第二十五話「ヒナとの別れと、新世界への序章」-3-
彼女たちは空の邦の王と王妃へ、これまでの苦難と未来への展望を語り終えた。最初は困惑に目を見開いていた国王たちだったが、ヒナの必死の懇願と、カスパールとアスラが提示したヘヴンとしての誓約、そして何より瑞季たちの瞳に宿る澄んだ光に触れ、最終的には彼女たちを信じて和平へ向かう道を選び取ってくれた。
一行は国王が遣わした案内役のロイを先頭に、城の最深部へと足を進める。目指すは、かつてヘヴンが血眼になって捜索していた禁忌の場所。灰呪雲を発生させ、制御し続けている装置が眠る『封印の間』だ。
地下の石壁に擬態した隠し扉を開き、湿り気を帯びた長い地下通路を抜けた先に、巨大なドーム状の空間が口を開けていた。中央には、禍々しい漆黒のオーラを放つ巨大な機械装置が鎮座している。表面を這う無数のパイプやケーブルはさながら血管のようで、不気味な低周波の駆動音を空間に撒き散らしていた。
装置全体を覆うのは、高密度のエネルギー障壁。ジンですら突破できなかったという、強固な結界だ。
「これが……灰呪雲の制御装置……」
優菜が息を呑む。装置から溢れ出す言いようのない圧迫感に、誰もが肌を粟立たせていた。
星輝が眉を寄せ、隣の軍人へ疑問を投げかける。
「なあ、カスパール。この結界はヘヴンの兵器でもびくともしなかったんだろ? 本当に、今のウチらだけで壊せるのか?」
「物理的な破壊、あるいは精霊単体の出力ではかすり傷を負わせるのが限界だった。それも瞬時に自己修復される。正直に申し上げれば、デシリアの合技が有効であるという保証はない。かつてジンが破った、光の連邦への扉のバリアに近いというだけだ」
カスパールの冷徹な分析を、瑞季が前向きな言葉で引き継いだ。
「どちらにせよ、やるしかないよ。みんな、準備はいい?」
優菜、星輝、アスラが力強く応じた。四人は呼吸を合わせ、それぞれのデシリル・アンプに輝く宝石を装填する。
直後、四色の閃光が地下の静寂を塗り潰し、再び戦士たちの輪郭が浮かび上がった。
「これが、伝説の……」
背後で王が感嘆を漏らす。リアハイリンは一度だけ肩越しに微笑みを返し、正面の巨悪を見据えて号令した。
「いくよ!!」
四人のデシリアが全生命エネルギーを一点へと集約し、装置を護るバリアへ向けて一斉に解き放った。白銀の光、蒼い激流、深紅の炎、そして黄金の嵐。異なる四つの属性が螺旋を描いて激突する。
大気を震わせる衝撃が走り、漆黒のドームに蜘蛛の巣状の亀裂が幾重にも走った。直後、障壁は耐えきれぬ負荷に悲鳴を上げ、光の破片となって完全に霧散した。
「……やった! 壊せた!」
リアスピサが弾んだ声を上げ、全員の顔に歓喜の色が広がる。
だが、カスパールだけは冷静さを失わず、剥き出しになった制御装置へと歩み寄った。彼女は手慣れた所作で操作パネルのキーを叩き、内部データへのアクセスを開始する。広間に響くのは、電子音とカスパールの指先がパネルを打つ規則的な震動だけだ。
やがて、カスパールはふっと肩の力を抜き、皆の方へ向き直った。
「……ふむ。どうやら、この装置には、灰呪雲を消し去る機能は備わっていないようだ」
その報告に、アスラの顔から血の気が引く。
「え……。じゃあ、無駄だったんですか……?」
「早合点するな。絶望する必要はない」
カスパールの声は、かすかに興奮していた。
「この装置の本質は、灰呪雲を生み出すことではない。維持することだ。光の連邦から絶えず魔力を吸い上げ、そのエネルギーで雲を存続させ続けている。そして今、その供給を断つ手段が、私の手元にある」
カスパールの言葉が、一同の不安を希望へと塗り替えていく。
「供給を止めれば、あの雲はただの力を持たない水蒸気の塊に成り果てる。いずれ自然の摂理に従い、消滅するだろう」
「本当ですか!」
アスラが声を弾ませた。瑞季たちも互いに明るい顔を見せあう。カスパールも、心なしか口元が緩み、言葉に興奮の色が混じっていた。
「ああ。完全消滅までには時間を要するとは思う。だが、いつか必ず、我が故郷にも本物の青空が戻る」
確信に満ちた宣告を受け、アスラの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。幾多の犠牲を払い、ようやく辿り着いた悲願成就の瞬間。
そのときだった。
「ヒナ……王子?」
地下空間の入り口から、ヒナにとって懐かしい、けれど記憶より幾分大人びた声が届いた。
振り返ると、白い毛皮に顔だけが黒い精霊が、目を丸くして立ち尽くしていた。
「カ、カム……!?」
ヒナもまた驚きに声を震わせ、旧友の名を呼んだ。カム。かつてジェム奪還作戦を共にした、物静かな少年。
「ヒナ王子……! 本当に戻られたのですね……!」
「カムも……! よく無事だったニャ!」
カムは駆け寄り、ふたりは八年の歳月を飛び越えて再会を喜び合った。そして、ぷっと笑う。
「王子……その語尾は」
「それはもう飽きるほど聞いたニャ」
ふたりは笑いあう。再会の昂揚が落ち着いた頃、ヒナは意を決して、おそるおそるカムへ問いを投げた。
「……ミトは。ミトはどうしているんだニャ?」
問いかけた瞬間、カムの表情に深い影が落ちた。
「ミツのことは、既にご存知なのですね」
ヒナは力なく首を縦に振った。ジンから聞かされた、凄惨な事実が脳裏をよぎる。
「ミトは……あの日からずっと、心を閉ざしたままです。誰とも言葉を交わさず、ただひとり、ミツの墓の前で毎日座り続けているようです。泣いている日もあれば、ただ黙って空を見上げている日も……。おそらくミトは、もう……王子の顔など見たくないと思っているに違いありません」
カムの報告は、ヒナの胸を鋭い楔となって貫いた。
「そうか。……当然の結果だニャ。ぼくが、あいつからすべてを奪ってしまったのだから」
その背中は、見守る瑞季の目にはひどく小さく、寂しげに映った。
だが、ヒナは逃げなかった。
「……それでも、ぼくは止まらないニャ」
その瞳の奥には、王族としての誇りが宿っていた。
「ぼくの犯した罪は……王子として、この邦に本当の平和を導くことで償うしかないんだニャ」
そのたくましいヒナの姿を、瑞季は温かく眺めていた。だが、同時に、胸の奥を冷たい風が通り抜けるのを感じた。
……もうすぐ、お別れなんだね。




