第二十九話「リアハイリン」-1-
「状況はよく理解できませんが……。とりあえず、スレイヴを浄化しましょう」
リアウインズの登場で、傾いていた戦況の天秤が、中央へと戻る。
だが、敵の唇から笑みが消えることはなかった。
「あー、忘れてた。もうひとりいたんだったな」
磐名式乃が手を頭の後ろで組んで退屈そうに呟く。それが虚勢か本心か、リアウインズには読みきれなかった。彼女は磐名を一瞥すると、リアマイムを締め上げていた土の蛇へと視線を移した。
次の瞬間、土の蛇が、音もなく崩れた。
巨大な蛇体が数十の断片へと分かれ、さらさらと砂へ還っていく。
「……え?」
誰も状況を理解できない。
そのときになってようやく、リアウインズが指を軽く弾く音と余韻の風だけが、公園に響いた。
「大丈夫ですか、マイム」
「ええ、なんとか……」
拘束から解放されたリアマイムは、肺が灼けるような痛みをこらえ、ぜえぜえと肩で息をしながら立ち上がった。
三人のデシリアが、再び集結する。
これで逆転できる——彼女たちの胸に、一筋の希望が灯った、そのとき。
「でも、リアハイリン抜きじゃ、所詮雑魚の寄せ集めだろ」
磐名は侮蔑の眼差しを隠そうともしなかった。
彼女の隣で、凪宮琥珀は肯定も否定もせず、ただ氷のように冷たい瞳でリアウインズの動きを分析している。
磐名の言葉が、三人の胸に突き刺さった。リアハイリン不在という、埋めがたい戦力差。リーダーを欠いた今の自分たちが、この得体の知れない敵にどこまで通用するのか。不安が冷たい霧のように心を覆い、リアマイムは己の膝が震えているのを自覚したくなくて、唇を強く噛み締めた。
それでも——。
「瑞季なら……! こんなとき、絶対に諦めない!」
リアマイムが、震える自分を叱咤するように叫ぶ。
「そうだ! あいつがひょっこり『ただいまー』って帰ってきたときに、ウチらが負けてたらカッコつかねえよな!」
リアスピサが拳を固く握りしめる。爪が食い込む痛みさえ、今の彼女には闘志を燃やす薪だった。
「はい。必ず、この場を切り抜けてみせます」
リアウインズもまた、静かな声に決意を滲ませた。
三人の視線が交わる。
頷きは、一度だけ。
それで充分だった。
「——ひょっこり『ただいまー』って帰ってきたとき、か」
磐名が、不敵な笑みを深める。
「そのときは、どうなってるんだろうな」
「ええ。見ものですね」
凪宮が静かに応じる。
その会話に、リアスピサは苛立ちを覚え、歯ぎしりした。だが、思考に時間を割く余裕はない。
「行くぞ!」
リアスピサの掛け声と共に、三人が同時に動いた。
砂が舞う。
足元の砂利が渦を巻き、一瞬で竜巻へと姿を変えた。
視界を奪われたスレイヴが咆哮する。無闇に腕を振り回す。そこへ、リアウインズが空気を圧縮した風の弾丸を連射する。
甲高い金属音と火花が散り、鉄パイプで構成されたスレイヴの関節部が歪み、砕ける。巨体の動きが、明らかにぎこちなくなった。
「ナイス、ウインズ!」
リアマイムがその好機に飛びつく。両の手から放たれた幾筋もの水の鞭が、大蛇のようにスレイヴの手足に絡みつき、その自由をさらに奪っていく。
だが、暴走する怪物が黙っているはずがない。
全身の鉄パイプをハリネズミのように逆立て、無数の鉄槍と化して全方位へと射出した。死の暴風雨が、三人に襲いかかる。
「させるか!」
リアスピサが前に躍り出た。両腕からほとばしる業火が、飛来する鉄槍を迎え撃つ巨大な炎の壁を形成する。鉄の雨は灼熱の壁に触れた瞬間、飴のように溶融し、赤い雫となって蒸発していく。
しかし、それは陽動だった。
鉄の雨に意識を向けた一瞬の隙。本体が、滑り台だった巨大な刃を、リアスピサの頭上目掛けて振り下ろしていた。
「スピサ、上ッ!」
リアマイムの絶叫と、リアウインズが起こした突風がリアスピサの背中を突き飛ばしたのは、ほぼ同時だった。轟音と共に、巨大な刃が地面を叩き割る。
「あっぶね……! サンキュー、ふたりとも!」
「このままではキリがありません! 一気に決めます!」
