第二十九話「リアハイリン」-4-
「ウチらが、絶対におまえの目を覚まさせてやるからな」
仲間たちの、揺るぎない希望の言葉。
だが、その想いを、未来から来た絶望の化身——黒瑞季はせせら笑った。
「無駄だ。一度、黒に染まったが最後。元の白には戻れない」
「黙れ」
黒瑞季の言葉を、リアスピサは一蹴する。
「そんなもん、やってみなくちゃ、わかんねえだろうがッ!」
リアスピサが地を蹴る。その後を、リアマイムとリアウインズが続く。三つの影が、灰色の親友へと殺到した。
「来ないで!」
リアハイリンが叫ぶ。その声は、拒絶であり、懇願だった。
「それ以上近づいたら、私は……私は、あなたたちを傷つけなきゃならなくなる……!」
「やだね」
リアスピサは、その言葉を無視して、強引に突き進む。
「来ないで……!」
その声を最後まで聞けなかった。
視界から、リアハイリンが消える。
「——っ!」
次の瞬間には、目の前にいた。
灰色の脚が、みぞおち目掛けて音より速く振り抜かれる。
「ぐっ……!」
リアスピサは、それを両腕で交差させてなんとかガードするが、——数メートル先まで吹き飛ばされた。
骨の芯まで震えるような衝撃が、遅れて襲ってくる。
自分の蹴りとは比較にならない、芯まで響く一撃。
これが、リアハイリンの力——。
リアスピサを吹き飛ばした勢いのまま、リアハイリンはリアウインズへ迫る。だが、風を操ろうとする腕を掴まれた。
「しまっ——」
地面が迫る。
咄嗟に身体を捻り、背後を取った。——そう思った。
リアハイリンは振り向きもしない。
肘が、鳩尾へ突き刺さる。
「ぅ……!」
彼女の肺から空気をすべて絞り出された。
リアマイムが水の弾丸を連射するが、リアハイリンはそれを、虫でも払うかのように、片手で弾き飛ばした。水の弾丸は虚しく霧散する。
「……っ!?」
リアマイムの全力のエネルギーさえ、リアハイリンの暴力の前では、もはや無力。
攻撃の主力を失った、というだけではない。
炎は、届く前に避けられる。
水は、その力と動体視力で的確に弾かれる。
風は、起こす前に潰される。
三人の戦い方を、リアハイリンは知りすぎていた。
防戦一方だった。すでにスレイヴとの戦いでボロボロである上、仲間を、親友を、本気で傷つけることなど、できるはずもなかったから。
一度、大きく距離を取り、三人はリアハイリンと睨み合った。公園の砂場には、激しい攻防の跡が生々しく刻まれている。沈みゆく太陽が、世界のすべてを、血のような赤色に染め上げていた。
「強いね、瑞季」
リアマイムが、かすかに微笑みながら、静かに続ける。
「でも、あなたが本当に悪なら、もうわたしたちは立ってない」
「……!」
リアハイリンの肩が、わずかに震える。
「わたしたちと戦いたくない、って気持ちが、見え見えだよ。本当に悪に染まったのなら、もっと喜んで、嬉々として、わたしたちを叩きのめしに来るんじゃないかな?」
「やはり、あなたは、悪ではありません」
リアウインズが、確信を込めて続けた。
その言葉は、槍のように、リアハイリンの心を貫いた。
「うるさいっ!」
リアハイリンは、絶叫と共に、再び襲いかかった。
今度は、迷いを振り払うかのように、一層激しさを増す。
リアマイムが作り出した水の盾を、拳の一撃で粉々に砕き、リアウインズが起こした風の渦を、力任せに突き破る。
そのとき、三人の動きが、一瞬だけ止まった。リアハイリンが、涙を流していたから。
次の瞬間には、懐に潜り込まれていた。
「うっ……く……!」
息が詰まり、リアマイムはその場に崩れ落ちる。腹部に膝蹴りを受けていたのだ。
そこへ、リアハイリンの追撃の踵落としが、無慈悲に振り下ろされる。
「させっかよ!」
リアスピサが、横から身を滑り込ませ、リアマイムを突き飛ばして救い出す。踵落としは地面を抉り、小さなクレーターを作った。
「大丈夫か、マイム!」
「ええ……ありがとう……。でも、ハイリンの動きが、速くなってる……」
さっきまで狙っていたのは急所を外した場所だった。でも、今は違う。喉や心臓、頭。それらを、まっすぐに狙ってくる。
「三人がかりとはいえ、もうボロボロのあなたたちが、私に勝てると思ってる?」
彼女は、足元に転がる折れた鉄パイプを拾い上げると、それをまるで剣のように構えた。
その切っ先が、リアスピサへと向けられる。
「傲慢だよ」
リアハイリンは、地を這うような低い姿勢から、一気に距離を詰めた。鉄パイプの突きが、リアスピサの心臓を正確に狙う。
