第三十四話「ふたつの空、重なる心」-2-
コンビニでグリーンスムージーとカフェオレを買った後、ふたりは近くの公園のベンチに腰掛けていた。
袋に入ったままのメロンパンと、パックのグリーンスムージーをベンチに置くと、そこへヒナが口を近づけた。紙のパックであるため中は見えないが、少しずつ減っているのだろう。
瑞季はカフェオレのパックにストローを指し、咥える。甘さとわずかな苦味が心地よかった。彼女の隣では、ブラフザールがミネラルウォーターを飲んでいる。
「プロテインとかじゃないんですね」
「タンパク質は運動後に摂取すればいいというものではない」
「そうなんですか?」
「一日の摂取量が何より大事なのだ。タイミングなどたいしたことではない。ここのところはカロリー管理をきっちりとこなしていてな。今週口にするものは、すべて決めてある」
「へえ……」
ブラフザールにストイックなイメージはあったが、その方向性が、なんとなくイメージとは異なっていた。饒舌な彼の様子は、まるでトレーナーのようだった。
その不思議な光景を横目に、瑞季は自分の悩みを打ち明けた。
「もしかしたら星輝から聞いてるかもしれませんが、私たちは今、ヘヴンとは別の敵と戦ってるんです」
ブラフザールの眉が、ぴくんと動く。
「ほう」
「リアハイリンとして戦っているとき、私は、戦うことへの高揚感や、敵を打ちのめすことへの快感を、感じちゃっているんです」
ブラフザールは何も言わず、うつむく瑞季の横顔を見つめていた。
「相手を殴るのが、気持ちいいんです。……自分の中にある、その衝動が怖くて。ずっとその気持ちを隠していたんですけど、今の敵と戦う中で——ううん、星輝たちと過ごす中で、じわじわと表面化してきてしまって」
瑞季は顔を上げ、ブラフザールの瞳を見つめる。鋭い瞳だが、年季のある穏やかな目元だった。
「こんな衝動を持った私は、やっぱりヒーローとして失格ですよね」
「……」
ブラフザールは彼女の告白を、黙って受け入れてくれた。
「なるほどな」
彼はそれだけを口にした。その続きの言葉を、考えているのだろう。
瑞季は沈黙が耐えられなくて、言葉を続けていた。
「軍の人って、そういう気持ちよさとか、持ってたりするんですか?」
「軍に入ってくるのは、そんな者ばかりだ。ただし、その感情を抑えきれない者が、長く生きることはない」
「え?」
「戦場で命を落とすからだ」
「あ……」
「その感情に支配された者は、自らも命を狙われる側であることを忘れ、無鉄砲に攻め込もうとしたり、一箇所に留まってしまいがちだ。どれほど強い人間でも、盾ごと破壊する兵器の的にされれば、生き残れるわけがない」
ブラフザールは、きっとそのような光景を幾度となく見てきたのだろう。その言葉の重みが、瑞季の心に深くのしかかる。
「ですよね……。私なんてやっぱり」
「しかし、君が落ち込む必要はない」
「え?」
「君が今、生きている場所は、戦場か?」
その一言に、瑞季はハッとした。
「相手を倒して気持ちがいいなんて、人間としてあまりにも当たり前の感覚だ。悔やむことも、恥ずかしがることも、恐れることもない」
ブラフザールは続ける。
「人生とは、いわば自分の領域をいかに強固に作り上げるかの試みだ。そして、その領域は、誰も侵してはならない。対して戦とは、相手の領域へと攻め込むことだ。自分の領域を出るからこそ、息をひそめる必要がある。——君は戦場で生きたいわけではないのだろう?」
彼はそこで一度言葉を切った。
「戦場……」
「自分の領域の中にいる限り、君は君らしくいればいい。昂る感情を無理に隠すことはない。相手の領域に入り込もうとしない限り、君のその感情が命取りになることはないのだから」
ブラフザールは瑞季から目を逸らし、青空を眺めながら、ミネラルウォーターを喉に流し込んだ。
「吾輩はもはや軍人ではない。自分の領域だけで生きている、ただの老いた男だ。好きにやらせてもらっている。だからこの話も、ただの老人の戯言だと思ってくれ」
そして彼は、再び瑞季の目をまっすぐに見つめた。
「君たちは我々に勝った。君たちの領域に踏み込んだ我々を撃退した。それを誇りに思い、胸を張ればいいのだ。もっと自信を持て。君であれば、たとえ道を踏み外しそうになっても、正してくれる仲間がいるだろう? 若いのだから、周囲に甘えながら、どんどん間違えればいい」
「……はい」
瑞季の声は掠れていた。
自分は、自信を持ちすぎていたと思っていた。自信がありすぎたから、間違ったのだと。これ以上、進む道を誤ってはいけないと、足元ばかりを見ていた。
でも、違った。
「私には——」
道を踏み外してこけそうになっても、手を取って助けてくれる仲間がいる。
「万が一、吾輩の力が必要だというのならば、喜んで手を貸そう。いざとなったら背中は護ってやる。だから若い君たちは、前だけを見て生きろ」
その不器用だが温かい言葉に、瑞季の心の黒いモヤが少しだけ晴れていくようだった。
瑞季よりも先に、ヒナが喋った。
「ブラフザール……。ありがとうニャ」
「礼には及ばん」
ブラフザールは立ち上がった。
「いい気分転換になった。こちらこそ感謝する」
瑞季も立ち上がり、頭を下げた。
「いえ! こちらこそ、本当にありがとうございました!」
ブラフザールは、ふっとその口元をわずかに緩ませる。
「不思議な気分だ。試合を終えたスポーツ選手同士が、ノーサイドで握手を交わす。その気持ちが、この歳になってようやく分かったよ。この清々しい感情を教えてくれたのは、他ならぬ君たちだ。感謝する」




