ……」
リアマイムが、露骨に引いた声を漏らした。
「そのまま、浄化もお願い!」
「……ハイリンがやりなさいよ」
リアマイムの冷たい目線に、リアハイリンはドキリとした。正直、その表情が、性癖の一番汚いところに刺さった。
その内心の高ぶりを押し隠し、リアハイリンは首を横に振った。
「いや、私よりふたりにやってもらった方が、佐倉さんも喜ぶと思う」
「……」
リアマイムは、もはや何も言うまいとばかりに、固く口をつぐんだ。
その沈黙を破ったのは、リアウインズだった。
「……私がやりましょう」
声が妙に硬かった。
「あの、あんまり攻撃的にならないでね?」
「大丈夫です。仕事は、ちゃんとやりますから」
笑顔を見せるが、それもどこかぎこちない。
彼女は、そっとスレイヴから手を離すと、浄化の詠唱を始める。
「『黒き感情、晴れわたれ。デシリア・セラフィック・ブリーズ』」
清らかな風が、スレイヴの身体を優しく包み込み、残っていた黒感情を、完全に消し去っていった。
光が収まった後、そこには、『愛』というオブジェにもたれかかり、よだれを垂らしながら恍惚とした表情で眠る佐倉しずくの姿があった。
戦いが終わり、安堵の息が漏れる。
そのとき、リアウインズは、鋭い視線を感じて顔を上げた。
少し離れた場所で、ナーサがただじっと自分を見つめていた。
その視線を受けた瞬間、リアウインズの脳裏に、先ほど白日の下にさらされた自分の性癖がフラッシュバックした。
——頼り甲斐のあるカッコいい年上のお姉さんしか勝ちません。銀髪か黒髪なら尚良しです。
銀髪。黒髪。年上。頼り甲斐のあるカッコいいお姉さん。
その条件が、目の前の姉と、ことごとく一致している。
しかも、あれを姉本人に見られている。
かあああっ、と顔中が沸騰したように熱くなった。
「あ……え、えっと……その……」
ナーサは、そんな妹をしばらく見つめていた。
やがて、フンと鼻を鳴らす。かすかに口元が緩んだようにも見えた。
それ以上は何も言わず、ナーサは背を向けると、この場から姿を消した。
「……」
「アスラちゃん」
その声に振り返ると、変身を解いた瑞季がいた。
「お疲れさま。無茶振りに応えてくれてありがとう」
リアウインズも変身を解く。なんだか、肩にどっと疲れがのしかかった。
そんなアスラの肩に、瑞季が、ぽん、と手を置いた。
瑞季は、たいそう嬉しそうに、得意げな笑みを浮かべていた。
「なんか、アスラちゃんともっと仲良くなれる気がしたよ。性癖の住所が近所だね」
「わ、忘れてください!!」
顔を真っ赤にして叫ぶアスラの声が、半壊した広場に轟いた。




