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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第二十九話「リアハイリン」

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第二十九話「リアハイリン」-7-

 戦いが終わった後の公園は、ひどい有様だった。

 ひしゃげた遊具、えぐれた地面、そして砕け散ったコンクリート壁や傷ついた近隣の民家。警察や救急隊が到着し、後処理が始まる前に、デシリアとしての役目を終えた少女たちは、スレイヴの素体となった少年を背負い、公園から立ち去った。

 幸い、素体となった少年・守くんは、軽い擦り傷だけで済んでいた。彼が目を覚ますと、優菜が中心となり、これからどうすればいいか、学校の先生にどう伝えればいいか、守くんが安心できるよう、優しく、そして具体的に道筋を示してあげていた。転校という手段もある、と。

「逃げることは悪いことじゃない。でも、遠回りしてばかりじゃ、前に進めないからね。前に進む代わりに、今まで以上に頑張らないといけない」

 その言葉は、先ほど磐名が守くんへ向けて言った言葉とよく似ていた。

 ——現実逃避ばっかしてんじゃねえよ。目の前のことをまっすぐ見つめて考えるか、立ち向かうか、どっちかにしろよ。何も考えずに逃げても、一生負け犬だよ、負け犬。

 その言葉は、ずっと彼女の頭から離れていなかったのだ。

 磐名式乃。

 彼女は、スレイヴの素体をさらに追い込むようなことを言い、黒感情をさらに増幅させていた。あまりにも卑劣な手段だ。これまで戦っていた『世界を背負って戦う軍人たち』とは、まるで違う。

 磐名の発言は、許されるべきものではない。しかし、完全には否定しきれない。

 だからこそ、優菜には答えが出なかった。


 その後、守くんと一緒に学校へ赴くと、帰宅しようとしていた彼の担任と学年主任を捕まえることができた。そして、先ほどの打ち合わせ通り、守くんの口から、そして星輝と優菜がフォローを入れながら、事態を説明した。

 瑞季は、仲間たちが守くんや先生と話している輪から少しだけ距離を置き、自分の足元をじっと見つめていた。時折、心配そうにこちらを窺う優菜たちの視線を感じたが、どんな顔をしていいのか分からず、顔を上げることができなかった。

 自分の心の中に巣食う、あのどす黒い感情を知ってしまった今、以前のように、純粋な善意だけで少年たちに接することができなかったのだ。

 守くんが両親と並んで帰っていく。その横顔には、公園で見た怯えた表情はもうなかった。


 すべてが終わり、四人が帰路につく頃には、空はすっかり夜の帳に包まれていた。

 白い色の街灯が、等間隔に帰り道を照らしている。虫の音が、昼間の喧騒の代わりに世界を満たしていた。

 やがて、それぞれの家へと向かうための、いつもの分岐点にたどり着く。

「じゃあ、また明日ね」

 優菜がいつものように言った。

 だが、瑞季は、その場から動けなかった。彼女は、意図的に、すぐそばにある街灯の光が当たらない闇の中で、立ち止まった。

 光の中に立つ、三人の仲間たち。そして、影の中に佇む自分。

「……みんな、すごいね」

 ぽつりと、瑞季は呟いた。

「あんなに、親身になってあげられるなんて。……私は、何も言えなかった。ずっと、後ろめたくて。やっぱり私は、みんなみたいに、太陽や月みたいに明るい存在じゃないんだって、思い知らされたよ」

 自嘲するような、か細い声。

 その言葉に、星輝が、光の中から一歩、瑞季のいる闇へと近づいた。

「明るいとか暗いとか、ウチにはよく分かんねえけどさ」

 彼女の声は、どこまでもまっすぐだった。

「瑞季には、瑞季の良さがあるんだよ。瑞季だけのヒーローらしさがある。瑞季が、今まで諦めずに頑張ってくれたから、今のウチらがここにいられるんだ。それだけは、絶対に間違いねえよ」

