第二十五話「ヒナとの別れと、新世界への序章」-1-
膨張した白銀の光が、静かに収束していく。
後に残されたのは、焦げ付いた玉座の間の床と、そこに力なく転がる、一本の空の黒槍だけだった。
ジンの姿は、どこにもない。そして、最後にジンの前に現れたナーサの気配もなかった。
力を使い果たした瑞季たち四人は、デシリアとしての姿を保っていることができず、変身が解けて元の少女の姿へと戻っていた。互いの肩を支え合い、肺を焼くような荒い呼吸を繰り返しながら、辛うじてその場に踏みとどまる。
「……ジンと、ナーサは?」
星輝が掠れた声で漏らした。その横顔には、死闘を終えた安堵よりも、答えのない問いに放り出されたような虚無が張り付いている。
「……そういうことだったのかニャ」
瑞季の肩口で、ヒナが何かに得心したように、ぽつりと独白した。
「ヒナ? どういうこと……? ふたりはどこに」
「ナーサは、おそらくジンが最後に開いた空の亜空間を通って、どこかへ飛ばされたんだと思うニャ。ジンは……」
ヒナは一度言葉を切り、重々しく続けた。
「おそらく、もう、どこにもいないニャ……」
その言葉は、あまりにもあっけなかった。
スレイヴを浄化すれば、その素体となった人間は元の姿に戻る。瑞季たちは、そう信じていた。だから、ジンの黒感情を浄化すれば、スレイヴと化した身体から、かつてのジンを取り戻せるはずだと思っていた。
「どういうこと……? だって、わたしたちはジンの心を浄化したはずじゃない!」
優菜が、戦慄を瞳に浮かべ、ヒナへ詰め寄った。
「ぼくも、そう信じていたニャ。……でも」
ヒナは苦渋を滲ませた表情で、ゆっくりと真実を紐解き始める。
「以前ぼくが話した『魂の見え方』を覚えているかニャ。通常の生命は全身に光が満ちているけれど、スレイヴは空の器に光が浮いているだけだと」
「うん、覚えてる。確か、ジンは普通の人と同じように見えたんだよね」
ヒナが小さく顎を引く。
「その矛盾の答えが、ようやく分かったニャ。ジンは、ただスレイヴに取り込まれていただけじゃなかったんだニャ。ジンは、スレイヴと『同化』してしまっていたんだニャ……」
「同化……」
その熟語には覚えがあった。
——精霊の番は、子育てを終えるとそのままふたりでいるか、同化するかを選択できるニャ。
——同化してしばらくは、ひとつの肉体にふたつの魂がある、不思議な状態になるんだニャ。このときは、まだ元に戻ることもできなくはないけど、一年も経つと完全に魂がひとつになって、二度と離れられなくなるニャ。この状態になって死ぬと、来世でも再会し、再び番になると言われているんだニャ。
「同化は、もう後戻りできないところまで進んでたはずだニャ。だから、ジンを浄化したということは、同時に……。ぼくは、そう思うニャ」
その残酷な結論に、瑞季たちはただ立ち尽くすしかなかった。
星輝が膝から崩れ落ち、硬い床に拳を落とした。
「そんな……。じゃあ、最初からあいつを救う方法なんて、どこにもなかったってことか……?」
絶望に打ちひしがれた声が、漆黒のドームに虚しく反響する。優菜もアスラも、降り注ぐ沈黙に耐えかねるように視線を落とした。
長い戦いは終わった。だが、そこに勝利の味はなかった。残ったのは、まるで心にぽっかりと穴が開いたような、どうしようもない虚無感だけ。
「そっか……」
重苦しい静寂の中、瑞季がぽつりと声を零す。
彼女はゆっくりと顔を上げ、ジンの消えた空間を見据えた。
「ジンは、スレイヴに身も心も取り込まれてしまったのかもしれない。でも、もしかしたら、ジンは時間をかけて、スレイヴの支配を克服してたんじゃないかな」
「克服?」
アスラが縋るような視線を向ける。
「ただの想像だけどね。身体はスレイヴと同化してしまったけど、心だけは……元々の優しいお兄ちゃんの意識を、取り戻していたんじゃないかな、って。なんとなく、そんな気がするの」
