第二十八話「黒き感情」-3-
「てめえ……!」
星輝は磐名を睨みながら、がなりを効かせた声を響かせる。その響きに、瑞季に圧倒されてしまいそうになるが、
「ハハッ、お子ちゃまが睨んでもかわいいだけだねえ」
磐名にはまるで怯んだ様子はなく、挑発的に笑うだけだった。
瑞季もまた、燃えるような瞳で敵を射抜いた。
「その水晶、やっぱりヘヴンのだよね。なんであんたがそれを持ってるの」
「さあね。あ、もしかして使ってみたい? 使ってみる?」
「ふざけないで!」
叫びながら、瑞季はバッグのチャックを開ける。左手をそこに入れ、デシリル・アンプを取り出した。そのとき、バッグの中のコンパクトミラーが、太陽光を反射してキラリと輝いた。ヒナが、神妙そうにこちらを見ている。ヒナを彼らの前に出現させるべきかは、分からなかった。じっとしてて、と目で合図し、バッグを足元に置いた。
星輝も同じようにして、その手に瑞季が持つものと同じ白い板と、赤い宝石を握っていた。
赤と白、二条の閃光が夕闇を切り裂いた。
光が収まったとき、そこに立つのはふたりの戦士。正義の火を瞳に宿すリアハイリンとリアスピサ。
「行くよ!」
「おう!」
号令と共に、リアハイリンが弾丸のように突貫する。
対するスレイヴは、ジャングルジムだった無数のパイプを、甲高い金属音と火花を散らしながら変形させる。
それは檻だった。
誰も助けてくれない教室。
逃げ場のない休み時間。
少年の恐怖が、鉄格子となって現れたかのようだった。
「こんな鉄クズ!」
リアスピサの拳に紅蓮の炎が渦を巻く。灼熱の一撃が、鉄格子を打つ耳障りな打撃音を響かせた。鉄パイプは赤熱し、飴のように歪むが、砕け散るには至らない。その隙を突き、スレイヴのもうひとつの腕——ブランコの鎖が空気を切り裂く音を立てて鞭のようにしなった。
ふたりは咄嗟に身を翻す。直後、鎖の先端の鉄塊が地面に激突し、アスファルトを爆砕。轟音と共に破片を撒き散らし、深いクレーターを穿った。
「ちっ、動きが読みづらい!」
夕闇が公園を飲み込み、長く伸びた影がスレイヴの巨体をさらに大きく見せている。
リアハイリンは己の質量を操作し、身体を羽のように軽くして鉄格子の隙間をすり抜けようと試みる。だが、スレイヴは思考を読んだかのように、ガシャガシャと音を立ててパイプの密度を上げ、わずかな隙間さえも完全に塞いでしまった。
「っ!」
リアハイリンがバックステップで距離を取った、その刹那。スレイヴの胴体、滑り台だった部分が変形し、巨大な断頭刃となって彼女を薙ぎ払う。夕日を浴びて鈍く輝く刃が、リアハイリンの髪を数本切り裂きながら通り過ぎた。
「危ねえ!」
リアスピサの怒声が響く。死角から迫っていたブランコの鎖を、彼女はリアハイリンを突き飛ばすことで回避させた。鎖の先端が再び地面を叩き、先程よりも深い亀裂をアスファルトに刻む。
スレイヴは息つく暇を与えない。今度は地面そのものから、無数の鉄パイプを突き出させる。五月雨式の刺突が、ふたりを鉄の竹林へと誘い込んだ。
「面倒くせえ!」
リアスピサは後退しながら、その炎で迫るパイプを次々と溶断していく。一方、リアハイリンはその攻撃の嵐の中を、前へ、前へと突き進む。身体の密度を巧みに変化させ、物理法則を無視した動きでパイプの森を駆け抜ける。
あと一歩。
届く。
全身の力を右拳に集めた。
「はあっ!」
渾身の右ストレートが炸裂する。
金属がひしゃげ、砕ける。内部のパーツが飛び散る。
その感触が、足の裏から脳髄まで駆け上がった。
しかし、スレイヴは痛みを覚えない。
攻撃の後隙に、鉄パイプで編まれた腕が容赦なく叩き込まれた。
「が、は……ッ!」
肺から空気が強制的に絞り出される。視界が白く点滅し、リアハイリンの身体はくの字に折れ曲がって吹き飛ばされた。砂場に深々とクレーターを刻み、動かなくなった。
