第三十三話「空と希望の帰還」-6-
過去へやってくる直前、神辺穹は息を殺して見守っていた。
瓦礫と化したビルの物陰の、悪夢のような光景を。
先生——リアマイムが泣き叫びながら、かつて共に世界を救った仲間であるリアスピサと戦っている。
そして、その激闘の末に。
リアマイムの水の刃が、涙と共に、リアスピサの胴体を、真っ二つに引き裂いた。
鮮やかな赤い血飛沫が、スローモーションのように舞い上がる。
それから程なくして、絶望に泣き崩れるリアマイムを、黒い戦闘服を纏った女——リアハイリンが、その手にかけた。
それを。
穹は、ただ見ていることしかできなかった。
声にならない悲鳴が、喉の奥で、塊になる。
涙が視界を滲ませる。
違う。
こんなの、嘘だ——!
彼女は歯を食いしばり、溢れ出す涙を、乱暴に手の甲で拭った。
そして、走った。
悲しみに足を止めている暇はない。
ヴォイズ・アークが喉から手が出るほど欲しがっている空のデシリル・ジェム。自分が持つそれを、けっして奴らに渡してはならない。
冷たく長い金属の廊下を、ひた走る。
目指すは、施設の最深部。ルフィトヴェルツェが開発し、管理している時間転移装置。
背後から、反響する複数の足音が聞こえる。おそらく凪宮と磐名だ。
穹は最後の角を曲がり、時間転移装置の部屋へ飛び込んだ。
巨大な円形の装置が、部屋の中央で不気味な光を放っている。その周囲には、無数の複雑なコンソール。
穹は、涙で滲む視界の中、薄い記憶を頼りに震える指を必死に動かした。
座標を定め、時間軸を同期させる。
染谷瑞季が、ただの普通の少女だった、あの時代へ。
「……何も、策なんてないけど」
コンソールを操作しながら、穹は自分に言い聞かせるように呟いた。
ヴォイズ・アークは、必ず自分を追いかけてくるだろう。
それでも、行くしかない。
「どうにかして逃げきってやる。絶対に……!」
そのとき、彼女の脳裏に、先生の悲しい笑顔がよぎった。
——デシリアになったことに、後悔はないよ。でもね、もし……もしも、過去に戻れるのなら……。わたしはもう、デシリアにはなりたくない、かな。
その言葉が、穹の小さな胸を締めつける。
そうだ。
先生は、戦いたくなんてなかったんだ。
すべては、あの女のせいだ。
染谷瑞季。
あいつがいなければ。
あいつがデシリアになんてならなかったら——。
憎しみで文字盤を操作する手が震えたとき、耳の奥で先生の声が響いた。
——瑞季を、どうか憎まないであげて……。
一瞬、穹の手が止まる。
「憎まないでなんて……無理だよ」
あいつさえいなければ、こんな悲劇は起きなかったはずなんだ——。
足音がすぐそばまで迫っている。もう時間がない。
穹は、ふたつの誓いを、その胸に刻んだ。
ひとつは、空のデシリル・ジェムを守り抜くこと。
そして、もうひとつは。
未来で、大好きな先生を殺すことになるあの女を――。
「——染谷瑞季を、この手で殺す」
先生の優しい笑顔を胸に、穹は起動した時間転移装置の眩い光へ、小さな身体を投じた。




