第三十八話「空色の栞」-3-
園内カフェは、お昼時ということもあって家族連れや学生たちでごった返していた。トレイに乗ったハンバーガーやポテトを運び、ようやく確保したテラス席に腰を下ろすと、秋の柔らかな日差しがテーブルを白く照らした。
話題は、優菜たちの学校で出された宿題、『将来の夢』についての作文へと移った。
「瑞季が言ってた。星輝には夢があって羨ましい、って。瑞季はお絵描きとか好きだけど、プロになりたいとかではないみたいだし、なりたい職業がないんだって」
穹はコーラのストローを弄りながら、瑞季の部屋での会話を思い返していた。
同時に、心の中でこっそり呟く。
……ぼくたちが大人になる未来が、本当に訪れるのかは分からないけど。
穹はその考えを胸の奥へ押し込み、コーラをひと口飲んだ。
「アスラは将来の夢あるの?」
「私は、漠然とヘヴンの社員になるんだろうなあと思っていましたが、今となっては、そうなるのも悪くないけど、なりたいわけではないのかな、って思ったりします」
アスラの言葉に、晃がハンバーガーを口に運ぶ手を止めた。
「ヘヴン?」
「あ、えーと」
アスラが言い淀むと、すかさず星輝がポテトを放り込みながらフォローを入れる。
「アスラの知り合いの会社だよ。けっこう大きな会社なんだ」
「そ、そうです!」
アスラが慌てて頷く。晃は「知り合いの伝手で大きな会社に入るの、なんかかっこいいなあ」と特に疑う様子もなく納得していた。
その隣で、優菜が深くため息をつく。
「わたしも、安定した職につきたいとしか思ってなくて、作文に困ってるんだよね」
「安定した職につきたい、でいいんじゃね?」
星輝が不思議そうに訊き返すと、優菜は眉を下げて首を振った。
「え、でも星輝みたいに具体的じゃないし」
「ウチはそうじゃないけどさ、夢なんてころころ変わるものだろ。いつかなりたいものが見つかったときのために、勉強して守備範囲を広げておく、っていうのも、それはそれで素敵だと思うけどな」
「なるほど……」
優菜が感心したように呟く。星輝は「だろ?」と胸を張った。
「そうそう。夢に優劣なんてないし、あんまり気難しく考えなくていいんじゃねえか? あ、そうだ! なあ、晃。おまえの夢、教えてやれよ」
「へ? え、えーっと……」
星輝に話を振られ、晃は途端にアスラを意識して縮こまった。少しの間を置き、絞り出すように言う。
「おれは、……猫になりたい」
「職業じゃないじゃん」
穹が即座にツッコミを入れた。
「いやいや、『将来の夢』としか聞かれてないじゃん! 『夢』イコール『職業』じゃなくてもいいだろ」
「それは……そうだけど」
「それにさ、おれだって頑張ってるんだぜ? 猫みたいに俊敏に動けるように運動してるし、中学に入ったら陸上で短距離走の選手になるんだ」
「猫になるために?」
「猫になるために」
晃は真顔で頷いた。
「あと、猫ってほぼ液体って言うだろ?」
「言うの?」
「だから柔軟も頑張ってる。脚だって前より開くようになったんだぜ」
そう言って、晃は得意げに笑った。
「でも、そもそも身体が大きすぎるでしょ」
「……ってか、さっきから人の言うこと否定しすぎだって。人の夢に文句言う資格なんて、他人のおまえにあんのかよ」
穹はハッとして、口を閉ざした。
猫になりたい。
そんな夢を、本気で口にする人がいるなんて思わなかった。
でも晃は、笑われるかもしれない夢のために、身体を鍛えている。
だったら、笑う理由なんて、どこにあるんだろう。
「……ごめん」
「お? 案外物分かりいいんだな」
穹の素直な謝罪に、晃は少し拍子抜けしたように鼻を鳴らした。
「晃は頑張って猫になって、アスラに飼われたいんだと」
星輝がニヤニヤしながら暴露する。
「ちょ……! 姉ちゃんやめろって!!」
「ふふっ、大きな猫ちゃんを飼えるようなお家に住めるように、私も頑張らないといけませんね」
