第三十話「正義と救済の境界線」-7-
紅蓮の閃光がスレイヴの巨体を飲み込んだ。金属が融解し、歪み、その存在を消滅させていく。
後に残ったのは、気を失い、地面に倒れる少女の姿だけだった。
陣頭愛華の寝顔は、安らかではなかった。眉間には深い皺が刻まれ、まるで悪夢にうなされているかのように、その表情は苦しげに歪んでいる。きっと、今の自分も同じ顔をしているのだろう、とリアスピサは思う。
後味の悪い、勝利だった。
廃車の山の頂上から、凪宮の声が降り注ぐ。
「ヒーローにすら救われない者が、スクラップ置き場で力尽きる……。まさに、社会のゴミにふさわしい最後ですね」
「てめえ……!」
「人は、自分の見えないところを単純化します」
スクラップに腰をかけた凪宮は、足をぶらぶらさせながら、淡々と続ける。
「たとえば、薬剤師を『処方箋を見て薬を渡すだけの楽な職業だ』とか言ったり、国会なんてまともに見たこともないくせに『国会議員は何もしてない給料泥棒だ』なんてネットに書き込んだり。学のない人間というのは、自分の分からないところを、分かろうとはしません。そこが空白だと考えます。あなたたちも同じですよ。あなたたちは彼女を知ろうとした。けれど、分かり合えないと分かった瞬間、悪人という一番簡単な箱へ押し込めた。……彼女の人生はそういったことの繰り返しだったかもしれませんね。あなたたちのような『あなたのことを分かりたい』と言いながら、面倒になったら突き放す偽善者ばかりに囲まれて。そうして、すべてを諦めたのではないでしょうか。知りませんが」
星輝は俯き、歯を食いしばる。彼の言うとおり、自分たちは、彼女と分かりあう手段を死にもぐるいで探すべきだったのだと。
しかし、
「それは違う」
仲間たちが、星輝の前に立ち、凪宮へ対峙する。
「確かに、陣頭さんにも色々あったかもしれない。でも……」
「彼女は星輝を傷つけた! 陣頭さんを知ろうとして差し伸べた星輝の手を振り払った!」
「助けない選択肢だって、尊重されるべきです!」
そんな正義のヒーローたちへ、凪宮は軽蔑のような視線で、見下した。
「そんな偉そうな詭弁によって見捨てられた人が、この世界にはたくさんいるんですよ。そして、そこから僕らヴォイズ・アークが生まれました。正義に救えるのは、正義が救いたくなる『いい人』と、媚を売るのがうまい偽善者だけです」
ニヒルな笑みを浮かべ、まるで最初からいなかったかのように、凪宮はその場から姿を消した。
変身を解いた四人は、ただ黙って、倒れている陣頭愛華を見つめていた。沈みかけた太陽に雲が覆い被さり、彼女たちを照らす光がなくなっていた。
「星輝……」
瑞季が、心配そうに声をかける。
星輝は、力なく首を振った。
「正義ってもんが、何も分からなくなった」
その声は、ひどくか細かった。
「本当にこれでよかったのか……? 助けたいって思った。でも、助けたくないとも思った。その両方が本音だった。そういうとき、ウチはいつも、明るい方、正しいって思える方に従ってきた。それが、高梁星輝としてあるべき姿なんだって信じてきた。それが間違いだってんなら、ウチは……」
「星輝は少し、自分以外のことを気負いすぎだと思う」
優菜の静かな指摘。
「……」
何も言い返せなかった。
優菜はそんな彼女の様子を見て、深いため息をついた。
「……今日はもう帰ろう。みんな、疲れてる」
星輝が帰宅したのは、東の空が暗くなり始めた頃だった。
疲弊しきった身体を引きずるようにして、自宅の玄関のドアを開けた、そのときだった。
「なっ!?」
静まり返った影の中、上がり框に、ひとつの人影が、まるでそこが自分の居場所であるかのように座っていた。
「……おかえりなさい、高梁星輝さん」
凪宮琥珀だった。
かすかな夕日だけが差し込む玄関で、その少年は、不気味なほど静かに微笑んでいた。
「てめえ……! なんでウチの家を……!」
「靴、いっぱいありますね」
凪宮は、星輝の怒りなど意にも介さず、玄関に並べられた、サイズの違ういくつものスニーカーを、品定めするように眺めた。
