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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第二十九話「リアハイリン」

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202/210

第二十九話「リアハイリン」-6-

 日が沈みかけ、東の空はもう黒くなり始めていた。そんな夕暮れの公園に、少女たちの苦しげな呼吸だけが響き渡った。

「もう、諦めてくれるよね?」

 リアハイリンの口から、か細い声が漏れる。

 自分の手で仲間を傷つけている。その事実が、彼女の心をさらに深い絶望の淵へと突き落としていく。

「……断るよ」

 返事をしたのはリアマイムだった。ふらつきながらも立ち上がる。膝は笑っている。唇は切れている。それでも、彼女は笑った。

「瑞季が諦めなかったから、わたしたちはここまで来られたんだもん」

 三人は、震える身体を、互いに支え合うようにして起こす。

 今度は、リアウインズが言葉を紡いだ。

「あなたは、ヘヴンとの戦いで、けっして諦めませんでした。私のことも、放っておいてくれませんでした。だから私も、あなたを置いて去りたくなんてありません」

 リアスピサが血を吐き捨て、拳を強く握りしめる。

「教えてくれた本人が忘れてんじゃねえよ。ウチがスレイヴになったとき、瑞季はウチの全部を受け止めてくれた。何度殴られても抵抗しなかった。意識を失うまで、向き合い続けてくれた。ウチの心の汚いところを認めてくれた……! だからウチはデシリアになれたんだ!」

