第三十三話「空と希望の帰還」-2-
ふたりは、アイコンタクトだけで互いの意志を確認し、同時にデシリアへと変身する。
赤と青の光が、がらんどうの灰色の空間を鮮やかに彩った。
「行くぞ、マイム!」
「ええ!」
先に動いたのはリアスピサだった。
床に転がっていた鉄骨を蹴り飛ばす。砲弾のように飛んでいく鉄骨を、黒瑞季はひらりと躱した。
だが、それは陽動だった。
本命は、その背後から迫っていた、リアマイムの水の槍。
しかし、黒瑞季は振り返ることさえしない。ただ、わずかに身を屈めただけ。水の槍は彼女の頭上を虚しく通り過ぎていった。
「陽動が見え見えだ。見るまでもない」
「舐めんじゃねえ!」
彼女は両手に炎を宿し、黒瑞季へと猛然と突っ込んだ。
だが、黒瑞季はその猛攻を、子供の遊びに付き合うかのように、いなし続ける。右の拳を左手で受け流し、左の蹴りをステップひとつで回避する。その動きには、一切の無駄がない。
「弱いな」
黒瑞季は、つまらなそうに呟いた。
「それがオルタナの限界というわけか」
「オルタナって、なんだよ! 前から言ってたけどさあ!」
「質問は力づくで聞き出せと言っているだろう」
リアスピサは壁を駆け上がり、天井から奇襲を仕掛ける。リアマイムは床に水の膜を張り、黒瑞季の足元を滑らせようとする。
そして、黒瑞季の両脇に、巨大な水の壁を出現させる。そのふたつの壁が、万力のように凄まじい速度で中央に立つ黒瑞季を挟み込んだ。
だが、
「『ヒアリン・フェーズ・ファースト【ケイリン】』」
黒瑞季の静かな詠唱と同時に。
水の壁は、最初から存在しなかったかのように、霧となって消え去った。
それが何を意味するのか。
リアマイムの理解が追いついた瞬間、今度は、リアスピサとリアマイムの左右に、まったく同じ水の壁が出現する。
「しまっ……!」
リアマイムは今の一撃で、力を消耗していた。逃げようとするが、足がうまく動かない。
リアスピサは炎の弾丸で壁を破壊しようとする。だが、水の壁はびくともしない。
「くそっ……!」
リアスピサは両腕を大きく広げ、迫り来る壁を自らの身体で受け止める決意をした。
轟音と共に、ふたつの壁が、リアスピサの身体を挟み込む。
「ぐ……うおおおおおっ!」
リアスピサは奥歯を噛み締め、全身の筋肉を隆起させて、その圧倒的な水圧に耐えた。
「スピサ!」
「大丈夫だ……っ! この、程度……!」
だが、その言葉とは裏腹に、ミシミシと骨の軋む音が響く。腕が小刻みに激しく震える。それでも彼女は眼を血走らせ、壁を左右に押し続ける。
リアスピサが限界を感じた瞬間。
純白の流星が、天から舞い降りた。
「はあっ!」
片方の水の壁が、リアハイリンのかかと落としにより、粉々に砕かれた。
もう片方の壁も、風の刃によって切り裂かれる。
「瑞季! アスラ!」
駆けつけた、仲間たちの姿。
「どうしてここに?」
「僕らが連れてきたのです」
ビルの壁際に、ふたつの人影が立っていた。凪宮琥珀と磐名式乃だった。凪宮は背筋を上品に伸ばしながら不敵な笑みを浮かべており、磐名は壁に背を預けながらあくびをしている。
困惑するリアスピサとリアマイム。
彼女たちに、リアハイリンが説明する。
「待ち合わせ場所に行ったら、星輝たちがいなくて、代わりにあのふたりがいてさ」
リアウインズが続ける。
「悪びれる様子もなく、『リアマイムとリアスピサが、我々の主と戦っています。……ついて来なさい』と。ちょっと疑いましたが、行かない選択肢はありませんでしたので」
リアスピサは黒瑞季に目を向ける。
「でも、そっちの人数も増えるんなら、ウチらが有利になるわけではないってことだな」
「勘違いしているな。彼らは案内役にすぎない」
「え?」
凪宮と磐名が、壁にもたれかかったまま肩をすくめた。
「ええ。我々は単なる見学者。ご安心を」
「アタシのボスを相手に、アンタら四人ごときが束になったところで、敵うはずもないからねえ」
「なめやがって……」
リアスピサはそう言いつつも、心のどこかで、ほっとしてもいた。ただ、心の大部分を占めるのは、もっと暗い心。
黒瑞季はその様子を見て、静かに告げた。
「リアスピサ、リアマイム。おまえたちは他のふたりに比べて力不足だ」
心を見透かされ、リアスピサの肩が、びくんと跳ねる。
「そんなこと……!」
リアハイリンが反論しようとするが、黒瑞季は、それを冷たく遮った。
「力があるものには、力がないものの気持ちなど分かりはしないだろうな。見てみろ、ふたりの顔を」
その言葉に、リアハイリンとリアウインズは、はっとする。リアマイムとリアスピサは、悔しそうに俯いていた。
「ふたりは、おまえたちと比べて、自分の力が弱いことを憂いていた。そして今、それを改めて見せつけられた、というわけだ」
