第三十二話「われても末に あはむとぞ思ふ」-3-
鳥羽茜が去った後、優菜は、その場にただ立ち尽くしていた。
瑞季、星輝、アスラの三人が、心配そうに彼女の顔を覗き込む。
「優菜……」
「……大丈夫」
優菜は、無理やり笑顔を作ってみせた。
だが、その笑顔はひどくもろく、今にもガラスのように砕け散ってしまいそうだった。
三人は、かける言葉を見つけられない。
そんな重い空気の中、状況を察した足立先生が、優しく語りかけた。
「月音さん。開会式までまだ少し時間がある。その辺りをお散歩して、気分転換でもしてきたらどうだい?」
「先生……。でも」
「大丈夫。何かあったら、すぐに電話するから。みんなも一緒に行ってやんなさい」
その言葉に、瑞季たちが待ってましたとばかりに頷く。
結局、優菜はその気遣いに甘えるしかなかった。
四人はあてもなく、会場近くの整備された公園を、ゆっくりと歩く。
「……気にすんなって、優菜」
最初に沈黙を破ったのは、星輝だった。
「あいつ、ちょっと言い方キツいけど、悪気はねえんだと思うよ。あんまり知らねえけどさ」
今の優菜の心には、その温かささえも、素直に届かなかった。
優菜は、力なく首を振った。
「茜ちゃんの言う通りだよ。わたしが悪いのは、間違いないから。集中できてないのは事実だし……。ライバル失格だよね」
その自己否定的な言葉に、瑞季も星輝もアスラも、返す言葉を失ってしまった。
気まずい沈黙が、四人の間に重くのしかかる。
その息苦しい空気を切り裂いたのは、瑞季のバッグの中から飛び出したヒナの声だった。
「……みんな!」
「どうしたの、ヒナ。まさかと思うけど、繋市にスレイヴが現れたとか言わないよね? さすがに戻れないよ」
「違うニャ! この近くに現れたんだニャ!」
「なんで!?」
その言葉と、ほぼ同時に。
公園の中心にある広場の方から、人々の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
四人は顔を見合わせると、一斉に悲鳴がした方角へ駆け出した。
そこにいたのは、あまりにも異質な存在だった。
公園のコンクリートでできた、何の変哲もない抽象的なオブジェ。それが歪にうごめき、巨大な黒いビジネスバッグのようなものを取り込んでいる。
そして、そのバッグから、次々と人型の何かが生えてきていた。
リクルートスーツを着た、のっぺらぼうのマネキン。
すべて同じ顔。同じ服装。同じ、無個性な姿。
その軍団は、誰ひとり声も上げず、同じ歩幅、同じ速さで前へ進む。
「なにあれ」
「スレイヴっぽいけど……」
明らかに異質だ。
瑞季のバッグから顔を出すヒナも、驚いた顔を見せていた。
「見た目はヘンテコだけど、この気配は間違いなくスレイヴだニャ。あの中心の黒いバッグに、素体の魂が見えるニャ」
四人は近くの茂みに身を隠すと、アイコンタクトだけで互いの意志を確認し、同時に変身を遂げた。四色の光が、白昼の公園に、一瞬だけ虹を描く。
光が収まると、四人の戦士は一斉に茂みから飛び出した。
リアハイリンが飛び込み、一体を蹴り飛ばす。
リアスピサの炎が一気に数体のマネキンを燃え上がらせる。
リアウインズの風が逃げ遅れた子供に襲いかかるマネキンを吹き飛ばす。
リアマイムは親子の前へ立ち、水の壁を展開した。
やがて、公園にはスレイヴと、その配下である無数のマネキンと四人のデシリア。そして、ベンチに気怠そうに腰掛ける磐名式乃だけが残された。
「どうもどうも」
「磐名!」
瑞季が、警戒をあらわに叫ぶ。
「東京まで呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん、してみたけど、どう? びっくりした?」
「びっくりはしたけど……そんなことより、なんでここにいるの! ストーカー!」
「まあ、否定はできないね。こういうの、けっこう悪役っぽいだろ? 一応、ウチはちゃんと交通費も出るんでね。ホワイトだよ」
「変なこと言わないで!」
磐名はほくそ笑みながら、その視線をリアマイムへと向けた。
「あれ? なんだか、ひとり浮かない顔のがいるねえ。今日は、アンタの大事な大会なんじゃなかったっけ? 緊張して便秘にでもなってんの?」
「……なってない!」
リアマイムは挑発に乗るまいと平静を装って答えたつもりだったが、無意識に声を張り上げていた。
彼女たちは一斉にマネキン軍団へと飛びかかった。
リアスピサの拳がマネキンの胸を砕く。
