第二十九話「リアハイリン」-2-
鉄が悲鳴を上げた。巨体がひと回り膨れ上がる。関節という関節から黒い瘴気が噴き出し、公園の夕焼けを飲み込んでいく。
そこに、もはや理性は残っていない。あるのは、壊したいという衝動だけ。
スレイヴはブランコの鎖につながれた巨大な鉄球を振りかぶる。
鉄球が一度、止まる。
次の瞬間だった。
さっきまでの倍近い速度で振り抜かれた。
大地を揺るがすほどの轟音が、公園の遊具をスクラップに変え、木々を根こそぎなぎ倒す。
「くっ……! 速い……! 重い……!」
リアウインズが風の壁で軌道を逸らし、リアマイムが水の盾で衝撃を殺し、リアスピサが炎で追撃を焼き払う。
それでも止まらない。
防いだはずの攻撃の余波だけで肺が揺れる。
息を整える暇さえ与えられない。
スレイヴの猛攻は、三人を完全な防戦一方へと追い込んでいた。
《もう、やだ……死んでしまいたい》
鉄と鉄がぶつかり合う激しい金属音の合間に、スレイヴの奥から、少年の途切れ途切れの心の声が聞こえてくる。
《明日からも、僕はいじめられ続ける……。立ち向かったって、意味がないし……もう、どうしようもないんだ。あいつら、先生がいるところでは優等生だから、僕の言うことなんか、誰も信じちゃくれない。もう、誰も……誰も助けてくれないんだ……!》
「……っ」
リアスピサは、頭上から振り下ろされた滑り台の刃を、両腕に纏った業火で受け止めながら、奥歯をギリリと食いしばった。衝撃が全身を駆け巡り、足元の地面がひび割れていく。
「……そうだよな」
絞り出した彼女の声は、深い共感に濡れていた。
「今日、たまたまウチらがいたけど、明日も同じように助けられる保証なんてない。怖えよな。不安だよな。……ウチだって、きっと逃げる」
リアスピサは、それ以上、言葉を続けられなかった。
安易に「大丈夫だ」なんて言えない。少年の絶望が、根拠のない希望の言葉で拭えるほど、浅い傷ではないと痛いほど伝わってくる。自分の無力さを突きつけられる。
言葉に詰まったリアスピサの想いを引き継ぐように、リアウインズが静かに、包みこむように語りかけた。
「でもね、あなたはその気持ちを、ちゃんと私たちに話してくれました」
彼女は、鉄塊が嵐のように吹き荒れる中を、一枚の木の葉のようにひらりひらりと舞いながら、言葉を紡ぐ。スレイヴの攻撃は、まるで彼女を避けているかのように、その身を掠めることさえできない。
「それは、すごく大切な一歩なんです。誰にも言えず、ずっとひとりで抱え込む……それって、息ができないくらい辛いことですよね」
その苦しさを、リアウインズは知っていた。
姉ナーサの影に怯え、自分の心を閉ざしていた頃のことを思い出す。
「私にも似た経験があります。誰にも言えなくて。苦しくて」
俯く彼女へ、鉄球が振り下ろされる。
「ウインズ!」
「……でも」
リアウインズは顔を上げ、スレイヴが振り回す鉄球の鎖を風の刃で断ち切った。
「勇気を出すことができたから、今ここにいます」
そして、目の前にふわりと着地した。
「あなたは、勇気を出して私たちに気持ちを伝えてくれました。その勇気に、私たちは絶対に応えます。そして、その気持ちに応えてくれるのは、きっと、私たちだけではありません」
彼女のまっすぐな言葉と瞳に、スレイヴの猛攻が、ためらうように鈍った。
「マイム!」
リアウインズが叫ぶ。
その意図を瞬時に汲み取ったリアマイムは、集中力を高めた。
「すぐには変わらないと思う。でもね」
彼女は、無数の水の柱を生成し、スレイヴの動きを牽制しながら、優しく語りかける。
「みんなに、どうすればあなたの本当の気持ちを伝えられるか、わたしたちと一緒に考えよう?」
その言葉に、はっとしたように、リアスピサが顔を上げた。そうだ、無力なんかじゃない。自分にできることは、まだある。
「確かに、ウチらはずっと、あんたのそばにはいられないかもしれねえ。でもな、一度味方になるって決めたからには、それは一生変わらねえんだ。何かあったら、電話でもいい。学校サボってもいい。とにかく、会いに来い! 味方がひとりでもいるって思い出せ!」
リアマイムは、リアウインズとリアスピサが作り出した一瞬の隙を突き、スレイヴの巨体を水のベールで優しく抱擁した。
「あなたは、とても優しい子なの。お願いだから、そのことだけは忘れないでほしい」
《本当に……一緒に考えてくれる? 味方になってくれる?》
