第二十四話「英雄 VS ヒーロー」-7-
ジンの心の奥底に刻まれた傷の記憶が、意識から薄れていくと同時に、玉座の間の、冷たく硬い床の感触が、リアハイリンの意識を現実へと引き戻した。
肩口の激痛が、再び生々しく蘇る。だが、それ以上に、リアハイリンの胸を締め付けていたのは、先ほど垣間見た、ジンの深い絶望だった。
「そうか……。だから、あなたは……」
最愛の妹を救えなかった後悔。
その痛みはやがて世界への憎しみへ姿を変え、彼をここまで歩かせた。
「私もあなたと同じ立場だったら、同じ選択肢をとっていたかもしれない。あなたが間違っているなんて、私には言えないよ」
「ならば、去れ」
ジンの声は、感情の機微を完全に削ぎ落としていた。
「君が諦めてくれれば、これ以上その命を削る必要はなくなる。無意味な抵抗をやめ、静かに私の前から消えるがいい」
「ううん、去らないよ」
リアハイリンは、折れそうな膝を気合で固定し、ゆっくりと立ち上がった。
「私はまだ、あなたと同じ絶望を味わっていない。深い穴の底まで落ちてない。だから、手を伸ばせる。助け出せる。……そのために、私はここに立っているんだ」
震える右手を、改めてジンへ差し伸べる。
「……あなたの黒感情を、必ず浄化してみせる!!」
その宣誓に呼応するように、リアハイリンの全身を覆う白い光が、漆黒の空間を焼き払わんばかりの輝きを放ち始めた。
「浄化など、誰が求めた。勝手に人の心を解釈するな」
ジンは右手の黒槍を垂直に構え、左手の透明な石を胸元へ。
直後、ジンの全生命エネルギーが一点へと収束を開始した。玉座の間全体が、その禍々しくも絶対的な破壊の予感に震え、空間そのものが鏡のようにひび割れ、不気味に歪み始める。
先ほど、リアハイリンとリアウインズを容易く沈めたあの一撃。それを遥かに凌駕する威力が、今まさに解き放たれようとしていることを、その場にいる全員が肌で察知していた。
「リアハイリン」
ジンの、決然とした声が響く。
「この一撃で、すべてを終わらせる。君の覚悟を見せてみろ」
それは、かつて同じ道を志した者からの、最後の挑戦状。
「望むところだよ」
肺が焼け付くような重圧に屈しそうになりながらも、右拳に自らのすべてを注ぎ込んだ。
白いオーラが奔流となって激しく渦を巻き、その拳は地上のあらゆる光を奪い去ったかのような、神々しい白銀の太陽と化した。それは最終奥義『デシリア・クリア・スクリーム』の臨界点。
しかし、彼女の内側で、冷徹な理性が警鐘を鳴らしていた。
——今のままじゃ、負ける……!
「私は」
ジンが一歩、前へと踏み出した。
「故郷の民衆が抱く積年の怒りと悲しみを双肩に背負い、彼らの代弁者として戦う『英雄』だ。君のような、一時の感傷と現実離れした理想に縋るだけの、わがままな『ヒーロー』に負ける道理はない」
「確かに、私は、ただのわがままな子供なのかもしれない」
瑞季は、ゆっくりと眼を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、仲間たちと共に戦い、笑った日々。
優菜が差し伸べてくれた手。
星輝が何度倒れても立ち上がった姿。
アスラが初めて見せた笑顔。
ヒナが見出した未来。
自分ひとりの力など、あまりにもちっぽけだ。けれど、この背中には、託された想いがある。護り抜くと誓った絆がある。
「それでも! この信念だけは、何があろうと、誰に何を言われようとも必ず貫き通してみせる!」
カッと見開いた瞳には、既に死の恐怖など一欠片もなかった。
全身を流れる血液が沸騰し、筋肉の軋む音が魂の叫びとなって昇華していく。
「非力さを思い知らされても! 馬鹿げていると笑われても! この胸の熱が消えない限り、絶対に諦めない! それが——」
白い光が爆ぜる。
それは理屈を超えた、ただひとりの少女が振り絞った、究極のわがまま。
「——それが、私の『ヒーロー』だっ!!」
その想いに呼応し、後方で戦況を見守っていたリアウインズが、震える膝を叩いて立ち上がった。一歩ずつ、確かな足跡を石床に刻みながら歩み寄り、リアハイリンの右肩にその華奢な手をそっと添える。
「そして……」
リアウインズは溢れそうになる涙を堪え、澄んだ声を響かせた。
「その、けっして歩みを止めないヒーローの背中に、人々は勇気と未来への希望を見出すのです。……かつての私が、そうであったように」
清らかな黄金色の風がリアハイリンの全身を包み込む。
同時に、壁際で満身創痍となっていた星輝もリアスピサへと姿を変え、リアハイリンの左肩に力強く掌を置いた。
「その名もなき人たちから受け取った、数えきれない祈りが、今度はヒーローの力となって、想像もできないほどの奇跡を起こすんだ……!」
リアスピサの絶えることのない紅蓮の熱量が、リアハイリンの闘志の光がさらに一段明るく灯る。
さらに、ジンの非情な一撃によって気を失っていた優菜も、ふらつきながら三人のもとへ辿り着いた。リアマイムへと変身した彼女の双眸は、希望に溢れている。