「でも……」

 瑞季は、それでも俯いたままだった。

「私ね、守くんや先生と話している最中、こんなことを考えちゃってたの。この世界には、数え切れないくらい、あの子みたいに苦しんでる子がいる。そのみんなを、私たちだけの力で助けられるわけない。だとしたら、あの子だけが助けられるのは、不公平だから……いっそ、助けるべきじゃないんじゃないか、って」

 それは、あまりにも冷たく、そして歪んだ理屈だった。

「結局、誰もを助けることなんて、できやしない。そんな、中途半端な存在が、ヒーローを名乗ってても、いいのかな、って……」

 その、悲痛な告白に、今度は優菜が、静かに答えた。

「その考え方は、なんだか瑞季らしくないね」

 優菜の声は優しかったが、その中には、揺らぎない芯の強さがあった。

「確かに、この世界のすべての人を、わたしたちだけで助けるなんてできないと思う。でも、目の前で苦しんでいるひとりを救うことが不平等だからって、助けられるはずの、そのひとりさえも助けないなんて……。それは、ちょっと、変じゃないかな」

「……うん。そう思う。そうやって、迷わずに断言できる優菜は、本当にかっこいいね」

 瑞季はようやく少しだけ顔を上げた。

 すると、アスラが静かに彼女の隣に並び、闇の中で、その手をそっと握ってくれた。

「瑞季さん、今日はゆっくり休みましょう」

 その手の温もりが、冷え切った心に、じわりと染み渡る。

「今はまだ、今日の出来事を、ちゃんと整理できていないんだと思います。色々なことが、本当にたくさんありましたから。でも、瑞季さんは、ご自分の意思で、白に戻ることを決意しました。私には、それだけで充分です」

 アスラは、瑞季の潤んだ瞳を見つめる。

「時間をかけて、ゆっくりと、瑞季さんだけの正義を整理していきましょう。私たちは、いつでも、そばにいますから」


 三人と別れ、自分の部屋に戻った瑞季は、電気もつけず、ベッドにかばんを放り投げると、勉強机の上に放置していた一冊の大学ノートを手に取った。

 月の光だけが差し込む薄暗い部屋で、彼女は、そのページを開く。

 そこに描かれているのは、この夏、夢中になって描いた『悪の女王』。

 瑞季はしばらく、その絵をじっと見つめていた。

 この、自分の中にいる『悪』への憧れ。

「これを、どうすればいいんだろう」

 答えはまだ出ない。

 静かにノートを閉じると、それを、本棚の一番奥へとしまい込んだ。

「……ねえ、ヒナ」

 瑞季は、ベッドに座る三毛猫のぬいぐるみに、ぽつりと語りかけた。

「考えてたんだけどさ。神辺穹って子が恨んでたのって、たぶん私じゃなくて、未来の私なんだよね。なのに、私を殺そうとしたのは……私もいずれ、あの人みたいになるかもしれないから、ってことなのかな。ってことは、その子は未来の私を止めたいだけじゃなくて……今の私も、止めたいってことなのかな」

 未来から来た、ふたつの勢力。

 その争いのど真ん中に、自分がいる。

 その事実に、言いようのない不安が胸に広がった。

「瑞季……」

 優しい声がした。

「改めて、感謝するニャ。白に戻ってきてくれて、本当に、ありがとうニャ」

「……うん」

 沈黙が訪れた。ヒナは俯いており、この暗い部屋ではその表情が見えない。

 しばらくして、ヒナが、ひとりごとのような小声を発した。

「……賭けは、ひとまずぼくらの勝ちだニャ」

 その言葉を、瑞季はうまく聞き取れなかった。

「え? なに?」

「——あれも、こんな夜のことだった」

 今の声は、ヒナのものだっただろうか。

 いつもの間延びした語尾もない。

 ヒナは宙に浮き、瑞季の顔のすぐ前で止まる。

「瑞季。話したいことがある」



(第二十九話「リアハイリン」了)


第三十話「正義と救済の境界線」2026/09/04 8:00投稿予定

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