アスラの返答に、晃は真っ赤になった。
「そんな穹は、夢あんの?」
晃の問いに、穹は視線を泳がせた。
「ぼくは王子だか——」
ヒナの考えが口をついて出かけ、穹は慌てて自分の口を塞いだ。
「王子?」
「ううん、なんでもない。ただ……知らない人でも、助けを求めていたら迷いなく助けられるような、そんな人になりたい」
穹の脳裏に、先生の姿が浮かぶ。自分を絶望から救い出してくれた、孤高で美しい戦士の背中。
「なんだ、結局穹の夢も職業じゃねえじゃん」
「確かに」
穹は苦笑した。
今の言葉は、穹自身のものだったのか。
それとも、ヒナの考えが混ざっていたのか。
ときどき分からなくなる。
そんなことが、日に日に増えていた。
「いい夢だな」
晃の何気ない一言に、穹は顔を上げる。どう返せばいいのか分からなくなった。頬がじわりと熱くなる。
「あ、ありがとう……」
うつむき、冷えたコーラを一口飲む。氷の鳴る音が、やけに響いた。
◆
遊園地のメインストリート。色とりどりの風船が飛び交う中、凪宮琥珀は、できたてのチュロスを手に、隣を歩く女を心底不快そうに仰ぎ見た。
「……改めてお訊きしますが。どうして僕が、あなたとこんなところでチュロスなんて齧っていなければならないんですか」
磐名式乃はといえば、マスコットキャラクターよりも派手な緑色の髪をカチューシャで無理やり抑え、口の周りに砂糖をつけたまま、揚げたてのチュロスを豪快に頬張っている。
「おごってもらってんだから、ガキはガキらしく喜んでろって」
「食べたいと言った覚えはありません」
「お、見てみろよ。あのペンギンのぬいぐるみ、アンタに似てない? 買ってやるよ。お代はお姉さんが払ってア・ゲ・ル」
「気色悪いのでやめてください。この場所に、あなたは不釣り合いすぎます。さっさと立ち去ってください」
「休日の遊園地にタキシード着て来るガキに言われたくねえよ。なあ、アンタもそう思うだろ? ナーサ」
彼女たちふたりの後ろに、ナーサはいた。園内カフェで買ったカフェオレのカップにストローを差し、退屈そうにそれを咥えている。
「どっちも不釣り合いだ。あたしもね」
「それはそうだ」
彼らがここにいるのは、もちろん遊びのためではない。
「そういえばアンタ、紫色のデシリル・ジェムを取りに行くために未来に行ったんだろ?」
磐名のナーサへの問いかけに、凪宮が「未来?」とわずかに首を傾げた。
「……わざわざ未来へ行ってから『扉』を渡り、さらに過去に戻ったのですか?」
「そうだ」
ナーサはストローから口を離す。
「こっちの時空の光の連邦なんて、行きたくもない。あっちの世界もな。だから、できるかぎり故郷の邦の土を踏まなくていいように、未来を拠点にしてたんだ」
なるほど、と凪宮が頷く。
「ルフィトヴェルツェは時間転移装置をふたつ作り、ひとつをあちらの世界に置いたと言ってましたね。こちらの世界では、現在と未来の時空を同期しています。しかし、その同期はあちらの装置にも及んでいるのでしょうか。それとも、あなたが未来から『扉』を渡った先は、実は我々の知る時空とは別のものだったのでしょうか」
「さあな。興味ないね。自分で考えれば?」
はあ、と凪宮はため息をついた。
「時間旅行をしながら、そのことに興味がないとは、よく分からない人です」
そんな凪宮の肩を、磐名はチュロスを食べながら叩く。
「まあ、アタシはナーサと同意見だ。そんな小難しいことはどうでもいい。どの時空だろうと、どうせリセットされるんだし」
「らしいな」
「で、未来の故郷はどうだった? 晴れてたか?」
「あんたは行ったことないのか? あっちの世界は」
「ないね。光の連邦はあるけど。で、雲はすっかり晴れてたのか?」
ナーサは、快晴の空を見上げた。
「……ああ。綺麗な空だった。この世界よりも、ずっと」
「へえ」
「でも——」
胸に広がったのは感動よりも寂しさだった。