乾いた音を立てて身体は砕け散る。だが、砕けた破片が地面へ落ちるより先に、黒いバッグの口が大きく開いた。吸い寄せられた破片が、そのまま新しい腕となり、新しい脚となる。
数秒後には、まったく同じ姿のマネキンが、何事もなかったかのように生産されていた。
「なんだよこいつら……」
「よく分からないけど、地道に倒していくしかない!」
リアハイリンは目の前の二体を同時に脚で薙ぎ払うと、背後に出現した一体のマネキンに肩を掴まれた。
「い……っ!」
その力は、見た目に反して強い。肩の骨が砕かれてしまうかと思うほどの、鈍い痛みが走る。振りほどこうとしても、万力のようにがっちりと掴んで離さない。
身体を沈める。掴まれた腕を逆に引き込み、その勢いのまま背負い投げ。一体目が宙を舞い、後続のマネキンを巻き込んで倒れる。
だが、倒れた隙間からまた同じ顔が現れた。
「くっ」
一方その頃、リアマイムは無数のマネキンに取り囲まれていた。
のっぺらぼうのマネキン。
それはまるで、今の、空っぽの自分自身の姿のよう。
『お前もその他大勢と同じだ』
『お前に価値などない』
『誰かの真似しかできない、空っぽの人間』
スーツ軍団が一斉に同じ声で囁きかけてくる。それは、いつものスレイヴの心の声とは違い、マネキン自身から発され、空気を通して聞こえてくる。
「——そんなこと、ねえ!」
リアスピサが怒りの炎をスーツ軍団へと叩きつけた。数体のマネキンが炎に包まれ、溶け落ちる。
だが、その空いたスペースを埋めるように、核であるバッグから、すぐに新たなマネキンが生み出された。
「キリがありません!」
リアウインズが風の刃でスーツ軍団を風圧で十数体まとめて吹き飛ばす。
だが、吹き飛んだマネキン同士が空中でぶつかり、そのまま何事もなく着地する。
姿勢まで同じ。
距離まで同じ。
『お前も同じ』
『同じ』
『同じ』
再び、一糸乱れぬ足並みで歩き始めた。
「気味が悪い……」
リアハイリンが物理的な攻撃で、一体、また一体と粉砕していく。しかし、その数には限りがない。
『誰かの真似しかできない』
その声が、やけに鮮明にリアマイムの耳へ残った。
「違う!」
リアマイムは叫んでいた。
しかし、その後に言葉が続かなかった。
頭の中には、ヒーローたちの台詞がそのまま浮かぶ。
——そうやって、いちいち他人の言葉を借りねえとテメエの意見も言えねえのか!?
また借り物だ。
他の言葉が思い浮かぶ。しかし、それもどこかで聞いたことのある台詞。
自分の言葉じゃない。
だったら……わたし自身の言葉って……何だろう。
「マイム!」
仲間の声で、気がつく。目の前までマネキンの手が迫っていたことに。
マネキンに手を向け、水で吹き飛ばそうとする。
しかし、その手からは何も出なかった。
「え……」
水を呼ぶ。
何度も呼ぶ。
指先に集まるはずの冷たい感覚が、今日はどこにもなかった。
「——危ない!」
リアウインズが、咄嗟に風で彼女を突き飛ばす。
だが、そのせいで、リアウインズ自身の防御がおろそかになった。
別のスーツ軍団が、彼女の無防備な背中を捕らえた。
「うっ……! 離しなさい!」
リアウインズが風を爆発させる。
十数体が吹き飛ぶ。
しかし、すぐさま新しいマネキンが歩いてくる。
一体。二体。五体。十体。
まるで終わりがない。
ついに手首を掴まれる。足首を掴まれる。
「……くっ!」
手首がちぎれそうな痛みに顔を歪めながら、風でマネキンの腕を切り裂いた。
しかし。
腰に、肩に、首に。風を放とうとするたび、別の手が伸びてくる。
「ウインズ!」
リアハイリンもリアスピサも、助けに行きたくても行けない。彼女たちの周りにも、無数のマネキンが、壁のように取り囲んでいたから。
そんな中、リアマイムの目の前を一体のマネキンが通り過ぎる。ぶつかるほど近い。それでも、まるでそこに誰もいないかのように、リアマイムを避けて歩いていく。
まるで、もう敵ですらないと判断されたかのようだった。
「くっ……!」
再びマネキンに手を向け、いつものように水の流れを想像するが、水は出なかった。
リアマイムには、自分のせいで仲間が傷ついていく光景を、ただ、なすすべもなく見つめることしかできない。
どこからともなく、磐名の声が聞こえた。
「ほら。やっぱりアンタは、からっぽだ」
もはや睨み返すことすらもできない。
リアウインズが苦しそうにもがく。
リアハイリンが叫ぶ。
リアスピサの炎が消えていく。
それでも、自分だけが、何もできなかった。