スレイヴは倒れたリアハイリンに目もくれず、リアスピサへと高速で距離を詰める。
「なっ」
回避する間も与えず、ブランコの鎖でその小さな身体をがんじがらめに縛り上げた。
「ぐっ……! この……! うまく炎が出せない……!」
もがけばもがくほど、鎖は肉に食い込んでいく。
自分の骨が軋む音が聞こえる。
呼吸が苦しい。
意識を失いかけた瞬間——鎖が叩き切られた。水飛沫と共に。
「スピサ!」
凛とした声と共に、清冽な水飛沫がリアスピサの頬を掠めた。水の柱が刃のように伸び、スレイヴの胴体を強打する。
拘束から脱したリアスピサには、夕陽に照らされる水飛沫が輝いて見えた。
「マイム……助かった」
「遅くなってごめん! 生徒会の仕事が長引いちゃって……」
駆けつけたリアマイムが、ふたりの隣に並び立つ。三対一。勝機は見えた。
リアマイムが水の鞭でスレイヴの足元を砕き、リアスピサが炎の弾丸で鎖の腕を牽制する。
ふたりが作った、刹那の好機。リアハイリンは見逃さない。
「はああぁッ!」
気合一閃、スレイヴの懐に再び飛び込むと、全体重を乗せた回し蹴りに、滑り台の外装が砕けた。続いて内部の骨組みが悲鳴を上げる。
そして、巨大なスレイヴが、ゆっくりと傾いた。
地響きを立てて背中から倒れ込む。
「よしっ!」
「やったね!」
「このまま一気に決めるぞ!」
勝利を確信した三人に、場違いな音が投げかけられた。
ぱち、ぱち、ぱち。
公園の隅、深まる闇の中で戦いを見守っていた磐名が、心底楽しそうに手を叩いていた。
「——気持ちいいかい? 大勢で寄ってたかって、ひとりを一方的に叩きのめすのは」
その言葉は、氷の棘のように三人の胸に突き刺さった。
「まるで、さっきここで繰り広げられていた光景だ。加害者は違うけど、被害者は同じ。悲しいねえ」
「変な言い方しないで! 気持ちいいわけなんてないでしょ!」
「ウチらは、好きで戦ってるわけじゃねえんだ!」
リアマイムとリアスピサは叫ぶ。その主張は、まさに正義のヒーローのそれだ。
だが、リアハイリンは言葉を発せなかった。
答えられなかった。
——心地よかった。
否定できない。スレイヴの装甲を蹴り砕いた瞬間の、金属が潰れる音。砕け散る感触。崩れ落ちる巨大。そのすべてが、恐ろしいほどに気持ちよかった。
もっと。
もっとこの力で、敵を壊したい。叩き潰したい。二度と立ち上がれないくらいに——。
あってはならない欲望が、心の闇で確かに産声を上げていた。——いや、本当にそれは『産声』なのか?
はっと顔を上げる。
磐名が、リアハイリンの心の揺らぎを確かに見つめていた。
極上の蜜を舐めるような、甘美で恍惚とした笑み。
「……っ!」
その視線から、目が離せなかった。
胸の奥で、嫌な鼓動がひとつ鳴る。
その瞬間だった。
背後から、そっと肩に手が置かれた。
「こんにちは。染谷瑞季さん」
その声に、リアハイリンはハッと我に返る。
振り返ると、そこにいたのは、凪宮琥珀だった。褐色の肌と、戦場に似合わぬ燕尾服。彼は今にも起き上がろうとするスレイヴにも、磐名にも目もくれず、ただリアハイリンだけを見ている。
「凪宮くん!? どうして、ここに……!」
「僕の主がお呼びです」
凪宮は、いたずらが成功した子供のようにウインクをした。
一方、磐名は止める様子もなく、楽しそうに眺めていた。
スレイヴすら、その場で動きを止めていた。
「さあ、行きましょうか。あなたが、本当の自分で居られる場所へ」
そして、ぱちん、と軽やかに指を鳴らす。
その瞬間、リアハイリンの世界がぐにゃりと歪んだ。視界が捻じ切れ、音が引き伸ばされ、重力の感覚が掻き消える。平衡感覚が消え、身に覚えのある、不快な浮遊感に身を包まれる。
「瑞季ッ!」
「待て!」
仲間たちの絶叫が、遠ざかっていく。驚愕と怒りに歪むふたりの顔を最後に、リアハイリンの意識は、夕闇に沈む公園から完全に断絶された。




