第三十八話「空色の栞」-2-
遊園地に到着した一行を待っていたのは、週末の賑わいと、突き抜けるような秋の青空だった。
ゲートをくぐると、甘いポップコーンの香りと陽気なBGMが一行を迎えた。色とりどりの風船が揺れ、キャラクターの着ぐるみたちが来園者に手を振っている。そこは、現実を忘れさせるような夢の国だった。
穹が遊園地という場所に足を踏み入れたのは、二年前の学校行事以来だった。そのときは、これから訪れる世界の崩壊なんて微塵も想像していなかった。平和の象徴のようなこの喧騒が、今の穹には眩しすぎて、居心地が悪かった。
「穹ちゃん、何か乗りたいアトラクションはある?」
首を傾げて顔を覗き込んでくる優菜に、穹は平静を装って答えた。
「いや、特には……ぼくはなんでも」
「なんでも? じゃあ、あれ乗ろうぜ」
そう言って、晃が空を指差した。その先では、真っ赤なレールが空へと伸びていた。ローラーコースターだ。
そんな晃の指は、わずかに震えている。
「あんた、怖いの?」
穹が冷たく指摘すると、晃は肩を跳ねさせた。
「こ、怖くなんてねえし!」
「膝が笑ってるよ」
「これは武者震いだ!」
そんなこと本当に言う人いるんだ……。
穹は心の中で呆れながら、わざと鼻で笑った。
「ふうん。アスラにかっこつけたいんだ。ま、そんなに言うなら、乗ってあげてもいいけど?」
口にした瞬間、穹は自分の声がわずかに上擦っていることに気づいた。そして、思い出す。二年前の遊園地で、絶叫マシンのあまりの恐怖に「もう二度とローラーコースターになんて乗らない」と涙目で誓ったあの日を。
穹も怖がっていると気づいたのか、晃は引きつった笑みを浮かべ、ますます強気に言い返した。
「おう。じょ、上等だ。乗ってやろうじゃねえか! 一番前に乗ってやるよ」
「こ、こっちだって」
引くに引けなくなったふたりの前で、優菜がスマホの画面を見ながら感心したように言った。
「今調べたんだけど、あのローラーコースターの傾斜って日本トップレベルらしいね」
「え?」
晃と穹の動きが止まる。
「そうそう! しかもけっこうグルグルするから怖いって評判だよな」
星輝が拳を鳴らす。
「それは楽しみですね」
アスラも穏やかに微笑む。中学生三人組の屈託のない笑顔に、ふたりは揃って脚を震わせていた。
三分後。プラットフォームに戻ってきた一行のうち、小学生コンビは魂が抜けたような顔でふらふらと降りてきた。
「……死ぬかと思った」
「……アスラ、さん……おれが、護り、ました……」
死にかけの晃の言葉に、アスラは「頼もしかったです」とニコニコしてハンカチを差し出す。
その様子を見た穹は、そっぽを向いた。髪の毛が風で逆立ったままの、ひどいありさまだった。
「いやあ、怖かったな、穹」
「全然平気そうに言うのやめてくれない?」
「ごめんごめん」
星輝が笑いながら、乱れた髪を手ぐしで整えてくれる。
「町中をパルクールで駆け抜ける穹が、安全装置のついたアトラクションで怖がってるのが面白くて」
「……自分の足以外は信用できない」
不貞腐れる穹を見て、星輝はまたカラカラと笑った。
「なあ穹」
次のアトラクションへの移動中、晃が穹に声をかけた。
「穹と並んで歩いてると、なんか迷子を連れてるみたいだ」
「そんなに小さくないでしょ!」
「身長制限けっこうギリギリだったじゃん」
「うるさい! これからぐんぐん伸びる予定なの!」
「へ〜、それは楽しみだ」
そんな皮肉を言う晃を、アスラが優しく制した。
「ダメですよ、晃くん。身長は努力ではどうしようもない部分もあります。背の低さに悩む人に、そのように言ってはなりません」
「……なんで、ぼくが背の低さに悩んでる設定になってるの?」
穹は頬を膨らませるが、内心では少しだけ焦っていた。
……悩んでないことはないけど。
すると、心の中でヒナが意地の悪い声をかけてきた。
——穹はこっちに来てから、人間として必要な栄養を最低限しか摂ってないニャ。成長はあまり期待できないと思うニャ。
え、ぼくの成長期は?