右を見ても左を見ても、一緒に空を見たかった人がいないから。
「……」
「『でも』、なんだ?」
「うるさい。これ以上あんたと雑談する気はない」
「へっ、どいつもこいつも、つれねえガキばっかりだな。仕方ねえ、仕事するか」
磐名はつまらなそうに、丸めたチュロスの袋をゴミ箱へ放り投げた。
「……とはいえ。こんなお花畑な場所ででかい黒感情を抱えてる奴なんて、そうそう見つからねえわな。みんな幸せボケしちゃってさ」
「ええ。どうせここはごちゃごちゃしていることですし、少々効率は悪いですが、適当な第一世代をバラまいて、混乱させるだけにしませんか」
「賛成。パニックの中で泣き叫ぶガキの声でも聞けば、少しは胸糞も良くなる」
凪宮は気だるげに頷き、手に持っていた杖——『風の黒杖』のグリップを指先でなぞった。
ふと、彼の視界に一組の家族連れが入り込んだ。
自分と同じくらいの年齢だろうか。少年が両親の手を左右からしっかりと握っている。
「あれかっこいい!」
少年が巨大ロボットを指差す。
「父さんもあれに乗ってみたいな」
「乗せて乗せてー!」
三人の笑い声が、遊園地の喧騒に混じった。
凪宮は、彼らの笑顔から目を離せなかった。
何度も見たことのある光景なのに、なぜか意味だけが分からない。
彼の母が自分の頭を撫でるときは、髪に汚れがないかを確認するときだけ。
手を繋ぐときは『仲睦まじい親子』を演じるときだけ。
「……」
両親に握られた少年の手。擦り切れたスニーカー。安っぽい服。
けれど、凪宮には得られないぬくもり。
「……磐名さん。やはりここにいると気分が悪いです。早く仕事しましょう」
「ん? ああ、そうだな」
凪宮は少年から目を背けた。
そして、磐名にも聞こえないほどの小声で呟く。
「あんなものは、まやかしだ。僕は惑わされない」
一方、磐名は通りの向かいにあるモグラ叩きのブースをじっと見つめていた。
そこでは、小学校低学年ほどの兄妹が、夢中になってプラスチックのハンマーを振り下ろしている。
「えいっ!」「あ、お兄ちゃんずるい、そっち私のだよ!」
穴の中から、不格好なモグラたちが次々と顔を出す。そして次の瞬間には、子供たちの振るうハンマーに叩かれ、穴の底へと押し戻されてしまう。
磐名の目が細くなる。
「……かわいそうなもんだ」
穴から顔を出す。叩かれる。また潜る。それでも、モグラは何度でも顔を出す。
「せっかく頑張って顔を出しても、すぐに叩かれるなんてさ」
そのとき、ゲーム機から派手なファンファーレが鳴り響いた。
穴の奥から、金色の塗装が施された、特別仕様のモグラが猛スピードでせり上がってくる。
「あ! 金色のやつだ!」
「叩け叩け! ポイント二倍だよ!」
子供たちは、雑魚モグラには見向きもしなくなり、金色のモグラの頭を夢中で叩き続けた。
プラスチックのハンマーが金色の頭を容赦なく打ち、乾いた音を立て続けに響かせた。ゲーム機はド派手な電子音を鳴らし、電飾を点滅させる。
「目立てば目立つほど、執拗に狙われる。社会の縮図だねえ」
磐名は、眩しそうに目を細めた。
「……量産機にしてあげる」
そんなふたりを、ナーサは退屈そうに見ていた。
カフェオレを一口飲む。もう氷が溶けて、甘みも薄い。
「勝手にしな。あたしはパス」
「おいおい、新参者がサボりかよ」
「クビにしたけりゃすればいい。あたしは、アンタらとは違う」
ナーサはそれだけを言うと、カフェオレのカップをゴミ箱へ放り、ふたりに背を向けた。
「おい!」
磐名の声にも振り返らず、人混みの中へ溶けていった。
「……ったく、かわいげのない女だ」
「まあ、好きにさせておけばいいでしょう。ところで、準備はできましたか?」
「ああ。当然だ」
ふたりは、それぞれ黒い水晶を取り出した。
磐名はモグラ叩きのゲーム機へ、凪宮は巨大ロボットへ、水晶を向ける。
「『水晶よ。黒を宿せ』」




