第三十七話「不死鳥の歌」-5-
激しい雨風が、凪宮の頬を打つ。
敬愛する主・瑞季が、泥濘に沈んでいた自分を拾い上げてくれた、あの日と同じ雨だ。
だが、目の前の少女は、凪宮とは違う。温かい家庭で愛されて育った人間。そんな人間が、あのときの自分と同じ絶望の雨に打たれている。
なんと美しい光景だろうか。
「……黙ってろ」
アスファルトに倒れ伏していたリアスピサが、呻くように呟きながら、ふらふらと立ち上がった。その瞳には、闘志の火がかろうじて残っている。
「その火……どうしたら完全に消えるんですかね。ああ、確かめたくて仕方がない……!」
恍惚のあまり、声が上擦っていく。
凪宮が軽く杖を振るうと、風の刃が再び彼女を襲い、スレイヴのLANケーブルが、その身体を打ち据えた。
「ぐああっ!」
悲鳴と共に、リアスピサは再び地面に膝をつく。
そのとき、スレイヴの胸に埋め込まれたモニターが、不意に、鮮明な映像を映し出した。
そこは、見慣れた高梁家のリビング。昨夜の光景だ。
モニターの中の星輝が、残酷な言葉を父へと突きつけている。
『……少なくとも、父ちゃんみたいに、たいした給料でもないのに、ずっと忙しそうな大人にはなりたくない』
モニターの彩度が下がり、やがて映像が白黒になった。
「あ……」
リアスピサの喉から、絶望の色を帯びた声が漏れた。一番見たくなかった光景。一番思い出したくなかった、自分の罪。
クスクスと、凪宮の笑い声が聞こえる。
「へえ、そんなことを言ったんですか。ひどいですねえ。咄嗟に出る言葉にこそ、本心が宿ると言うものですよ。あなたは、心の底では父親を責めている。無責任だと思っているんです」
凪宮の言葉が、冷たい泥水のように、リアスピサの心へと流れ込んでくる。
「否定したいですか? ですが、それがあなたの真実だ。口では綺麗事を並べても、あなたの本心は『親なんて子の脚を引っ張る邪魔者にすぎない』と思っている。僕と同じようにね」
違う!
そう叫びたかった。
だが、声が出ない。
ガラス片を飲み込んだみたいな痛みが走る。
「愛しているから助けたい? 滑稽ですね。それは、愛に見せかけた自己満足だ。あなたは父親を助けることで、自分の罪悪感から逃れたいだけなんですよ」
「……っ!」
凪宮の言葉に、父を信じたい気持ちまで揺らいだ。
雨脚が強まり、冷たい雫が頬を打つ。今はもう、この雨の中で燃え続ける火を、灯せる気がしなかった。
リアスピサは膝をついたまま、ついに両手をアスファルトについた。
「アッハッハ! いい気味ですね! 周囲から羨望の眼差しを向けられ、ぬるま湯の中で育った者なんて、所詮はそんなものなんですよ!」
凪宮は高らかに笑う。
「しかも、神辺穹が本物の代わりに選んだ、適性の低い代替品と来た……! 偽物は偽物らしく、安っぽい結末を迎えるのがオチですねえ! どうしました? 返事くらいしてくださいよ!」
何も言い返せない。
言い返す言葉がひとつも思い浮かばない。
ウチは所詮、偽物なんだ——。
世界から音が消えていく。
雨音さえも、聞こえなくなった。
——そのときだった。
ドゥン、ドゥン——。
轟音と雨音の隙間を縫って、腹の底に響く低音が聞こえた。
ベースギターの音だ。
そして、それを支えるように、カホンの温かいリズムが刻まれ始めた。
風壁の向こう側。
家の庭先。
渡が、雨に濡れるのも構わずベースをかき鳴らし、悠太がカホンを必死に叩いている。
彼らが奏でるリズムには覚えがあった。
制作中のあの曲だ。
「聞けえええ! 星輝!!」
暴風越しに、かすかに届いた、悠太の声。
「ひとりで全部抱え込むな!」
渡も声を張り上げる。
「おまえには仲間がいる!」
「僕らがいるだろ!」
「最高の仲間がな!!」
ふたりの声が重なり、星輝のもとへ届こうとしていた。
「悠太……渡……」
涙が、雨に溶けずに落ちた。
その瞬間、ベースとカホンのリズムが、耳元で鳴っているかのように鮮明に響いた。先ほどは風にかき消されていたふたりの声も、今度ははっきりと胸に届く。
「この暴風の中でも、おまえなら俺たちのリズムを感じられるはずだ。そうだろ?」
「星輝だけにひとりで戦わせるなんてゴメンだ。僕らに怪物を殴り飛ばす力はないけど、音楽でなら、星輝の隣で戦える!」
何度も繰り返し聞いたメロディが、耳の奥で蘇る。
ベースの低音が胸の奥を震わせ、カホンのリズムが背中を押す。冷え切っていた身体の芯に、少しずつ熱が戻ってきた。
そうだ。ウチは、ひとりじゃない。
瑞季や優菜、アスラや穹だけじゃない。
こんなにも最高の仲間がいる——!
たとえ、自分がリアスピサの代替品だとしても……仲間たちの存在は、紛れもなく本物だ。
「……ああ。感じるぜ。最高のリズムを……!!」
リアスピサの全身から、消えかけていた炎が再び噴き上がった。
その炎が片手へ集まり、形を変えていく。気づけば、彼女の手には、燃え盛るギターが握られていた。
リアスピサは、炎のギターをかき鳴らす。
弦を弾くたび、灼熱の音が衝撃波となってほとばしる。その衝撃が暴風を打ち消し、降り注ぐ雨粒さえ、彼女に触れる前に蒸発させていった。
「馬鹿な……!? 僕の風が!」
凪宮が目を見開いた。
「そんな力、見たことも聞いたこともありませんよ……! オルタナごときに、本物のリアスピサにない技なんてできるわけが……っ!」
彼の悲鳴のような叫びに、リアスピサは不敵な笑みを浮かべて答えた。
「本来のリアスピサが誰なのかは知らねえけどさ。この力は、リアスピサとしての力じゃねえ」
「なに?」
その瞳には、消えることのない劫火が熱く灯っている。
「——仲間に支えられて、いくつもの壁を乗り越えた、『高梁星輝』としての力だっ!!」




