第三十六話「月の音色」-6-
ヴォイズ・アークのアジト。その居間に、磐名は空間の歪みから姿を現した。
漆黒のソファには、ルフィトヴェルツェが深く腰掛けていた。何やら本をうっとりと眺めている。
「黒感情エネルギー、取ってきたぞ」
磐名は黒く染まった水晶を放り投げた。
ルフィトヴェルツェは水晶を手に取り、指先でつまみ上げ、シャンデリアの灯りにかざした。高級ワインを品定めするような目つきで、黒い輝きを眺める。
「イヒヒ……。やはり、スレイヴを使うと黒感情エネルギーの回収効率が段違いだねェ。なんといっても、あのヒーロー気取りの小娘たちが、我々にせっせと協力してくれるのだから」
「毎日のように町にちまちまエネルギーを集めているのが、バカバカしく思えるな」
「ワタクシとしては、キミたちがもっと積極的にスレイヴを作ってくれても良いのだがねえ。キミのボスのプライドのせいで、ワタクシは多大な迷惑を被っているのだよ」
磐名は、小さくため息をついた。
「スレイヴを使うのは正直気分がいいもんじゃないんだよ。アタシとしては今くらいの頻度でちょうどいい」
「キミも甘いねェ」
そのときだった。
ふたりの背後で空間が静かに歪む。
漆黒のコートを揺らしながら、黒瑞季が姿を現した。
その半歩後ろに、凪宮琥珀が続く。
「式乃。ご苦労だった」
黒瑞季の言葉に、ルフィトヴェルツェは彼女を見やり、口元を歪めた。
「おや。噂をすれば弱虫ボス様ではないか」
磐名の眉がぴくりと動いた。
「……今、なんつった?」
次の瞬間、磐名はルフィトヴェルツェの襟首を掴み上げていた。
だが、彼は怯むどころか、口元に薄笑いを浮かべたままだった。
「おやおや。キミたちの暗躍を、技術的にも資金的にも支援しているのは、いったい誰だと思っているのかね。ワタクシのこの偉大な研究がなければ、キミたちなど今もこのどうしようもない世界の、何十億といる駒のひとつにすぎなかっただろう?」
磐名はルフィトヴェルツェをさらに強く睨みつける。
その一触即発の空気を断ち切ったのは、黒瑞季の静かな一言だった。
「よせ、式乃」
その声に、磐名は舌打ちをすると、ようやくルフィトヴェルツェから手を離した。
ルフィトヴェルツェは喉の奥で笑った。
「リアハイリン。キミはもっとしっかりせねばならんよ。以前なんて、ヤツらを追い詰めた挙句、神辺穹に逃がされ、しかもヤツひとりに翻弄されて敗走していたではないか。その後も、ようやくヤツの尻尾を掴んだと思えば、逃げられた。ああ、情けないことこの上ないねェ!」
黒瑞季は答えなかった。ルフィトヴェルツェの挑発的な笑みを見つめている。
沈黙だけが、部屋を満たした。
そして彼女は、小さく息をついた。
「……ぐうの音も出ないな。だが、貴殿にとっても悪い結果ではなかったはずだ。あそこで決着がついていれば、貴殿の壮大な夢も潰えていたのだから」
「それはそうだねェ。結果的には」
「そもそも、あの日の作戦のシナリオを書いたのは貴殿だ。まったく責任がないとは言えないだろう」
「イッヒッヒ……」
黒瑞季はルフィトヴェルツェへ近づき、磐名の半歩前に出た。
「貴殿のことだ」
黒瑞季は首をわずかに傾ける。
「失敗したことまで想定済みだったのか?」
その指摘に、凪宮と磐名は目を見張る。
ルフィトヴェルツェは、ただ不気味に笑うだけだ。
「どこまで考えている?」
「さあね。イヒヒ……。ただ、ワタクシに言わせれば、キミはまだまだ尻の青いヒーロー崩れだ。悪を名乗るクセに非情になりきれていない」
「テメエ!」
今にも殴りかかりそうな磐名を、黒瑞季は無言で手で制した。
そして、彼女は静かにルフィトヴェルツェへと向き直る。
「ルフィトヴェルツェ。貴殿はひとつ勘違いをしている」
「……なに?」
「私たちは確かに、貴殿の資金に頼っている。だが、貴殿の夢を叶えてやる義理はない。スレイヴも、今では貴殿の協力なしに扱える。タイムマシンも同じだ。資金が必要なら、奪えばいい」
ルフィトヴェルツェの眉がぴくりと動いた。
「つまり、貴様は不要だ」
黒瑞季の右手から紫電が走った。
ルフィトヴェルツェの身体を電流が駆け抜け、喉から押し殺した悲鳴が漏れる。
それを、黒瑞季は静かに眺めている。
「がっ……!」
悲鳴が途切れそうになったとき、黒瑞季は稲妻を止めた。
ルフィトヴェルツェは咳き込みながら床へと崩れ落ちる。
床に倒れ、背中を丸めたルフィトヴェルツェの肩に、黒瑞季は硬い靴底を乗せた。
そして、体重を預ける。
「ィぎっ」
「勘違いするな。私たちは、貴様の夢を叶えるために動いているわけではない。私たちの野望の途中で、たまたま、貴様も利益を得ているだけだ」
彼女は再び、その右手に紫電をまとわせる。
「ま、待て! よせ! 今のは……そうだ、言葉の綾だ! ワタクシはキミの味方だ! だ、だろう!?」
黒瑞季は鼻を鳴らし、ルフィトヴェルツェから足を離した。扉の陰にナーサが立っていることに気づいても、何も言わず、そのまま立ち去った。
一部始終を覗き見ていたナーサが、改めて部屋に目を向ける。
「……!」
ナーサは目を見開いた。
床に倒れるルフィトヴェルツェの、今にも飛び出しそうな眼球と目が合ったから。
「イヒヒ……」