リアスピサは、炎の拳でそれを弾き返すが、リアハイリンは、その反動を利用して、空中で身体を回転させ、今度はリアウインズへと、鉄パイプを投げつけた。
風の壁でそれを防ぐリアウインズ。
だが、それは陽動だった。
本体のリアハイリンは、すでにリアスピサの背後へと回り込み、無防備な背中へ、強烈な蹴りを叩き込んでいた。
「がはっ……!」
炎の守りも間に合わず、リアスピサの身体は、くの字に折れ曲がり、前方へと吹き飛ばされた。
そんな彼女を、リアマイムが苦しげに受け止める。
リアハイリンは、ゆっくりと、こちらへと歩み寄ってくる。その瞳から、涙は消えていた。ただ、底なしの虚無だけが、そこにあった。
リアハイリンが、一歩踏み出す。
誰も動けない。
もう、止められない。
そのとき、投げ捨てられた瑞季のバッグが震えた。
「瑞季!」
戦いをバッグの中から見守っていたヒナが、ついに叫んだ。
「それでいいのかニャ! おぬしが憧れたヒーローは、そんなふうに仲間を突き放すのかニャ!」
リアハイリンの動きが、ぴたりと止まった。
脳裏に、憧れたヒーローの輝かしい姿が蘇る。どんな逆境でも諦めず、仲間を信じ、笑顔で立ち向かう、あの姿が。
自分のやっていることは、それとは、あまりにもかけ離れている。
「……当然だよ」
私は、悪なのだから——。
そんな光景を磐名と凪宮は他人事のように眺めていた。
「おっ、ヒナじゃん。肉眼で見たのは、久々だなあ」
「ええ。こうして見ると、僕らの知るヒナより、少し小さいですね」
その会話に、黒瑞季も加わる。
「この頃は、あれくらいだったな」
「ヒナ。私のことなんて忘れて」
リアハイリンは、静かに告げる。
「優菜も星輝も、アスラも私のことなんか忘れて」
一度だけ息を呑む。
「幸せに、生きて」
幸せなまま、世界と共に消えて——。
「ふざけるんじゃないニャ!」
叫びながら、ヒナはリアハイリンに飛びかかる。
「嫌だニャ! 忘れるなんてできるわけないニャ! 瑞季の戦う背中を見て、どれほどかっこいいと思ったか! 瑞季と一緒に暮らして、どれほど……どれほど、楽しかったか!」
ヒナはリアハイリンに飛びつき、胸にしがみついた。
リアハイリンは、その小さなぬいぐるみを振り払おうとする。だが、ヒナは、その戦闘服を強く掴んで、離れようとしない。その必死さが、リアハイリンの心を、鋭く抉っていく。
「瑞季! 目を覚ますニャ! ぼくらは、待っているんだニャ!」
「やめて……。惑わそうとしないで!!」
彼女は、嗚咽を漏らしながら、喉が張り裂けそうに叫んだ。
「私は、目の前であなたたちが殺し合うのを見たくなんてない!!」
その絶叫と共に、リアハイリンを掴んでいたヒナの力が、一瞬だけ抜けた。
彼女は、自分の胸にしがみつくヒナを掴み、リアマイムたちの方へ投げ捨てた。ぬいぐるみの身体は、何の抵抗もできずに、地面を数回バウンドし、力なく転がった。
「ヒナ!」
リアウインズが風を操り、そっとヒナを抱え上げる。
「ぼ、ぼくは大丈夫だニャ……それよりも、瑞季……」
「今の、どういうこと?」
リアマイムが、息を呑んで尋ねる。
「話してくれないか? 瑞季」
リアスピサの声は、真剣だった。
リアハイリンは唇を強く噛み締め、拳を震わせながら、語り始めた。
「私は、未来の私が経験した感情を知ったの。あんなつらいこと、起きてほしくない……」
「何があったの?」
リアマイムの問いに、リアハイリンは唇を噛み締める。
「リアマイムがリアスピサを殺した。そして、私が、そのリアマイムを殺した」
「!?」
「そんな……!」
「そんなの、嘘です!」
三人には、それを信じられるはずがない。
「……そう、思うよね」
リアハイリンは頷く。
信じられないという気持ちを、リアハイリン自身がもっとも理解しているから。
「でも、私に流れ込んできたあの感情が、嘘なわけはない。それだけは、分かる」
実際にその記憶を見たわけではない。感情を知っただけだ。
感情だけなのに、これほどの苦しみなのだから、未来で自分がその身で経験した絶望の大きさは、その比ではないはずだ。
「嫌なの……。もう誰かが苦しむところなんて見たくない!」
叫びに呼応するように、灰色の粒子が、彼女の足元から噴き上がる。
遊具が軋む。
地面が悲鳴を上げる。
公園の外の窓ガラスが震える。
「もうやめて、瑞季!」
「お願いだから、もう私を止めようとしないで。諦めて」
リアハイリンの瞳に、鋭く黒い光が、鈍く輝いていた。
そして、彼女は、今度こそ目の前のヒーローたちを除外すべく、静かに詠唱した。
「『ヒアリン・フェーズ・ファースト【ケイリン】』」




