第二十四話「英雄 VS ヒーロー」-3-
リアハイリンの意識は、眩い研究室の光景から、冷たく硬い石床の感触へと引き戻された。火照った頬を撫でる冷気は心地よかったが、それも刹那。脳髄を内側から叩き割るような警鐘が鳴り響いている。
「ハイリン! ウインズ!!」
星輝の声が頭の中で反響し、重なり合ってエコーのように響く。
リアハイリンはその濁流の中で思考を巡らせた。
……どうして、攻撃もしていないのにジンの記憶が流れ込んできたの?
確証はない。だが、もしあの巨大なエネルギー弾が、放つ側の身体をも蝕んでいるのだとしたら。
——自分たちは、確実に終着点へと近づいている。
「……まだだ」
呻き声が漏れる。全身の筋繊維が断裂せんばかりの痛みに耐え、泥を啜るようにして身体を押し上げた。戦闘服ぎ元々真っ白だったことさえ分からぬほどボロボロだったが、髪の隙間から覗く瞳の光だけは、一分一厘も翳ってはいなかった。
「まだ……! まだ倒れてやらない……!」
隣ではリアウインズが辛うじて眼を開けていたが、激闘の果てに生命力を使い果たし、衰弱していた。
そんな彼女たちへ、ジンが問う。
「他者の世界を救うために、なぜそこまで身を削るのか。君たちの住むこの世界ですら、未だ争いは絶えず、強者が弱者を搾取し続けている。己の足元の泥すら拭えぬ者が、人様の事情に首を突っ込む。それが君の掲げる『ヒーロー』なのか」
リアハイリンは崩れそうな両脚で大地を踏みしめ、真っ向から彼を射抜いた。
「確かに、そういう考え方もあるかもしれない」
一歩、また一歩と距離を詰める。
「私には、この世界の戦争を止めることなんてできない。でも、だからといって救えるかもしれない友達を見捨てるのは、私の『ヒーロー』じゃない!」
地を蹴った。残された全神経を四肢に叩き込み、拳を振るい、足を払う。だが、自覚できるほどにその軌道は鈍く、重い。
ジンは柳に風と受け流し、紙一重の回避で翻弄する。自分の全力さえ届かない——その絶望をリアハイリンは気合で撥ね退け、がむしゃらに肉薄し続けた。もはや言葉を交わす余裕などどこにもない。
しかし、ジンは彼女の攻撃をあしらいながら、冷徹にその矛盾を突き刺した。
「仮に今、私を退けたとして、その後はどうするつもりだ。君が命を使い果たして死んだ後まで、その脆く儚い平和とやらが永遠に続くとでも信じているのか」
胸に鋭い痛みが走る。灰呪雲が消えた後、精霊が再びかつての残虐性を取り戻し、人間に牙を剥かないという保証などどこにもない。
「……思ってないよ」
大きく後方へ跳んで距離を置く。
「正直に言うと、あなたたちの故郷も、ヒナの世界の事情も、私はまだよく分かってない。みんなを平和にするって言葉も、どこまで本気なのか自分でも自信がない」
リアハイリンは、自身の心臓の位置に右拳を強く当てた。
「結局、本当に私が護りたいのは、自分の信念なんだと思う。……それにね、『綺麗事じゃ、世界は救えない』なんて、今時の中学生なら誰だって気づいてる。みんな、分かってるんだよ。それでも——私たちは、その綺麗事を諦めきれない」
右手を、漆黒のドーム天井へと高く伸ばした。何か、運命そのものを掴み取るかのように指を曲げる。
「この信念を貫いたその先に、どんな景色が待っているのか……。それは、きっとどの時代のどんな中学生だって知らない。——私は、それが見たい」
リアハイリンの誓いが、静まり返った玉座の間に木霊した。
その余韻が消え去るまで、ジンは沈黙を守った。顔のない顔の裏で何を感じたのか、あるいは何も感じなかったのか。
「……答えになっていないな」
「確かに。死んだ後の未来なんて、私にはどうすることもできない。……でもね、ジン! ひとつだけ、絶対にはっきりと言えることがある! あなたたちが望むような、精霊が搾取され続け、人間だけが平和を享受する歪んだ未来なんて——私は死んでも見たくないっ!!」
直後、ジンの掌から放たれた不可視の圧力が、彼女を正面から打ち据えた。
大砲で撃たれたような衝撃。身体が後方へと猛烈な勢いで弾き飛ばされた。
「ぐあ……っ!」
黒い外壁に激突し、脳髄が揺れる。暗転しかける意識。
「理想だけでは勝てない。結果を出せなければ、君は何者でもない。世界を救おうと足掻いた事実すら誰にも知られず、ただ朽ち果てるのだ。まさしく、『無』のデシリアである君にふさわしい終焉だ」
ジンの声が、遥か遠くの蜃気楼から届くかのように霞んで聞こえる。肉体の限界はとうに超えていた。
けれど。
「確かに……私は、何者でもないかもしれない」
壁に背を預け、震える足でゆっくりと、けれど確実に立ち上がった。口の中に広がる血の味が、彼女の意識を鮮明に繋ぎ止める。
「でも……! 何者でもないからこそ……何者にだってなれるんだっ!!」
魂の絶叫。
その刹那、白いデシリル・ジェムが爆発的な輝きを放った。
これまでの変身とは異質な、太陽を掌に収めたような強烈で温かな光。
言葉では言い表せない未知のエネルギーが、ジェムを通して彼女の全身の細胞へと逆流していく。
熱く、冷たく。硬く、柔らかい。
正体不明の衝動が、彼女の内側で産声を上げた。
「なに、これ……?」
自らの掌を見つめ、戸惑いの声を漏らすリアハイリン。
「ほう。まだ足掻く余力があったか。だが、死に損ないの小細工など——」
ジンの右手が再び向けられた。
その瞬間。
リアハイリンは、何者かに導かれるように反射的に右手を突き出した。彼女の意志とは無関係に、唇が勝手に、聞き慣れぬ音節を紡ぎ始める。それは世界の理を書き換えるための、古い呪文のような響き。
「——『ヒアリン・フェーズ・ファースト【ケイリン】』」
空気が爆ぜる。
玉座の間を薙ぎ払った不可視の奔流が、リアハイリンへ襲いかかる。
——何も起きなかった。
彼女の掌に触れた瞬間。
世界から、その力だけが消えていた。
「!?」
理解を超えた現象に、ジンの口元が揺らいだ。
玉座の間を支配するのは、重苦しいまでの完全なる静寂。
そんな中、リアハイリンだけは、自分の中に宿った未知の力が、ドクドクと力強く鼓動を刻むのをはっきりと感じていた。