——ご愁傷様だニャ。
「う……」
自分の身長について、これ以上考えたくなかった。
その後、一行は没入型アトラクションの列に並んだ。待ち時間は三十分。
五分ほど経過したところで、星輝と晃がお手洗いへ向かい、列には穹と優菜、アスラの三人が残された。
「ねえ」
穹は自分よりずっと長身のアスラを見上げる。
「あんなのに好かれるなんて、大変だね。嫌なら嫌ってはっきり言いなよ。ぼくが追い払ってあげようか?」
アスラは意外そうに目を丸くし、それからふわりと微笑んだ。
「晃くんは、とてもいい子なんですよ。私が今ここにいるのは、晃くんのおかげでもありますから」
アスラはそう言ってから、少しだけ目を伏せた。
「そうなの?」
「はい。今私がこの国で楽しく暮らしているのは、晃くんのおかげでもあるんです。……運動会の二人三脚で、晃くんと一緒に走ったんです。私はああいう競技には慣れていなくて……」
膝のあたりに、そっと手を添える。
「勢い余って転んだときも、晃くんは自分のことより、真っ先に私の怪我を心配してくれました」
そのときのことを思い出しているのか、アスラの口元が柔らかくなる。
「諦めそうになった私を、晃くんは元気づけて引っ張ってくれたんです」
「……へえ」
穹は腕を組んだまま、少しだけ目を細めた。
「晃くんは私だけじゃなくて、ご家族のことも、すごく大切に想っているんです。そんな彼がいたから、私はこの世界のことをもっと好きになりました。好きになったから、瑞季さんたちを裏切れなくて、ここにいるんです」
アスラの穏やかな微笑みを前に、穹は毒気を抜かれたように視線を逸らした。
「ふーん……。ちょっとはいいところもあるんだ」
「そういえばヒナさんは、晃くんの運動会には来てませんでしたっけ?」
アスラが不意に思い出したように言った。穹は少し考えてから答える。
「うん、暑くて家で休んでた」
瑞季から来るように誘われたが、ヒナが「暑いから嫌だニャ」と断った覚えがある。たとえあのときから穹が正体を現していたとしても、きっと同じ結果だっただろう。
「穹ちゃんは未来から来たとはいえ、なんでも知ってるってわけでもないんだね」
優菜が、列の横に飾られたアトラクションのポスターを眺めながら言った。
「そうだね。こっちの時代は、もうぼくの知っている歴史から大きく外れてるし、そもそも先生……未来のリアマイムからは、あまり深く聞いてないから。アスラのことも知らなかった」
穹は、少しだけ声を落とした。
「……瑞季のデシリル・ジェムを、みんなが風のデシリル・ジェムだと思い込んでたことすらも、こっちに来るまで知らなかったよ」
「そっか。穹ちゃんにとっては、最初から瑞季のジェムは無のジェムだって認識だったんだね」
「うん」
穹は、地面に落ちた枯れ葉を靴の先で転がした。
「あれをどう扱えばいいか、ヒナもぼくも分からなかった。……でも、本当のことを話さずにいたのは事実だから。みんなに申し訳ないと思ってる。ぼくが最初から説明していれば……」
「気にしないでください、穹さん。穹さんには穹さんのお考えがあってのことですから」
アスラが穏やかに首を振った。
「そうそう。もう過ぎたことだし、誰も気にしてないよ」
優菜が穹の肩を軽く叩いた。
「でも、こういうのって、本人がいちばん引きずっちゃうものなんだよね。周りは気にしていないって分かってても、自分ではなかなか割り切れない。……って、なんだか暗い話になっちゃったね。ほら、列が動くよ」
優菜が努めて明るい声を出す。
列を十五歩ほど進んだところで、また止まった。
入口は、まだ遠い。




