第二十九話「リアハイリン」-3-
誰も言葉を発せなかった。
砕けた遊具だけが、夕日に長い影を落としていた。
先ほどまで死闘を繰り広げていたスレイヴの気配はもうない。あるのは、気を失ったひとりの少年と、満身創痍の三人のデシリア。そして、空間の裂け目から現れた、ふたつの絶望の影。
「瑞季!」
「ハイリン!」
リアマイムとリアスピサが、安堵と困惑の入り混じった声を上げる。駆け寄ろうとしたふたりの足を、氷のように冷たい声が縫い止めた。
「——近寄らないで」
声の主は、リアハイリンだった。
純白の戦闘服は、生気を失った灰色に染まっている。瞳は虚ろな闇に沈んでいた。夕日さえもその瞳には届かず、吸い込まれて消えていく。
「どうしたんだよ、その身体……何があったんだよ……!」
リアスピサの声が震える。
リアウインズは、灰色のリアハイリンではなく、その隣に立つ黒い戦闘服の女を、鋭い視線で射抜いていた。
「その格好……」
リアウインズの脳裏に、先ほどの磐名の言葉が雷鳴のように蘇る。
——デシリアの真の力を用いて、この救う価値のないクソみたいな世界を、完全にリセットさせる——そのために、遠路はるばるやって来た、崇高な組織さ。
『救う価値のない』。
まるで、一度は救おうとしたことがあるかのような、奇妙な響き。
リアウインズの背筋を、冷たいものが走った。
白い仮面。黒い衣装。
どこか見覚えのある立ち姿。
……違う。いや、違わない。
「もしかして……。あなたたちが未来から来た存在だと言うのなら、あなたは……瑞季さんの、未来のお姿……なのですか?」
その言葉に、リアマイムとリアスピサは、息を呑んだ。
まさか、そんな。ありえない。
だが、目の前の黒い女の姿は、確かに、リアハイリンと酷似していた。光と影。色を反転させた、双子のように。
「察しがいいな、リアウインズ」
仮面の女——黒瑞季は、嘲るでもなく、淡々とそれを認めた。その声は、確かに、瑞季の声をそのまま凍らせたような響きを持っている。
「顔は隠しているのだが、やはり分かるか。さすがだ」
「瑞季に、何をしたの! その色は……!」
リアマイムが叫ぶ。
黒瑞季は、絶望に立ち尽くす彼女たちを、まるで舞台の登場人物を観客に解説するように、淡々と続けた。
「リアハイリンとは、白のデシリアではない」
「え……?」
「リアハイリンは、いわば『無のデシリア』とでも言うべき存在。白にも、黒にも染まる。そして——リアハイリンの透明な器に、どんな色が注がれるかによって、世界の行方が決まるのだ」
「世界の、行方……?」
リアマイムが、かろうじて言葉を返すと、黒瑞季がおもむろに首肯した。
「すべてのデシリル・ジェムを司るデシリアが揃ったとき、リアハイリンの色によって、無の邦、光の連邦、闇の邦、すべての世界の存亡が決まる。白ならば、世界は存続する。だが、黒に染まれば——世界は無に帰る」
その言葉の意味を、三人が飲み込むよりも早く、灰色のリアハイリンが壊れた人形のように虚ろな声で続けた。
「だから……空のデシリル・ジェムを持つ神辺穹という子が、過去に逃げた。ヴォイズ・アークが世界を無に帰すのを防ぐために。彼らはその子を追いかけて、この時代に来た。私も……探さなきゃ。彼女を見つけて……この世界を——」
「何言ってんだよ、瑞季!」
リアスピサが、悲痛な声を上げる。
リアマイムも必死に訴える。
「その話が本当なら、その神辺って子を、わたしたちが守らないと……! ヘヴンと和解して、ようやく希望に向かって歩き始めたこの世界が、消えちゃうんだよ!?」
「うるさいッ!」
リアハイリンは、耳を塞ぐように絶叫した。
灰色の涙が、頬を伝った。夕日に照らされたそれは、まるで溶けた鉛のように、鈍く光っていた。
「私は……! 私は、あなたたちみたいに綺麗な人じゃない! 戦いで相手を殴ると、気持ちいいって思っちゃうし、汚い欲望だっていっぱい抱えてる、醜い人間なの!」
彼女の脳裏に、未来の記憶の感情が焼きつく。
泣き崩れる誰か。
笑顔を失った人々。
あの絶望が、また胸の奥から溢れてくる。
「さっき……未来の私が、これから知ることになる感情を知った……。あんな気持ちになんてなりたくない。誰も、あんな気持ちにさせたくない! だから私は……! 世界がこれ以上汚れて、みんなが苦しむ前に消去しなきゃいけない……!」
彼女は、もう一度繰り返す。自分に、そして、かつての仲間たちに、最後の別れを告げるかのように。
「私は、ヒーローになるべき人間じゃなかった。あなたたちとは違う……。私なんかが、ヒーローになろうとしたのが間違いだったんだ」
悲痛な告白。
公園の遊具が作る影が、夜の闇のように、長く、深く伸びていく。
絶望が、すべてを支配したかに見えた、そのとき。
「……でも」
けっして折れない声で、リアウインズが続けた。
「あなたはまだ、真っ黒じゃありません。灰色です。それに……本当にあなたが醜い心の持ち主なら、そんな顔はしません」
「そうだよ」
リアマイムも、力強く頷く。
「誰も、あんな気持ちにさせたくない……っていうのは、瑞季らしい優しさだよね。きっと瑞季は、優しさを利用されているだけ。本当の瑞季なら、必ずまた前へ進める。それは、わたしたちが保証する」
「待ってろ、瑞季」
リアスピサはボロボロの身体で、まっすぐに灰色の親友を見つめた。
その瞳の炎は消えていない。むしろ、絶望を薪にして、さらに激しく燃え上がっていた。
「ウチらが、おまえの目を覚まさせてやるからな」