「ヒーローは、時に、わがままに見えるかもしれない……。でも、けっして孤独じゃない」
リアマイムの優しく青い水のエネルギーが、三人を聖母のように温かく包み込み、その心をひとつにする。
「ジン」
彼女たちの頭上で、ヒナが静かに語りかけた。
「普段、スレイヴから聞こえてくるのは、その者の黒感情だニャ。だから、おぬしの妹との日常が映っていたのが、ぼくには不思議だったニャ」
リアハイリンは、それを聞いてハッとする。
ジンは、ただ静かにヒナに顔を向けるだけだった。
「おぬしは、妹の願いとはまったくの逆方向に進んでいながら、その願いを忘れられなくて……それが、今も苦しいんじゃないのかニャ? それが、おぬしの本当の黒感情」
ジンは答えない。微動だにもしない。
ヒナは続ける。
「……おぬしらが精霊を支配したのは、必然だったかもしれぬニャ。でも、今の自分に苦しむ優しさがおぬしにあるのなら、おぬしとぼくらは、友達になれると思う」
その言葉に、わずかにジンの持つ黒槍が揺れた。
ヒナは、かつて自分や家族を苦しめた者へ、優しく微笑みかけ、手を差し伸べた。
「だから、今はおぬしの黒感情を浄化させてほしいニャ」
「……今さら戻れやしない」
消え入るような呟きだった。
そして彼は、杖をヒナたちへ向け、気丈に宣言する。
「私は最後までこの道を突き進む」
彼は右手の黒槍と左手の透明な石を天へと捧げる。玉座の間全体が、黒紫色のエネルギーの爆縮に震え、空間の理が悲鳴を上げて軋み始めた。
「止められるものなら、止めてみろ」
ジンが頭上の巨大なエネルギー球を解き放った。それは漆黒のドームを飲み込み、すべてを無へ帰す破壊の奔流。
——同時。
五名の心はひとつに重なり、それぞれのジェムが共鳴の極致に達した。
「『デシリア・セレスティアル・シンフォニア・レイ!!!!』」
白。
青。
赤。
黄。
四つの属性が調和を成し、天上の光を束ねたような純白の光線となって、迫り来る絶望へと撃ち放たれた。
それは彼女たちの過去、現在、そして未来への祈りをすべて乗せた、最後の一撃。
ふたつの巨大なエネルギーが中央で激突し、空間そのものが硝子のようにひび割れ、音を吹き飛ばすほどの衝撃波が円形の壁を打ち据えた。
拮抗が続く。
リアハイリンたちは、自分の中からすべてを引き出し、叫び声とともにエネルギーとして出力していく。
息が続かない。指が震える。ふとももが引き裂かれそうになる。
それでもなお、彼女たちは止まらない。
……ある瞬間、押し返してくる力が、わずかに揺れた。
「——今だッ!!」
五名の叫びが、徐々にジンの憎悪を押し返していく。
そして、ついに——。
ジンの放った黒紫色の太陽は、耐えきれぬ負荷に限界を迎え、甲高い破砕音と共に粉々に砕け散った。
勢いを失わぬ白銀の光束が、ジンの素顔へと肉薄する。
直撃間近、ジンの前に、ひとりの少女が身を挺して立ちはだかった。
「ジン!」
「……!」
ナーサだった。傷だらけの身体で盾となり、最愛の男へ穏やかに微笑みかける。
「ジン……。あなたは、浄化されてはいけない」
ジンは何も言わなかった。ただ静かに彼女を見つめている。
浄化の光に、網膜が焼かれていく。彼女の輪郭が聖なる光に溶け、透き通っていく。
「あたしには分かる。ジンのことだから、まだ一度くらい転移できる力を残してるんでしょ。世界は、あなたを失ってはいけない。私が食い止めるから、今のうちに逃げて」
ナーサの瞳に、九年前の純粋な恋心が宿る。
「今まで、本当にありがとう」
ずっと追いかけてきてよかった。
ずっと好きでいてよかった。
彼の目が本当の意味で自分に向いたことはなかったけれど、それでも、この気持ちに嘘はない。
「……ずっと、大好きだよ。ジン」
その刹那、ナーサの耳元が水面のように揺らめき、空色の亜空間への入り口が開いた。
「え」
驚き、その入り口へ目を向けた瞬間。
彼女の身体が、突き飛ばされた。
何が起きたのか理解できぬまま、ナーサは次元の裂け目へと吸い込まれていく。
「——君は、生きるんだ」
それは、かつて少女が恋をした声。
あまりにも優しくて。
あまりにも切ない声。
「ナーサ……ありがとう。僕も、ずっと——」
その言葉を最後に、亜空間の入り口は完全に閉ざされた。
ジンの身体が、四人の放った浄化エネルギーに完全に呑み込まれていく。
彼は腕で顔を覆うことも、抵抗を試みることもせず、ただ静かに訪れた運命を慈しむように受け入れた。
視界のすべてが白く、温かく塗り潰されていく世界の中で。
ジンは、灰呪雲のその先にある本当の空を、妹とふたりで見ていた。
分厚い灰色の蓋が剥がれ落ち、その向こう側に、どこまでも、どこまでも広がる。
息を呑むほどに深く、美しい蒼を——。
(第二十四話「英雄 VS ヒーロー」了)
第二十五話(ヘヴン編最終話)「ヒナとの別れと、新世界への序章」
2026/7/25 8:00投稿予定




