第二十四話「英雄 VS ヒーロー」-2-
若き日のジンの記憶が脳裏から剥がれ落ちた後も、玉座の間は重苦しい沈黙に支配されていた。
リアウインズは、自分の知らなかったジンとミィシャの絆に、心を激しく揺さぶられていた。
「余所見をするな」
ジンの温度を欠いた声が響くと同時に、空の黒槍がしなり、リアウインズの肩口を正確に打ち据えた。
鋭い痛みに、リアウインズは短い悲鳴を漏らしてバランスを崩す。ジンはその隙を、死神が鎌を振るうように黒槍を振り上げた。
「させないっ!」
リアハイリンが咄嗟にその間へと割り込み、自らの肉体を盾にして仲間に迫る刃を阻んだ。
だが、ジンは不気味なほど冷静だった。彼はふたりの進む先——物理的な慣性が働く一点に、ブラフザールを呑み込んだものと同じ、淡い空色の円形の亀裂を出現させた。
同時に、彼女たちの背後から極限まで圧縮された空気の壁が膨張し、暴風となって背中を突き飛ばす。
「しまっ……!?」
「きゃあああああっ!」
前方の裂け目が獣の顎のように口を開く。
後方から爆ぜた暴風が、その顎へ向かってふたりの身体を叩き込んだ。
次の瞬間、視界が反転した。
リアハイリンとリアウインズの眼下には、見渡す限りの漆黒の床が広がっていた。中央に佇むジンや、壁際に倒れる仲間たちの姿が、まるで蟻のように小さく見える。
ジンも仲間たちも遥か下だ。
ふたりの身体は、自由落下の加速に支配される。
さらにジンは残酷な追い打ちをかけた。
落下するふたりの頭上から、強烈な下方への気圧操作を加え、墜落速度をさらに倍加させたのだ。
それだけではない。
眼下では黒紫の球体が脈動していた。
まるで獲物を待つ怪物の口のように。
「くっ……!」
リアハイリンは身体を軽くする。
リアウインズは風を横へ叩きつける。
わずかでも軌道を逸らそうとした。
だが、逸れない。
ジンが支配する空は、あまりにも重かった。
そして——。
ふたりの肉体は、逃げ場のない破壊の太陽へと、正面から激突した。
視界を焼き尽くす白光。脳髄まで揺さぶる衝撃。
全身の骨が粉砕され、神経が焼き切れるかのような激痛。
激突の余波は玉座の間全体を激しい震動で揺らし、壁面の黒い装甲に亀裂を走らせるほどだった。
リアハイリンとリアウインズは悲鳴を上げる余裕すら奪われ、中身の抜けた人形のように、黒い冷たい石床の上へと無様に叩きつけられた。
薄れゆく意識の中、彼女たちは再び、ジンの過去の記憶を見ていた。
——そこは、白衣を着た男たちが忙しく立ち働く、広大な研究施設の一室だった。多くの複雑な機械が並び、壁一面には、数式や設計図のようなものが、びっしりと書き込まれている。その視界の中央、すなわちジンの前に、髪を無造作に胸まで伸ばした男が、革のソファに腰をかけていた。男は、ジンよりも年上に見えるが、けっして老けてはいない。その瞳には、ジンと少し異なる、どこか不気味な知性の光が宿っていた。
「……ジン君。キミの『仮想空間コンクラム』の構想は、実に素晴らしい。このワタクシがいるとはいえ、ヘヴン社が起業して、まだほんの一年だというのに、あんなものを作ってしまうとはね」
「まるで他人事のように言いますね、ドクター・ルフィトヴェルツェ。これは、僕だけの成果じゃない。この研究に関わった、みんなの成果だ」
「イヒヒ……まだ若いのに謙虚だなァ、ジン君」
ルフィトヴェルツェと呼ばれた男は、ソファの背もたれに両腕を伸ばして乗せ、脚を組んだ。
「キミはコンクラムの成功の、さらにその先を見ている。大きな成功ひとつにぶらさがる者も珍しくないのに、そのひたむきさは、感服だよ」
「ありがとうございます。以前も話しましたが、僕の目的は、灰呪雲を消し去ることです。転移装置もコンクラムも、その道筋のチェックポイントに過ぎません」
「確か、光の連邦へと続く『扉』のバリアを破壊するためには、この仮想空間の完成が不可欠だったのだったかな?」
「はい。あのバリアは、精霊の力か、人間の持つ黒感情を由来とした特殊なエネルギーでなければ、壊すことができません。人間の黒感情を意図的に増幅させ、兵器へと転用するためには、まず、人間の複雑な感情そのものを何らかの形でデータ化し、具現化させるための、仮想の空間を作り出す必要があったのです」
「……その研究の副産物として発想され、作り上げられたのが、仮想空間コンクラム」
「ええ」
「実に大胆不敵な発想だ。……そして、その仮想空間という概念を現実世界で安定して構築し、さらに人間の持つ微弱な生体エネルギーを外部の装置に応用するためには、転移装置の完成が必要不可欠なピースだった、というわけだ」
「おっしゃる通りです。そのふたつの重要なピースが、ようやく揃いました。……これより私は、人間の黒感情を他の物体へと移し替え、精霊をも凌駕する力を持つ兵器へと変える、新たな研究を開始します」
「……ほう。それはまた、私好みの研究だ……! 胸が疼くねえ、イヒヒ……。ところで、その新たな兵器の名前は考えているのかね?」
「いえ」
ジンの否定には、自嘲の色があった。
「昔から、名前を考えるのが苦手なんです。ヘヴンという社名も、妹と会話した中で登場したワードを、取り入れたくらいです」
「どんな会話だったか気になるねえ、イッヒッヒ」
ジンは何も言わなかった。このときの彼は、どんな顔をしていたのだろうか。
ジンの心中など察する気は無いのだろう、ルフィトヴェルツェは、パチンと指を鳴らし、脚を組み替えた。
「『スレイヴ』、なんてのはどうだ?」
「それは……奴隷という意味ですか」
「いかにも。人間が物を使役するのだ。悪くないだろう?」
「少々悪趣味ではありますが……」
「これは一般人に売る物ではない。精霊の世界へ行くためのものだ。ワタクシ好みの命名の方が、下手に綺麗な名前より味があると言うものだよォ、ジン君」
ため息が聞こえた。
「そういうものですか……。しかし、他ならぬあなたの意見を、無視はできませんね。他にアイデアもありませんし、それをプロトネームにします」