「でも、大人の女性のものは見当たらない。……もしかして、お母さまがいらっしゃらないのですか?」
その言葉は、ナイフのように星輝の心を抉った。
「これだけ子供がいるなんて、お父様の稼ぎがよっぽどいいんですね——なんてことは、まるでないのでしょう。ここの家、ずいぶん年季が入っていますね。リフォームもされていないようだ」
凪宮は楽しそうだった。人の心の、もっとも薄く触れられたくない部分を、爪の先でなぞるように、続ける。
「以前から、あなたの乱暴な口調が気になっていましたが、やはり、育ちが悪いんですねえ」
その言葉のひとつひとつが、星輝が心の奥底で抱えていた、コンプレックスそのものだった。
「貧しい人間の綺麗事なんて」
凪宮は、心底楽しそうに笑った。
「寒くて寒くて、滑稽だ」
星輝の頭の中で、何かが切れた。
気づけば、彼女は凪宮の胸ぐらを掴むために、拳を振り上げていた。
だが、その拳は、空中でぴたりと止まった。
ここで殴ってしまったら、こいつの思う壺だ——。
震える拳を、必死に抑え込む。
そのとき、彼女の脳裏に、先日の戦いで瑞季が話していたことがよぎった。
——リアマイムがリアスピサを殺した。そして、私が、そのリアマイムを殺した。
それはつまり、リアスピサも未来の瑞季側だったということじゃないか?
凪宮は、そんな星輝の葛藤を、まるで極上のエンターテイメントでも見るかのように、恍惚とした表情で見つめていた。
そして、とどめとばかりに、彼は、もっとも残酷な質問を投げかけた。
「お父さまのことは、嫌いですか?」
反射的に回答することはできなかった。一度息を飲み、答える。
「そんなわけ、ねえだろ……!」
その一瞬の逡巡を、凪宮は甘い蜜を味わうように堪能していた。
「そうですか? では、お父さまの稼ぎがもっと高ければ、なんて思ったことは? 子供をこんなにたくさん抱えているのに、たいした所得がないなんて、無責任だと思ったことは?」
凪宮は、悪魔のように囁いた。
「あなたの親がもっと責任を持って子育てしていれば、あなたはその若さで新聞配達のアルバイトをしようとしたり、『音楽で金を稼いで家族を助けたい』なんて馬鹿な夢を、見ずに済んだはずです」
星輝の背筋に、冷たいものが走った。
それは、星輝がデシリアになる前、スレイヴになったときに初めて表に出てしまって以来、誰にも言っていないことだったから。
「!? なんで、それをてめえが……!」
その問いに、凪宮は満足げに微笑んだ。
「あなたがスレイヴになったときも、こっそりと拝見させていただきましたよ」
凪宮はすっと立ち上がる。
「神辺穹がこの時代に逃げてきたのは、染谷瑞季さんが初めてリアハイリンになった日なんです。僕の主をあれほど嫌う彼女のことですから、すぐにでも彼女を殺すか、どうにかして未来を変えようと干渉してくると思っていたのですが。……不思議なことに、その形跡と思しきものはあれど、直接接触したという証拠が見つからないのです」
「形跡と思しきもの……?」
「あなたたちのことですよ」
その不穏な言葉の意味を考える前に、背後から「あれ?」と聞こえた。
「ただいま、星輝」
「ただいまー」
門の前に、仕事帰りの父親が、末っ子の颯太の手を引いて、立っていた。
「あ……おかえり」
「お友達かい?」
その瞬間、凪宮の表情は、完璧な、人当たりの良い少年のものへと、一瞬で切り替わっていた。
「ええ。おじゃましておりました。もう帰ろうとしていたところです」
彼は、父親に、にっこりと笑顔を向けた。
「おじゃまいたしました」
凪宮は、星輝の横を、すれ違う。
そのとき、彼の唇が、星輝にしか聞こえない声で、動いた。
「——いつでもお話を伺いますよ」
凪宮は、夕闇の中へ溶け込むように、静かにその姿を消した。
残された星輝は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
(第三十話「正義と救済の境界線」了)
第三十一話「夢から醒めても」2026/09/12 8:00投稿予定