リアハイリンもリアウインズも、何も言えなかった。仲間が、そんな悩みを抱えていたことに、気づくことさえできなかったのだから。
ひんやりとした静寂が訪れる。
その湿り気のある空気の中、ぱん、と乾いた音が響いた。
リアスピサが、自らの頬を強く叩いた音だった。
「……関係ねえよ、そんなこと」
彼女は顔を上げ、きっぱりと言い放った。
「確かに、ウチはハイリンやウインズほど強くねえかもしんねえ。でもな、ウチらは、チームだ! チームとして、てめえに勝てれば、それでいいんだよ!」
その言葉に、リアマイムもみるみる顔色を明るくし、力強く頷いた。
「いくぞ!」
四人の連携攻撃が始まった。
リアスピサの炎が黒瑞季の視界を奪い、リアウインズの風がその退路を断つ。リアマイムの水が足元を滑らせ、そして、リアハイリンの拳がその懐へと叩き込まれる。
だが、黒瑞季は、さらに上を行った。
炎を最小限の動きで躱し、風の流れを読み切り、水の膜の上を滑るように移動する。そして、リアハイリンの拳を、正面から受け止めた。
「あのふたりと違い、おまえはなかなか力があるな。さすがは、私だ」
リアハイリンは全力を出している。対する黒瑞季は、余裕があるように見えた。同じリアハイリンであるはずなのに。その力の差に悔しさを覚え、奥歯を噛み締めて力を加え続ける。
鍔迫り合いを続けていると、リアマイムとリアスピサが、左右から追撃を仕掛けようとしているのが、視界の端に映った。
それを見て、リアハイリンは咄嗟に叫んでいた。
「待って!」
その声に、ふたりは困惑して動きを止める。
黒瑞季は「何の真似だ」と目で問いかけていた。
「私は……もっとあなたと話したい」
黒瑞季は、ただじっと過去の自分を見つめる。
それを、「続けろ」の合図だとリアハイリンは解釈した。
彼女は後方へ跳んで距離を開け、自らの胸に手を当てる。
「私はやっぱり、あなたたちと戦いたくない。あなたたちにも、あなたたちの正義があるはず。それを、私たちに聞かせてほしい。そうしたら、もしかしたら、無駄に戦わずに済むかもしれない……!」
彼女はずっと考えていた。ヘヴンとの戦いで、ジンと戦わずに済む方法もどこかにあったんじゃないか、と。ジンも、元はと言えば瑞季たちと同じように精霊との和解を望んでいたのだから。しかし、悲しい出来事が重なり、ジンは心を捨て、非情に生きる道を選んだ。自分たちがうまく振る舞うことができれば——。
しかし、黒瑞季は、心の底からおかしそうに、肩を震わせた。
「……何か勘違いしているな、おまえは」
その声には、嘲りと、ほんの少しの哀れみが混じっていた。
「そうか。ちょうど、十四歳くらいの頃の私は、お互いに平和を目指しているのに、立場や環境の違いで対立するライバル関係が好きだったな。お互いの立場が少し違えば友達になれたかもしれない。お互いの生まれた環境が逆だったら、まったく逆の立場になっていたかもしれない。そのような関係が」
黒瑞季は右の手のひらを広げ、握り締めた。そして、力強い口調で続ける。
「しかし、そんな絵空事など、もうまっぴらだ。そんな物語が世間に溢れかえり、すっかり飽きてしまった。そんな私が真に憧れたのは、破壊を目的とする純粋悪。……勧善懲悪の物語における悪役。最終回には正義のヒーロー側に消し炭にされて殺される側……。そんな悪役の勝利がトゥルーエンドとなる物語を、私は求め、描いている」
黒瑞季は、一歩、前に出る。
その圧倒的な存在感に、リアハイリンたちは思わず後ずさった。
「世界を滅ぼすことが目的の私が、一グラムでも『正義』などという高尚な理念を持っていると思うか? おまえには、私たちの行いが『どこかの角度から見れば正義』というふうに映っているのか?」
彼女は、心底バカバカしい、というように首を振った。
「私たちヴォイズ・アークに、正義などない。あるのは目的だけ。私たちは、大義名分を掲げる正義のヒーローとは違う。故に、私たちの破壊を拒むおまえたちと分かりあうことなど、未来永劫、不可能」
その瞬間、リアハイリンの視界が大きく揺れた。何が起きたのかも分からぬまま、リアハイリンは、なすすべもなく、十数メートル後方へと吹き飛ばされる。
「正義などという自らを正当化するツールに、私たちは甘えるつもりなどない」
その言葉の意味を、リアハイリンは理解することができなかった。
黒瑞季の瞳を見上げる。十数メートル離れているというのに、その鋭い眼光や暗いオーラは、まるで目の前にいるかのように、彼女を強く威圧していた。
「さらなる絶望を見せてやろう」
黒瑞季は、静かに詠唱する。
「『ヒアリン・フェーズ・セカンド【イリン】』」




