第三十六話「月の音色」-1-
穹とのピクニックから十日前。
秋風が教室のカーテンを揺らす中、六時間目のホームルームが始まった。議題は、月末に控えた校内合唱コンクールの役割決めだった。
進行役のクラス委員長が、快活な声で呼びかけた。
「はーい! じゃあ、まずはピアノの伴奏者から決めたいと思いまーす! やりたい人ー?」
声が上がると、クラスのほぼ全員の視線が、ひとりの女子生徒・守山怜奈へと集まった。彼女は照れくさそうに笑い、おずおずと手を上げる。
ピアノの伴奏者は、満場一致ですぐに決まった。
問題は次だった。
「じゃあ次は、一番大事な指揮者! やりたい人ー!」
その言葉を聞いた瞬間、月音優菜の心臓がどきりと跳ねた。
指揮者。
それは、クラスをひとつにまとめる大切な役割。
そして何より——歌わずに済む。
優菜は息を吸い、手を挙げようとした。
だが、その手が机を離れるよりも早く、教室の最前列から声が上がった。
「はいっ!」
見ると、ひとりの男子生徒が勢いよく手を挙げていた。
「去年やりたかったけど、じゃんけんで負けてできなかったから! 今年こそは絶対にやりたいです! お願いします!」
その熱意のこもった立候補に、クラス中から「おお」と感嘆の声と温かい拍手が巻き起こる。
優菜は挙げようとしていたその手を、誰にも気づかれないようにそっと机の下へと下ろした。
去年も務めた自分が、今年も立候補するのは気が引けた。それに、彼の熱意は本物だ。きっと彼のほうが、自分よりもいい指揮者になれる。
そう頭では理解していた。
だが、心は正直だった。
彼女は口だけを動かし、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……終わった」
放課後になっても、優菜は自分の席で抜け殻のように座っていた。
そこに高梁星輝が心配そうに声をかけた。
「優菜……。どんまい」
「……うん」
事情を知っている星輝の慰めは、余計な言葉がないぶん、今の優菜にはありがたかった。
そこへ、何も知らない染谷瑞季と西沢沙耶がやってくる。
「優菜! 大丈夫!? 今にも口から魂が出ていきそうだよ!?」
「うん……成仏しそう。今までありがと。来世で逢おうね」
優菜は真っ白な顔で力なく口元を緩めた。普段の彼女には珍しく、妙に安らかな顔だった。
「でも、どうしたの?」
「……指揮者になれなかった」
その返事に、瑞季と沙耶はそろって首を傾げた。
「指揮者、そんなにやりたかったの?」
「そういうわけじゃなくて」
優菜は顔を赤くして、打ち明けた。
「……実はわたし……音痴なの」




