第三十八話「空色の栞」-5-
さっきまで笑顔に満ちていた遊園地を、逃げ惑う群衆の悲鳴と機械の軋む音が覆っていた。
その中心に、二筋の閃光が降り立つ。
リアシエルは、巨大な観覧車の頂上から戦況を見渡していた。視線の先では、リアマイムが大量の水を操り、逃げ遅れた観客を安全な場所へ誘導するための巨大な水の滑り台を作り上げている。
目の前に立ちはだかるのは、この遊園地の名物である巨大ロボットが変貌したスレイヴだった。鋼鉄の巨兵はジェットコースターのレールを引き剥がし、鞭のように振り回している。
あの一撃をまともに受ければ、並の人間ならひとたまりもない。
スレイヴはリアシエルへレールを振り下ろした。すると、リアシエルに届く寸前で軌道が逸れ、観覧車の支柱をかすめた。
「当たらないよ」
空を切ったレールの隙を突き、シエルは巨兵の胸元へ肉薄した。顎を蹴り上げる。硬い衝撃が足に返ったが、装甲には傷ひとつつかなかった。
すると、スレイヴの背中のブースターが噴射し、巨体が宙に浮いた。
リアシエルは追撃を深追いせず、一度高度を下げた。地上数メートルの位置を走るローラーコースターのレールに音もなく着地する。
そのとき、足元が揺れた。
そして、レールの下から闇色の頭部が突き出してくる。
「もう一体……!?」
巨大な鉄槌のような頭部を突き出す、もぐらのような闇色の怪物。
回避が間に合わない——そう直感した穹の視界が、一瞬で紅く染まった。
上空から降り注いだ巨大な火の塊が、闇色の怪物の頭部を真正面から捉えた。激しい熱波が周囲の大気を焼き、衝撃波が怪物の巨体を無理やり地面へと押し戻す。
「待たせたな、シエル!」
炎の中から現れたのは、リアスピサだった。
「……スピサ。アスラやあんたの弟は?」
「晃はアスラに任せてきた」
リアスピサは拳を打ち鳴らし、再び地中へと逃げ込んだ怪物の気配を鋭く睨む。
「シエル、あっちの空飛ぶデカいのは任せた! こっちのやつはウチが全部叩き潰してやるよ!」
地面が割れ、スレイヴの頭部が飛び出してきた。リアスピサは横へ跳んで回避する。着地と同時に振り返り、炎をまとった拳を叩き込んだ。
その頃、リアシエルは巨兵の頭上を取っていた。
黒い弾丸が頬をかすめる。身を傾けると、次の一発が髪の先を焼いた。連写されるそれの軌道を気圧変化で逸らしながら、距離を詰める。
拳を叩き込み、蹴りを入れた。けれど、硬い。何度打っても、装甲の表面に傷ひとつ残らない。
……ぼくには、瑞季や星輝みたいな力はない。
倒せない。けれど、倒す必要もない。
「仲間がいるから」
そのとき、地を這うように押し寄せた大量の水が、巨兵の脚をさらった。巨体が大きく傾く。そして、水の奔流が鋼鉄の身体を押し倒し、レンガ調の地面へ叩きつけた。
「お待たせ」
リアマイムが息を整えながら合流した。
「みんな避難できた?」
「うん、あっちの噴水広場までね」
噴水広場までは二百メートル以上離れている。
「遠距離攻撃とかされたら困るかもだけど」
「そのときは、ぼくが先回りして撃ち落とす。……ん?」
三人がそれぞれの役割を果たす中、リアシエルはメリーゴーランドの屋根の上に立つふたつの影に気づく。
「あいつら……! マイム! こっちは頼んだよ!」
「え? ちょっと!」
リアシエルは瞬間移動でメリーゴーランドの屋根へ移り、磐名と凪宮のすぐそばに降り立った。
「なんでこんなところにまで!」
鋭い一瞥に対し、磐名は気怠そうに首を回した。
「たまにはこういうのも一興だろ?」
「なに言ってんの! ふざけないで!」
「そんなことよりあれさ、いかにもガキが好きそうなスレイヴだと思わん?」
磐名がロボット型スレイヴを指差すと、隣に立つ凪宮が冷たく吐き捨てた。
「あなたこそ、もぐら叩きなんて趣味が悪い。しかも、たいして強くなさそうです」
「確かにな。でも、本領を発揮するのはこれからだ」
