第三十一話「夢から醒めても」-6-
彼女たちが答えを出すのを、スレイヴが待ってくれるはずはなかった。
鋼鉄の腕が鞭のようにしなり、思考の海に沈んでいたリアハイリンへと襲いかかる。
「ハイリン!」
リアスピサが咄嗟に炎の壁で庇うが、完全に防ぎきることはできない。衝撃で、デシリアたちの陣形が乱れた。
スレイヴの猛攻が再開された。そのたびに、めぐみの絶望が心へ流れ込んでくる。
リアマイムが水の盾を構える。
——もう守るものなんて何もない——。
盾が揺らぐ。
リアスピサが炎を放つ。
——すべてを終わらせて消えてしまいたい——。
炎の勢いが、目に見えて落ちた。
そして、その精神攻撃のすべてに、リアウインズの心が深く苛まれていた。
攻撃を避けようとすれば、身体が動かなくなる恐怖が足を縫い止める。反撃しようとすれば、これ以上苦しめたくないという罪悪感が、腕を鉛のように重くする。
「うっ……く……!」
動きが鈍ったリアウインズの肩を、スレイヴの金属片が掠める。戦闘服が裂け、白い肌に赤い線が走った。
吹き飛ばされ、瓦礫の上に倒れ込む。
もう、立ち上がれない。
どうすれば。
どうすれば、彼女を救える?
《——どうして私がこんな目に……》
ずっと遠くから、めぐみの声が聞こえる。
《私がいったい何をしたっていうの!》
倒れ伏すリアウインズに、スレイヴがとどめとばかりに、その鋼鉄の腕を振り上げた。
「ウインズ!」
リアマイムが跳ぶ。
鋼鉄の腕が振り下ろされた。
リアウインズの肩を押しのけた、その背中を、鉄の腕が掠める。
「……っ!」
水色の戦闘服が裂けた。
「マイム!」
痛みに顔を歪めながらも、リアマイムはリアウインズを腕に抱え、跳躍した。
その先にはリアハイリンとリアスピサがいる。
リアマイムは着地するが、体勢を崩してしまった。リアウインズが彼女の腕から離れ、リアマイムの身体を支えた。
「……申し訳ありません。私が、もっとしっかりしていれば……」
「気にしないで」
リアマイムは痛みに顔を歪めながらも、優しく微笑んだ。
「完璧な人なんて、どこにもいない。互いに助けあって、補っていくの」
「互いに、助けあう……」
「うん。ウインズは……アスラちゃんは、どうしたいの?」
自分のすべきことも、やりたいことも、もう、何も分からない。
「……マイムなら、どうしますか? こんなとき、物語のヒーローならどうするのですか?」
絞り出すような声だった。
その問いに、リアマイムは少しだけ遠い目をした。
そして、彼女が愛した数多の物語の中から、ひとつの答えを紡ぎ出す。
「わたしが憧れてきたヒーローたちなら、きっと、どんなときでも希望を諦めない。夢を諦めないと思う」
彼女は、リアウインズの手を、強く握った。
「こんなセリフもあるよ。——『絶望と希望は背中合わせ。絶望の象徴たるあなたが存在する限り、希望を目指す私たちも、けっして消えはしない』って」
「!」
絶望があるから、希望を目指せる。
その言葉が、アスラの中で繋がった。
めぐみが苦しんでいるのは、まだ諦めていないからだ。
「難しいことは分かんねぇけどさ」
リアスピサは自分の頭を掻きながら苦笑した。
「ウチだって何度も思ったことがある。全部投げ出してえな、って。でもさ。そう思ったときって、大抵まだ諦めきれてねえんだよ」
「私もそう思う」
リアハイリンが静かに頷く。
「本当に全部どうでもよくなった人は、苦しいとも言わなくなるんじゃないかな。……だったら、まだ終わってないよ」
リアウインズの脳裏に、三人の姿がよぎった。
瑞季。
星輝。
優菜。
絶望の中にいた自分へ、何度も手を伸ばしてくれた、あの日のことを。
そして、護りたいと願った、あたりまえの日常を。
「……ありがとうございます、みなさん」
リアウインズは確かな意志を持ち、スレイヴへ対峙する。
その瞳には、もう迷いの色はなかった。
彼女は静かに歩み寄る。
「めぐみさん。あなたの苦しみを完全には分かることは、私にはできません。これまでの人生も、これからの不安も、本当の意味で共有することはできないでしょう。ですが……!」
スレイヴが、彼女を排除しようと鋼鉄の腕を振り上げる。
リアウインズは、それを柔らかな風で優しくいなした。
「死にたいという、あなたの気持ちは……『もっと自由に生きたかった』『もっと普通に生きたかった』という想いの裏返しなのではないでしょうか」
スレイヴの動きが、ぴたりと止まる。
胸のモニターに映るめぐみの顔が、苦しげに歪んだ。
「私にできるのは、あなたを希望の未来へと、ほんの少しだけ後押しすることだけです」
リアウインズはスレイヴの懐へ迫り、両腕を大きく広げた。
「だから、お願いです。もう少しだけ、一緒に頑張ってみませんか? 私も、ここにいますから」