 一歩踏みだす。

「ウチに、諦めずに自分を信じ続けろって言ってくれたのは、瑞季! おまえなんだ!」

 また一歩踏みだす。

「そんなおまえのことを、誰ひとりとして、諦めてやるわけなんてねえだろ!」

 その言葉が、リアハイリンの心を、激しく揺さぶった。両手で耳を塞ぎ、首を振る。それでも、仲間たちの声が、耳の奥から剥がれてくれない。

「違う……」

 そんなことを言われたいんじゃない。

 嫌ってほしい。

 見捨ててほしい。

 そうすれば、世界を壊す覚悟ができるのに。

「なんで……」

 涙が止まらない。

「なんでそんなこと言うの……」

 瑞季——。

 ヒナの声が、心の中で響いた気がした。

 顔を上げると、すぐ目の前にヒナがいた。

「だって、おぬしは」

 ヒナは、一度大きく息を吸った。

「ぼくらの、友達だからニャ」

 リアハイリンは目を見開く。胸の奥で、何かが軋んだ。未来の自分から見せられた絶望や諦観、悲哀や憎悪、そして、仲間を殺した悲しさ。

 そのすべてが、ヒナのたった一言とぶつかり合う。

「私は……」

 黒瑞季が見せた未来が叫ぶ。世界を消せ、と。

 目の前の仲間たちが叫ぶ。自分を信じて、と。

 呼吸が乱れる。何も見えなくなる。

 怖い。

 また失うのも、また泣くのも、また壊れるのも、また……殺してしまうのも。

 だったら、最初から世界なんて消えてしまえばいい。

 そう思おうとした。でも、できなかった。

 目の前には、何度突き放しても手を伸ばしてくる仲間がいたから。

「だいじょうぶ」

 ぼやけた視界に、四つの手の影が現れる。

 その手を見た瞬間、彼女は思い出した。

 何度も誰かへ差し伸べてきた、自分の手を。

 テレビの向こうにいるヒーローに憧れて、なぞってきた言葉を。

 四つの声が重なる。

 記憶の中の自分の声と、そして、かつて自分が憧れたヒーローの声と共に。


「あなたには、私たちがいる」


 リアハイリンは差し出された手を見つめる。

 その手を取れば、また傷つく日が来るかもしれない。

 未来は変わらないかもしれない。

 また大切な人を失うかもしれない。

 怖い。

 けれど。

「……ひとりは、嫌だ」

 その一言と共に、震える手が伸びていく。

 おそるおそる、壊れ物に触れるように。

 指先が触れる。

 温かい。

 その温もりが、張り詰めていた心を、一気に崩した。

「あ……」

 涙が溢れ、それが身体に当たると、彼女の灰色を鱗のように剥がし始めた。

 仲間たちと過ごした日々が、次々と胸に浮かぶ。

 初めて星輝のライブに行ったときのこと。

 緊張しながらも、生徒会室でお昼ご飯を食べたこと。

 一緒に沙耶さやに手を差し伸べたこと。

 初めて負けて、星輝と言い合いになったこと。仲直りしたこと。

 アスラに勇気を持って連絡先を聞いたこと。彼女が、ヘヴンの仲間だと知ったこと。つらそうだったこと。放っておけなかったこと。

 ヒナと一緒にたくさんの夜を過ごしたこと。ヒナの決意に、心が痺れたこと。

 何より、一緒に勉強したり、取るに足りないことを笑いながら話したこと。

 思い出が頭の中に浮かぶたびに、灰色が剥がれ落ちていく。

 髪に、服に、瞳に、光が戻る。

 最後の灰色の欠片が、剥がれ落ちた。

「私は——」

 リアハイリンは涙を流しながら、懇願するように叫んだ。

「私はやっぱり、みんなと一緒にいたい!」

 力強く立ち上がると、その手の甲で涙をぐいっと拭った。まだ瞳は潤んでいたが、その光は、もう迷ってはいなかった。

 彼女は、ボロボロの仲間たちと、ひとりひとり、しっかりと視線を合わせる。

「おかえり!」

 リアマイムが泣き笑いしながら抱きつく。

「バーカ」

 リアスピサが乱暴に頭を撫でる。

「瑞季さんなら戻ってこられると、信じてました」

 リアウインズも静かにリアハイリンを抱き寄せた。

「瑞季!」

 ヒナがその三音にすべての想いを載せ、彼女の背中にしがみつく。

 言葉にならない泣き声だけが、夕暮れの公園へ静かに溶けていった。


 少し離れた場所で、磐名が、つまらなそうに舌打ちした。

「おいおい、御涙頂戴の安っぽい演劇が始まったと思ったら、白に戻っちまったじゃねえか」

 仮面をつけた黒瑞季は、彼女たちをじっと見つめていた。彼女がどのような表情をしているのかは、磐名にも凪宮にもわからなかった。

「まあ、いいさ。これから先の楽しみが増えたと思えばいい。ところで、神辺の気配は?」

「いいえ。これほど派手にやってれば姿を現すと思っていたのですが」

 凪宮が残念そうに答える。

「そうか。まあいい。黒感情エネルギーは集められたんだろ?」

「ええ、もちろん。上質のものが、充分に」

「では、帰るとしよう」

 三人が、空間に溶けるように消えようとしたときだった。

「待って」

 力強い声が、彼らを引き止めた。

 声の主は、リアハイリン。

 彼女は、ヴォイズ・アークの面々へ、まっすぐに宣戦布告する。

「私はもう、あなたたちには負けない。あなたに、世界を壊させはしない」

 その言葉に、黒瑞季は、わずかに楽しそうに肩を揺らした。

「おまえが諦めないように、私も諦めはしないさ。それは、おまえが一番よく分かっているだろ?」

 その声は、鏡合わせの自分自身に、言い聞かせているかのようだった。

「私は、この穢れた世界を、必ず裁く。……デシリアの穢れを裁く魂は、如何なる者にも染められない。——覚悟はできているな?」

「私だって、もう染められやしない」

 ヒーローは、迷いなく答えた。

「……そうか」

 黒瑞季が、自重気味に呟く。

「染谷瑞季とは、実に物分かりの悪い人間だったな」

 夕暮れの闇に溶けるように、ヴォイズ・アークの姿は消えた。

 それでもリアハイリンは、その消えた場所から目を逸らさなかった。


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