第三十話「正義と救済の境界線」-2-
その翌日、陣頭愛華は二週間ぶりに繋中学校へと登校した。
教室のドアは少しだけ開いていた。愛華はその縁を掴むと、わざと大きな音を立ててドアを押し開いた。どん、と打撃音が響く。
その瞬間、浮かれた喧騒に満ちていた空気が、ピリッと張り詰めたのを、陣頭は肌で感じた。談笑していた生徒たちの声が、一斉に止まる。すべての視線が、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように、入り口に立つ自分へと集まった。
好奇、軽蔑、恐怖。
様々な感情が入り混じった視線のシャワーを浴びながら、陣頭愛華は悠然と教室を横切っていく。
彼女が、教室の一番後ろの席にどさりと腰を下ろすと、凍りついていた教室の時間が少しずつ動き始めた。
ひそひそとした囁き声。ぎこちない笑い声。誰もが、陣頭愛華という存在など最初からここになかったかのように、必死で日常を取り繕おうとしている。
だが、そんなものは上辺だけの演技だと、彼女は知っていた。
誰もが、自分を気にしないように、必死で気にしているのだ。
やがて、始業のチャイムが鳴り、担任である若い男性教師が教室へ入ってきた。彼は出席簿を確認しながら教室を見渡し、そして、陣頭愛華の姿を認めると、びくりと肩を震わせた。
あまりにも分かりやすい反応。
「ああん?」
陣頭愛華は心の中でほくそ笑みながら、わざと凄むような声を出し、教師を睨みつけた。
「アタシが学校に来ないときは『ちゃんと学校に来い』ってしつこく電話してくるくせに。いざ来てやったら『来るな』って顔するんだな、センセーは」
「い、いや、そんなわけじゃ……! その、陣頭が来てくれて、先生は、嬉しいぞ」
教師の引きつった笑顔と、しどろもどろの言葉。
大人の、一番嫌いなところ。
ガンッ! と膝で机の裏のスチール部分を思い切り蹴り上げた。中身が空っぽの机は、激しい金属音を、静まり返った教室中に響かせる。
「本当は、来てほしくないんだろ? それなら堂々と言えよ。『おまえがいるだけでクラス全員の気分が悪くなる』ってさ。テレビの先生みたいに腐ったみかんがどうのこうのとか、言ってみろよ」
「そ、そんなわけないだろ! おまえも、このクラスの大事な一員だ! 先生は、おまえに来てほしいに決まってるだろ!」
それが義務感から吐き出された嘘であることは、この教室にいる誰もが分かっているだろう。『余計なことを言うな』というクラスメイトたちの非難めいた視線が、哀れな担任教師へと無数に降り注いでいるのが、教室の最後列からは実によく見えた。
それが、心底おかしかった。
「へえ、そんなに来てほしいって言うなら仕方ないなあ。明日も登校してきてやるよ」
しばしば思う。
いわば自分は、この『教室』という名の、巨大で臆病な生き物にとっての、病原菌。
体内に病原菌が入ってくると、生物は体調を崩す。そして、その異物を必死で体外へと追い出そうと拒絶反応がはたらく。
今、この巨大な生き物を構成する全員が、陣頭愛華という異物に注視している。誰もが各々の役割を必死でまっとうしようとしながらも、その意識の片隅で常に横目でこちらを気にしている。
早く出ていけ、と。
朝早くに起きて、何十分もかけて、この退屈な場所へ登校し、意味の分からない授業を受ける。こんなところは、嫌いで嫌いで、たまらない。
しかし、ここにいれば、自分が他の誰とも違う特別な存在でいられる。
誰もが自分を恐れ、誰もが自分に注目する。
この感覚が、どこか不快でありながら、どうしようもなく気持ちよかった。