リアウインズが三人の中心に進み出た。
彼女が天に手をかざすと、空気が悲鳴を上げる。公園一帯の大気が、まるで巨大な肺に吸い込まれるように、彼女の元へと収束し、渦を巻き始めた。夕暮れの雲が急速に流れ、上空に巨大な嵐の目が生まれる。
スレイヴはその圧倒的な力の奔流に抗おうと、鉄の足を地面にめり込ませるが、無駄な抵抗だった。
リアウインズが、その手を、振り下ろす。
「落ちなさい」
天の鉄槌。凄まじい威力の下降気流が、スレイヴの巨体を問答無用で地面へと叩きつけた。大地が揺れるほどの轟音と共に、スレイヴはクレーターの中心にめり込み、完全に動きを止めた。
「今です!」
「はあああああっ!」
リアスピサが全身に炎を纏い、地を蹴った。装甲の隙間へ、渾身の炎の拳が、流星となって突き刺さる。
《う……ああ……っ!》
ダメージを受けたスレイヴの奥から、少年の苦悶の声が漏れる。
《こわい……もう、やめて……》
「大丈夫! もう、あんたをいじめる奴はいない!」
リアスピサが、その魂に直接語りかけるように叫ぶ。
「ウチらが、おまえを護ってやるから! 安心してくれ!」
少しでも想いが届いたか、スレイヴを包む黒いオーラが、陽炎のように揺らぎ始めた。浄化まで、あと一歩——。
誰もがそう確信したときだった。
「へえ。護ってやる、か」
そのか細い希望の光を、磐名は指先で摘まみ消すかのように、嘲笑で打ち砕いた。
「……なあ。明日も学校、あるんだよな?」
《あ……》
「こいつらの言ってることなんて、その場しのぎの綺麗事だ。こいつらがいなくなったら、アンタはまた独り。今日と同じように、明日も明後日も、ずっといじめられ続ける。誰も、アンタのことなんか、助けちゃくれない」
悪魔の囁きが、少年の心の隙間に染み込んでいく。
「そんなこと……!」
リアマイムが声を震わせる。
言い返そうとした。だが、続きが出ない。
「あるんだよ」
磐名が、揺るぎない事実を告げる。
「このヒーロー気取りの連中だって、そこらへんのガキの人生より自分の人生が大事に決まってる。今日は偶然居合わせただけ。明日からは赤の他人。そうだろ? そいつらが、アンタの人生に責任取ってくれんのか? 自分のことを投げ打って学校に着いてきてくれんのか? んなわけねえよなあ」
「……っ!」
誰も否定できなかった。
今日、ここにいなければ、この少年のことなど知る由もなかった。そんな自分が口にした「護ってやる」という言葉は、なんて無責任で、傲慢だったのだろうか。リアスピサの拳から、力が抜けていく。
磐名は、その心の揺らぎを見透かしたように、言葉を続けた。
「だいたい、全部アンタが弱いのが悪いんだ。もっと強けりゃ、もっと上手くやれてりゃ、いじめられることもなかった。違うか? 結局、全部、アンタ自身のせいなんだよ」
《ちがう……ちがう、ちがう! ぼくは、わるくない!》
少年の悲痛な否定。
磐名はそれに、チッと冷たく舌打ちを返し、地面に唾を吐いた。
「あー、うるせえな、ガキが。現実逃避ばっかしてんじゃねえよ。目の前のことをまっすぐ見つめて考えるか、立ち向かうか、どっちかにしろよ。何も考えずに逃げても、一生負け犬だよ、負け犬」
その言葉が、最後の引き金となった。
少年の心は、砕け散った。
《そうだ、僕が弱かったから……。僕が、もっと……。あああああああああああああああああああああっ!》
スレイヴの全身から、先程とは比較にならない濃密な絶望が、黒い瘴気の奔流となって爆ぜる。
黒い鉄が傷口を喰らい、ぐしゃり、と脈打つ。
肩が膨らむ。
腕が裂ける。
その裂け目から、刃が一本、二本、三本。
異形の腕が、生まれた。
「まずい……!」
リアマイムが、戦慄に顔を青くする。
磐名は、自らが作り出したその絶望の化身を、満足げに眺めていた。
「そうだ、それでいい。量産機は量産機らしく、アタシのために壊れるまで戦ってりゃいいんだよ」
絶望に呑まれた怪物が、三人のデシリアへと、再びその殺意を向けた。