そしてジンは、その取り戻した心を誰にも悟らせぬまま、最後まで冷酷な怪物を演じ続けていたのかもしれない。
もちろん確証はない。
けれど——もしそれが真実だったのなら。
その生き方は、あまりにも苦しかったはずだ。どうしてそんな生き方を選んだのか、もはや彼女たちには分からない。本当の答えを知る唯一の人物は、彼女たちの手の届かない場所へ行ってしまった。これから先、いくら考え続けたところで、答え合わせをすることはできない。
勝ったはずなのに。
戦いは終わったはずなのに。
鉛のように重たい空気が、主人を亡くした空虚な王座の間を、静かに支配していた。
「……みなさん」
アスラが顔を上げ、重い沈黙を振り払うように告げた。
「せっかくここまで来たのですから、見に行きませんか? ……光の連邦へと続く『扉』を」
「『扉』は、ジンさんのお部屋にあります」
アスラは王座の間の奥へと歩みを進めながら、状況を整理するように口を開いた。
「ジンさんのお部屋は、ここを通らなければ入ることができない構造になっています。私にはこの奥へ行く用事はなかったですし、報告以外でジンさんと話すこともなかったので、中へ入ったことはありません」
アスラがその黒い扉の前に立つと、扉は自動で左右へと開いた。その先には、下へと続く、薄暗い石造りの階段が現れる。瑞季たちは息を呑み、アスラの背を追って一段ずつ深淵へと降りていった。
階段を降りきると、そこには、無機質な銀色の金属扉が鎮座していた。
「ここが、ジンさんのお部屋。研究室兼私室だった場所です」
アスラはそう言うと、扉の横にある認証パネルのようなものに、そっと手を触れた。ピッ、という電子音と共に、重たい金属の扉が、左右へと滑らかに開く。
そこは、広々とした薄暗い空間だった。部屋の奥の壁一面には、六つの巨大なモニターが設置されており、それぞれに、先ほどまで瑞季たちがいた王座の間や、アジトの一階ロビー、アジトの外の森の様子などが映し出されている。
そして、部屋の中央。
ヘッドレスト付きの黒いレザーチェアが、背を向けた状態で置かれていた。
瑞季たちの心臓が、一際大きく鼓動を打つ。
その椅子に、誰かが座っていたのだ。
「誰……?」
その問いに答えるように、ゆっくりと、その椅子が回転し始めた。
椅子に座っていた人物と、瑞季たちの視線が、真正面からぶつかる。
「カスパール……!」
椅子に座り、優雅に足を組んでいたのは、ヘヴンを離反したはずの女将軍だった。
「やあ。お疲れさま」
カスパールは静かに言った。その頭に軍帽はなく、少しパーマがかった金色のショートヘアが姿を現していた。
「ここに忍び込み、君たちとジンとの戦いの顛末を見届けさせてもらったよ。……まさか、本当にジンを打ち破るとは、正直思ってもみなかったが」
ふと、星輝が部屋の隅にある物に気づき、指を指して絶句した。
「——おい! あれって……!」
星輝が指差す先、部屋の隅に、ひとりの男が、ぐったりと横たわっていた。もはや原型をなさないほどボロボロな黒いタンクトップと、迷彩柄のカーゴパンツ。
「ブラフザールさん!」
アスラが悲鳴に近い声を上げて、ブラフザールの元へと駆け寄る。星輝も慌ててそれに続いた。
ブラフザールは目を固く閉ざしているが、かすかに胸が上下している。
「生きていらっしゃるのですか……!?」
「ああ。手当ては済ませてある。あれほど盛大に、ジンへの叛逆死機構を受けて即死しないとは、まったく、呆れるほどに大した男だ。さすがに数日は意識が戻らないだろうが、いずれ目を覚ますだろう」
カスパールは、ゆっくりと腰を浮かせる。