疑心と希望が入り混じった、か細い声。
三人は、声を揃えて答えた。
「もちろんだよ」
《……ありがとう》
三人の想いが、温かな光となって、少年の凍てついた心を、ゆっくりと溶かしていく。
スレイヴを覆っていた、禍々しい黒鉄のオーラが、春の雪解けのように弱まっていく。
「わたしに任せて」
リアマイムが、両手をスレイヴに向ける。体中の細胞に温かい水のエネルギーが満ちるのをイメージし、それを一気に解放する。
「『黒き感情、流れゆけ。デシリア・フライト・シャワー!』」
優しい雨だった。
聖なる水が、黒く焼けた鉄を洗い清めていく。
光の粒子と共に、スレイヴの姿が掻き消え、後には、気を失ったひとりの少年だけが残された。
だが、三人の身体もまた、限界に近かった。アドレナリンが切れ、全身を襲う激痛と疲労に、満身創痍のままその場に膝をつく。
まだ、真の敵が目の前にいると、理解しながら。
「あーあ、やられちゃった」
一連の戦いを見届けていた磐名が、心底つまらなそうに呟いた。
「そっか。そういえばリアウインズだけはオルタナじゃなかったな」
「忘れていたのですか?」
凪宮が、やれやれと苦笑する。
「僕は、スレイヴだけでは負ける予感がしてましたよ」
「後出しジャンケンかよ。卑怯だな、このガキ」
「まるで賭け事をしていたみたいに言いますね。こっちは余興なんですから、別に負けてもいいんですよ」
ふたりが交わす言葉の意味を、三人にはまるで理解できなかった。
リアウインズが問いかける。
「あなたたちは……いったい何者なんですか? どうして、デシリアの力を」
磐名は、大げさに肩をすくめてみせた。
「そろそろいいかね、教えてやっても」
「ええ。いいでしょう。そろそろ頃合いです」
凪宮が静かに頷く。
磐名は、まるで世紀の大発表でもするかのように、芝居がかった仕草で両腕を広げた。
「アタシたちは『ヴォイズ・アーク』。デシリアの真の力を使って、この救う価値のないクソみたいな世界を、完全にリセットさせる——そのために、遠路はるばる未来からやって来た、崇高な組織さ」
「未来から……?」
「なに、バカげたことを……」
リアマイムとリアスピサが、信じられない、という表情で呟く。
凪宮は、そんな彼らを一笑する。
「にわかには信じられないのも当然でしょう。しかし、そう考えれば、僕らがデシリアの力を使える理由も、説明がつくのでは?」
あまりにも非現実的な言葉たちに、三人は思考を停止させた。そして、ぼんやりと凪宮の持つ黒い杖を眺めた。それはかつて、アスラたちヘヴンの一員が使っていた、デシリル・ジェムの力を引き出す武器に、よく似ている。
「もしかしてそれは……黒槍や黒拳、黒銃の類のものですか?」
「ご明答」
「……もし、本当にあなたたちが未来から来たとして」
リアウインズはふたりへ鋭い目を向ける。
「どうして世界をリセットさせるために、過去へ来たのですか」
凪宮と磐名が順に答える。
「そのためのピースが、こちらの時空に逃げてきたからです」
「安心しな。この時空もリセットしてあげるから」
そんな磐名の発言に、リアスピサが目を細めて言い返す。
「よく分からねえけど、過去の世界も消したら未来の世界も消える、って話か?」
「いいや、違うね。アタシたちがここで何をしても、アタシたちが来た未来の世界には影響しないらしい」
「それなら、おかしいじゃねえか」
過去を変えても未来には影響しない。
それならば、この過去の世界を消したとしても、彼らが本当に消したい未来は消えないはず。
「ええ。当然の疑問でしょう。僕も最初はそう思いました。しかし、『リセット』については、違うようです」
「は? どういうことだ?」
「じっくり教えてさしあげたいところですが……残念ながらその暇はないようです」
そのとき、凪宮と磐名の背後で、夕暮れの空気がぐにゃりと歪んだ。
そこから現れたのは、ふたつの人影。
ひとりは、悲しげな白い仮面をつけた、黒い戦闘服の女。その立ち姿からは、底知れない何かが放たれている。
そして、もうひとりは——。
三人は、息を呑んだ。信じられない光景に、時間が止まる。
そこに立っていたのは、先ほどまで一緒に戦っていて、突如連れ去られた仲間。
だが、その姿は変わり果てていた。
希望の象徴だった純白の戦闘服は、冷たい灰色に染め上げられている。
そして、何よりも。
その瞳には——何も映っていなかった。