そして、リアウインズはスレイヴの身体へ抱きついた。
スレイヴも、それを拒絶しようとはせず、ただ、彼女のぬくもりを感じ取っていた。
モニターの下から滴る黒い油が、透明な純水に変わっていく。
リアウインズの心に、穏やかな声が直接響いてきた。
《私は怖いの……。どれほど頑張っても、元の身体には戻れないってことが……》
こぼれ落ちていく水が、リアウインズの衣服を濡らしていく。
《本当はね……怖いけど、まだ諦めたくないの。アスラさんやこの病院の優しい先生たちに出会えて、少しずつそう思えるようになった。夢の中では、私は歩けても、みんなはいない。だから私……もっと生きてみたい》
か細くも、確かな言葉。
アスラ自身の心も、温かいものに満ち始める。
「私も、めぐみさんに出会えてよかったです。たった今、めぐみさんのおかげで私は、とても大切なものを見つけられましたから」
《……これからも、ときどき話し相手になってくれる?》
「はい。もちろんです」
リアウインズは力強く頷き、デシリル・アンプを通して流れ込んできた風の力を、全身に満たしていく。
「『黒き感情、晴れわたれ』」
両手を胸の前で組み、目を閉じる。
そして、心の底からの切なる願いを、風の力に乗せて解き放った。
「『デシリア・セラフィック・ブリーズ』」
聖なる風に包まれたスレイヴは、長い悪夢から解放され、穏やかな光の粒子となって消えていった。
「ちっ……。実に陳腐な演劇を見せおって……」
ルフィトヴェルツェが忌々しげに舌打ちした。
アスラは彼へと向き直る。
「ヴォイズ・アークがヘヴンの技術を使えたのは、あなたが手を回したからですね」
「いかにも。それから、タイムマシンもワタクシの発明サ……イヒヒ……」
誇らしげに笑うルフィトヴェルツェに眉をしかめ、それから倒れるめぐみへ目を向ける。手で胸を押さえ、冷や汗を掻いていたが、その表情は不思議なほど安らかだった。
「あなたたちの召喚したスレイヴの素体が、黒感情を浄化されても苦しそうなのは……あの暴力的な召喚の仕方が原因ですか」
「ワタクシはジン君のように甘くはないのでね。もっとも効率的な黒感情の醸造および抽出方法を生み出したのだ。素晴らしいだろう! ワタクシの発明は!」
「ふざけないでください!」
アスラの怒りが、その場の空気を凍てつかせる。
「心を失った後のジンさんでさえ、そんな人の心を弄ぶような非道な真似はしませんでした! あなたなんて、ジンさんの風上にも置けません!」
ルフィトヴェルツェの笑みが消えた。
静寂。
先ほどまでの粘つくような笑い声が、嘘のように途絶える。
「……風上」
ぽつりと呟く。
「風上だって?」
彼は俯いたまま肩を震わせた。怒っているのか、笑っているのか、分からない。
「ワタクシはねェ」
ゆっくりと顔を上げる。その瞳からは、狂気的な輝きが漏れていく。
「奴が死んでからもなお、ワタクシはヘヴンを背負って研究を続け、ついに奴を超えた……! ワタクシこそが神なのだ! この世界の歴史に刻まれる、最後の神となったのだ!!」
リアウインズたちの故郷では、神を信仰するという文化はほとんどない。精霊という人間の上位に立つ存在に支払いされた歴史があるため、「神が我々を護ってくれる」という考え方が信じ続けられなかったのだ。
しかし、この世界ではそうじゃないことを、アスラは学んでいた。
「神という言葉を、安易に自分に当てはめて使うのは、それを信じる人々の信仰への侮辱にも、ジンさんが進化させた科学という学問への冒涜にも、聞こえます」
「イヒヒヒ! ジン君と似たことを言うんだねェ、君は! 実に、実に面白い! ああ、ジン君のキレイな顔を思い出してきたよ……。この手であの顔をぐちゃぐちゃにしてやれなかったのが悔やまれる……! 代わりに、キミをぐちゃぐちゃにしてやりたいねェ」
背筋に、冷たいものが走る。
その様子をうっとりと眺めながら、ルフィトヴェルツェは続ける。
「キミの心を、どうやってズタズタにしてやろうか……。どんどんシナリオのインスピレーションが湧いてくるよ……イッヒッヒ……。これは、夜も眠れなくなりそうだァ!」
狂的な笑い声を残し、彼は空間の歪みの中へと姿を消した。
しばらくの間、誰も何も話さなかった。全員の耳の奥に、ルフィトヴェルツェによる気味の悪い笑い声が粘りついているだけだった。
リアウインズは変身を解き、静かに眠るめぐみの元へ歩み寄り、しゃがみこむと、ひとりごとのように語りかけた。
「贖罪とは、過去の罪を、ただ償うことだけではないのですね」
これからを生きていく人の、未来を護ること。
ヴォイズ・アークの野望は、その尊さを踏み躙る行為に他ならない。彼らの思い通りには、絶対にさせてはならない。
彼女は新たな決意を誓い、めぐみの身体を静かに抱えた。