「ブラフザールは、ジンがここに飛ばしてきたんだ。……私も驚いた。君たちの前では、倒れる彼を瓦礫のように扱っていただろう? てっきりアジトの外にでも放り出したのかと思っていたら、この部屋にご丁寧に送り届けてくるとはね。正確な意図までは読めないが、もし、ジンがこの部屋に私が侵入していることに気づいていたのだとしたら、その意図は絞られてくる」
瀕死のブラフザールの手当てを、ジンはカスパールに託した——。
瑞季はそう直感した。
そして、思う。
本当に心を失った人間に、そんなことができるはずはない、と。
カスパールは、部屋のさらに奥にある、もうひとつの扉を顎で示した。
「さて。目的地は、あちらだ」
その扉を抜けた先。
高い天井に届かんばかりの巨大な石造りの扉が、瑞季たちを迎えた。手前の祭壇には、五色の宝石が輝きを放っている。
「この台座に嵌め込まれているデシリル・ジェムは、すべて、精霊を犠牲にしてジンが作り出した、偽物だ」
カスパールは、パネルに近づきながら言った。
「扉を開けるためだけに、三年の歳月をかけて作られたデシリル・ジェムの贋作。そこまでする必要があるものかと、疑問に思っていたが、……地のデシリル・ジェムがここにない現在、皮肉にも、その保険が正しくはたらいてくれたと言える」
ヒナが、カスパールの言葉を聞いて、彼女を鋭い目で睨みつけた。そんなヒナの視線を受け止めながら、カスパールは静かに問いかけた。
「王子。貴台には、光の連邦へと帰る覚悟があるのか? 間接的とはいえ、貴台の行動が精霊たちを長年に渡り苦しめるきっかけとなってしまったことは事実だ。この平和な無の邦で、彼女たちデシリアに守られながら暮らしていた方が、貴台にとっては幸せなのではないか?」
それは、彼女なりの優しさ。
だが、ヒナは一歩も引かなかった。
「戻るニャ」
迷いのない、鋼のような響き。
「たとえ、どんな罵詈雑言を浴びせられようとも、石を投げつけられようとも、ぼくは戻る。そして、この無の邦で見て聞いて感じた、そのすべてを伝え、光の連邦を救ってみせる。……それが、ぼくに課せられた使命なんだニャ」
その決意に、カスパールは静かに目を伏せ、首肯した。
「承知した。ならば、私からも約束しよう。我が故郷には、私から事の次第を正確に伝え、これ以上精霊たちを不当に苦しめることのないよう、最大限の交渉をする、と。——ただし」
カスパールは言葉を切り、少女たちを見据えた。
「君たちが灰呪雲を消し去ることができたのならば、の話だがな」
「灰呪雲を発生させているという装置は……」
優菜が確認するように尋ねる。
「バリアに守られてるんだよね? 普通の攻撃では壊せないけど、わたしたちの力なら壊すことができる」
「そうだ」
「なら、決まりね。……わたしも行く。アスラちゃんたちの故郷と精霊たちの未来を、取り戻すために」
「おう! ウチももちろん行くぜ! なんか、よく分かんねえけど、面白そうじゃねえか!」
星輝もいつものように明るく笑って続く。
瑞季はヒナの身体を肩に乗せ直し、静かな覚悟を口にする。
「私も行く。そのバリアは、絶対に壊してみせる」
アスラが、溢れそうになる涙を堪え、深く腰を折った。カスパールもまた、無言のまま静かに頭を下げる。
「これをつけるといい」
カスパールは、彼女たちに黒い布を差し出す。それは、アスラやカスパールたちがいつも首につけているもの。
「翻訳機?」
「ああ、そうだ。ほとんど遅延なく、自分の言葉をその地の言語に翻訳して出力することができる」
「なんだか、ワクワクするかも」
瑞季たちはそれを首に巻く。肌に触れる冷たい感触が、これから踏み込む未知の世界の存在を、否応なく実感させた。
カスパールがパネルに掌をかざすと、巨大な扉が地響きを立て、重々しく開き始めた。
扉の向こう側から溢れ出したのは、目も眩むような七色の奔流。
彼女たちは立ち止まることなく、その眩い光の中へと足を踏み入れていった。




