第三十二話「われても末に あはむとぞ思ふ」-4-
無数のマネキンが、白い手足を絡み合わせ、リアウインズの身体を締め上げている。もがくたびに関節が悲鳴を上げ、鎖のように絡みついた人形たちは一体も離れない。
周囲では、リアハイリンとリアスピサが必死に駆け寄ろうとするも、地面の亀裂から湧き出るマネキンの軍勢に進路を塞がれ、一歩も前に進めない。
そして——リアマイム。唯一、動けるはずの彼女は、ただ、足を根で縛られたように立ち尽くしていた。
胸の奥で、冷たく重い声が囁く。
自分のせいだ——。
空っぽで、無力で、ヒーロー失格だから、仲間が傷つくんだ——。
そのとき。
「きゃあああっ!」
リアウインズの、喉を裂くような苦痛の叫びが響く。その瞬間、耳の奥で何かが弾けた。
頭の中で渦巻いていた言葉が、一斉に途切れた。
無個性、空っぽ、借り物……。
そんなものを考えている時間は、もうどこにもなかった。
水の力は、まだ呼び起こせない。どうすればいいのかなんて分からない。
「それでも、わたしは!」
叫びとともに無理やり地面を蹴った。靴裏が固い地面を削り、砂塵が舞う。
スーツ姿の人形の群れへ、ただがむしゃらに突っ込む。肩でぶつかる。腕を振り払う。しがみついてきた一体を力任せに投げる。すぐ次が来る。蹴る。殴る。押す。その動きに、美しさなんてない。
数体が同時に背後から飛びかかり、腕を、足を、鉄の枷のように掴み、締め上げる。呼吸が詰まり、骨が軋み、汗が額を伝う。
「負けて……たまるもんか……っ! ウインズッ!」
悲痛な叫びが、午前の公園の空気を切り裂いた。
その刹那、天が燃えた。
空を割って、無数の紅蓮の隕石が流れ込む。轟音と共に空気が震え、熱が頬を刺す。
炎の球は、一発も外さず、リアマイムとリアウインズを絡め取っていたマネキンたちを撃ち抜いた。焼け焦げた匂いが立ち上り、拘束が音を立てて崩れ落ちる。
解放されたふたりが息を呑んで空を見上げれば——そこには宙を舞うヒナと、その小さな身体に捕まるリアスピサの姿。
「大丈夫か!? マイム!」
次の瞬間、リアスピサは軽やかにリアマイムの隣へと着地した。
どうやら、ヒナがリアスピサをマネキンの群れから解放させたらしい。いくら数が多いといえど、マネキンに空を飛ぶことはできない。
「うん、なんとか……。でも、ウインズが……!」
拘束から解放されてぐったりと倒れ込むリアウインズの元へと駆け寄り、その身体を抱き上げる。
だが、安堵したのも束の間、倒したはずのマネキンが、核であるバッグから次々と湧き出てくる。そして、あっという間に、彼女たちを再び取り囲んでしまった。
腕の中で、リアウインズが苦しげに薄目を開けた。
「マイム……」
「ウインズ! ごめんね……。わたしが非力なばかりに……」
「いいえ……。優菜さんは、非力でも……無個性でも、ありません……」
途切れ途切れだが、その声には確かな意志がこもっていた。
「魅力のない人を、わたしは好きには、なりません。茜さんだって……きっと、そうです。あなたが、本当に無個性なら……茜さんは、あなたのことを……ライバルだなんて、思わなかったでしょう」
「!」
リアウインズは、震える手でリアマイムの頬を優しく撫でた。その瞬間、リアウインズの変身が解け、アスラに戻る。
「優菜さんは、優菜さんです」
それを言い終えると、アスラの瞳が閉じ切ってしまい、リアマイムの頬に添えた手がぶらりと垂れた。
そうだ——。
彼女の脳裏に、茜との別れのシーンが、鮮やかに蘇る。
「全国大会なんて考えたこともなかったなあ。でも、鳥羽さんが全国を目指すなら、わたしも目指す。ひとりなら頑張れないかもしれないけど、ひとりじゃないから」
それは、優菜自身の言葉。
「うん。遠く離れていても、私たちはかるたで繋がった戦友。今までと何も変わらない」
茜色の夕日越しのその背中が、とてもたくましく見えたのを、よく覚えている。
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の」
茜が上の句を発する。
すると、口からは自然と下の句がこぼれ出ていた。
「われても末に あはむとぞ思ふ」
それは、山を激しく流れる川の水が岩に当たり、ふたつに分かれて流れた後、再びひとつに合流して流れていく情景の歌。単なる恋の歌ではなく、戦に敗れたため住み慣れた土地を離れなければならない激情を、恋の歌になぞらえて詠まれた歌だとも言われている。
茜の瞳には、もう迷いはなかった。きっと、優菜自身の瞳にも。
再会を誓った、約束の歌。
あのとき、茜は確かに、自分を認めてくれた。
空っぽの人間なんかじゃない。『月音優菜』というひとりの人間として見てくれていた。
「……そうだ」
本当の答えは、最初からすぐ近くにあったのに。
——次は、絶対に勝つから。優菜ちゃん。
あのときの、力強い言葉。
今の自分は、あのときの彼女の想いに、応えられているだろうか。——いや、違う。
応えなければならないんだ。
その瞬間、身体の奥底から、今まで感じたことのないほど強く、温かい力が、奔流となって湧き上がってきた。
それは、茜との約束を果たしたいという、願いでもあった。
そして何よりも、自分を信じてくれた、仲間たちへの感謝と愛情だった。
そのすべての感情が、溢れ出す。
「——はあああああああっ!」
魂を絞り出すような叫びが、公園の空気を震わせた。
リアマイムの全身から、凄まじい水圧のオーラが爆発する。
地面を這う水流が轟き、空気が圧し潰されるように沈む。その圧力に触れたマネキンたちは一瞬の抵抗も許されず、激流に呑まれた木の葉のように宙を舞い、バラバラに砕けながら四方へ弾き飛ばされていった。
視界の端に散る破片すら気に留めず、リアマイムは力のすべてを一点に集中させる。狙いは——スレイヴの本体、黒いビジネスバッグ。
彼女の両脇に、うねりを上げながら二枚の巨大な水の壁が立ち上がる。まるで生き物のように脈打ち、渦を巻き、重さと圧力を孕んだ蒼の巨壁。
「——沈みなさいッ!」
そのふたつの壁が、雷鳴にも似た轟音を伴って迫り、スレイヴの核を挟み込む。
衝撃の瞬間、公園全体が水の咆哮に包まれた。
耳をつんざく轟音とともに、爆発のような水飛沫が天高く舞い上がり、空を一瞬だけ湖に塗り替える。飛び散った水は冷たく肌を打ち、すべてを洗い清めるように広がっていった。
飛び散った雫が頬を打つ。その冷たさが、カスパールを抱きしめた雨の日の記憶を呼び覚ました。
あのとき、カスパールに伝えた言葉のひとつひとつは、確かに誰かから聞いたものだったかもしれない。
……でも、それを組み立てたのはわたし。
紛れもない、わたしの言葉。
リアマイムは自分の胸に手を当てる。
「わたしなら、最初からここにいたんだ」