その瞬間、磐名が指を鳴らした。
モグラ型スレイヴが地面を激しく波打たせる。地中から弾き上げられた大量の石塊が、放物線を描いて噴水広場へと飛んでいった。
「物語には、ピンチが必要だろ?」
磐名が顎で示した先には、人々が集まっていた。
まだ、彼らは飛来する石の塊に気づいていない。
「させないっ!」
リアシエルは叫びと共に、その場からかき消えた。
噴水広場は、人々のざわめきと地鳴り、戦士たちを応援する子供たちの声に満ちていた。
「ひとまず、安心ですかね」
晃の隣でアスラが呟く。彼女の額は、汗でかすかに濡れていた。
「うん。……あ! 姉ちゃんは!? 優菜さんや穹は!?」
晃は周囲を見回すが、姉の姿は見当たらない。隣に立つアスラは落ち着いているものの、どこか不安そうだった。
「ここにはいらっしゃらないようですが、無事だと思います」
「なんでそう思うんですか?」
「ええっと……勘、でしょうか」
困ったようなアスラの様子に、晃は首を傾げる。
そのとき、アスラの顔が凍りついた。晃のずっと後ろを、瞬きもせずに見つめている。
「アスラさん……?」
晃は振り返った。避難してきた人々で広場はあふれ返っている。一見、変わったものは何もない。
だが、その人混みの奥、三十メートルほど先に立つひとりの女が、晃の目を引いた。銀と黒のツートンカラーの髪をした、肌の白い若い女だ。女もまた、鋭い瞳でこちらを見つめていた。
やがて、女はこちらに背を向け、去っていく。
その直後だった。
「何か飛んでくるぞ!」
どこからか響いた声に、晃は空を見上げる。
大量の石の塊が、雨のように降りかかってきていた。
「え」
「晃くん!」
晃の身体が強い力で引き寄せられた。アスラが晃を抱きしめ、自分の背中で飛来する石を受け止めようとしたのだ。
アスラの体温と、彼女の長い髪が顔に触れる。柔らかい香りが、ひどく鮮明に鼻を突いた。
「晃くん、動かないで。私が護りますから」
その穏やかな声に、晃の心臓が激しく跳ねた。
嬉しいはずなのに、情けなさが勝る。自分は彼女をエスコートすると言ったはずだ。
晃は奥歯を噛み締め、アスラの腕をほどいて、その前へと飛び出した。
「晃くん!?」
「……俺が、アスラさんを護るんだ!」
晃はアスラの前に立ちふさがった。
膝が震えている。逃げたい。
それでも、晃は一歩も退かなかった。両腕を広げ、迫りくる石塊を正面から受け止めようと構える。
穹みたいにかっこよくは動けないけれど——。
「おれにだって、好きな人の盾になるくらいはできるはずだ!」
心臓が激しく脈打つ。周囲の騒ぎも聞こえなくなるほどだった。
晃は痛みを予期し、固く目を瞑った。
だが、待てど暮らせど衝撃は訪れない。
代わりに、背中を押す風圧を感じた。
おそるおそる目を開ける。
「え……?」
石塊が、空中でぴたりと静止していた。唸りを上げる巨大な風の渦が、飛来した石を一箇所に押しとどめている。
そして、その中心には、ひとりの少女が浮いていた。
「やるじゃん。ただの見栄っ張りかと思ってたけど、案外度胸あるのね」
頭上から降ってきたのは、凛とした少女の声だった。
空色の衣装に身を包んだ猫耳の少女が、空中に静止して晃たちに背を向けていた。
戦士は、空中で静止した石塊を、小さな脚で蹴り飛ばした。
爆発的な風圧と共に、石の塊は広場の外へと一気に弾き飛ばされる。砕け散った破片が午後の日差しを受け、宝石の飛沫のように宙を舞う。その一片が晃の頬に当たり、かすかな痛みが走った。
戦士はゆっくりと視線を晃に向け、蒼い瞳をわずかに細め、ふっと口元を緩めた。
晃は言葉を失っていた。瞳を、キラキラと輝かせながら。
空色の戦士はそれ以上の言葉を交わすことなく、優雅に空へと舞い上がり、瞬く間に戦場の中央へと消えていく。
恐怖と興奮で痺れる指先を握り締め、晃は彼女が消えた空を、いつまでも眺めていた。




