第十七話「寒期の終わりを告げるそよ風」-6-
「そんな……!」
ヒナが短い悲鳴を上げる。
リアハイリンたち三人も、そのおぞましい真実に言葉を失っていた。
青空を奪う。
白感情エネルギーを奪う。
それは、精霊という種族の根幹を揺るがす、身勝手で残酷な罪だった。
アスラは、絶望に染まる彼らの動揺など意に介さず、淡々と事実を突きつける。
「これは推測ではありません。あなたの邦で、灰呪雲の制御装置を見つけたのですから。嘘だと思うなら、私と一緒に光の連邦へ戻って確認してみますか?」
挑発するように、三人と一匹を見回す。
「もっとも、制御装置には強固な結界が張られていて近づけませんでした。無の邦へ渡る扉と同じように、破るにはすべてのデシリル・ジェムの力が必要となるそうです。小癪なものです。贋作のジェムでは、まるで歯が立ちませんでした」
アスラは両手を上げ、やれやれと吐き捨てた。
「嘘ニャ……。ぼくら精霊が、そんな陰惨なことするはずないニャ!」
ヒナが叫ぶ。
信じたくない。そんなはずがない。
その悲痛な叫びが、リアハイリンの胸を締め付けた。
「……そうですか?」
アスラは、冷ややかにヒナを見下ろす。
「その『陰惨なこと』を今のあなた方がせずに済んでいるのは、結局のところ、私たち人間から一方的にエネルギーを搾取し、その恩恵で平和ボケしているからに過ぎないのでしょう?」
「……っ!」
「もし、何もせずとも流れ込んでくるその都合の良いエネルギーが、ある日突然消え去ったとしたら……。そのとき、あなた方の心はどうなるでしょうか? 再び黒く汚く染まり……かつてのように、私たちの空を奪うような卑劣な行いを、絶対にしないと言い切れますか?」
鋭利な刃のような言葉が、ヒナの最も弱い部分を容赦なく抉る。
リアハイリンは歴史の授業を思い出していた。過去の人間たちが繰り返してきた、非道な戦争の歴史。それを聞くたびに、「どうしてこんなことができるのか」と疑問に思ったが、当時の彼らにとって、それは正義や生存競争だったのだ。
もし環境が違えば。自分もまた、悪魔になっていたかもしれない。
ヒナは今、その恐ろしい命題を突きつけられているのだ。
「精霊と和解をして灰呪雲を消すということは、精霊が再び昔の残忍で身勝手な『偽りの神』に戻ってしまうリスクを残すということです」
アスラが一歩、前に出た。
「あなたは、そうなりたいのですか? 絶対にそうならないと誓えるのですか? そして、また同じ歴史を繰り返さないと言い切れるのですか!?」
その問いかけは、ふわふわした理想論では打ち返せないほど重く、厳しい。
ヘヴンは——アスラは、その未来の悲劇を未然に防ごうとしているのだ。和解という甘い選択肢を捨て、精霊が二度と人間に牙を剥けないよう、徹底的に支配するために。
「王子。あなたのご意見をお聞かせください。未来を背負う者として、あなたはどうすべきだとお思いですか?」
「……ぼくは」
ヒナは、言葉に詰まった。
震える小さな身体が、過去の亡霊に押し潰されそうになる。
脳裏に蘇るのは、森の中でカスパールから突きつけられた冷酷な事実。
自分がデシリル・ジェムを持ち出したせいで、何十万もの同胞が八年間も苦しめられ続けた。
そして、自分は戦う力を持たないばかりか、何の罪もない瑞季たちを理不尽な争いに巻き込んでいる。
——改めて問う。王子。貴台が王子としてすべきことは、ただの一般人である彼女たちを戦わせることか? それこそ、かつての貴台の祖先のような、人間を身勝手に使役する卑劣な行為ではないか?
カスパールの言葉が、呪いのように耳元でリフレインした。
ヒナは力なく俯き、絞り出すように口を開く。
「確かにぼくは、瑞季たちを身勝手に使役しているニャ。考えれば考えるほど、過去の精霊とぼくの本質が同じだと感じるニャ。きっと、アスラの言うことは間違ってない。そう、確信してしまうニャ。だから、アスラが言うように、和解など諦め、永遠に支配されることでしか償えない気がしてならないニャ。ぼくら精霊には、幸福な未来を望む資格などないニャ」
アスラの口元が緩む。
「でしょう?」
ヒナは、背後を振り返った。
そこには、泥だらけになりながらも、けっして自分を見捨てず、共に戦ってくれる三人の少女の姿があった。
今朝、自分の弱さを抱きしめてくれた瑞季の温もりが、小さな胸の奥で確かにもう一度、熱を帯びる。
ヒナはアスラに向き直り、きっぱりと言い放った。
「——でも。それは、ぼくが瑞季たちと出会っていなかったらの話だニャ」
アスラの眉間に皺が寄る。
「……ぼくは」
ヒナは、しっかりと顔を上げた。
その瞳から、絶望の影が消えていた。
代わりに宿っていたのは、確かな決意の光。
「ぼくは、空の邦の王子だニャ。そして……今生きている精霊の中で唯一、デシリアと一緒に戦った経験を持つ精霊だニャ……!」
ヒナの声が、徐々に熱を帯びていく。
「瑞季たちは、傷つき、悩みながらも……ぼくのことを、自分のことのように護ろうとしてくれた! だから、ぼくは決めたニャ! 王子として、精霊を見捨てるわけにはいかない!」
「では、私たちを見捨てるのですか」
「人間も見捨てないニャ!」
ヒナは三人の前に飛び出し、ちっぽけな胸を張って宣言した。
「ぼくは和平を目指す! 灰呪雲を消し去り、人間と精霊が互いを理解し、手を取り合い、一緒に笑い合える……そんな新しい世界を、必ず作ってみせるニャ! それが、ぼくがこの時代に王子として生まれた意味だニャ!!」
それは、どうしようもないほどの理想論。
だが、その言葉には、けっして折れない王族としての誇りが満ちていた。
「みんなが幸せになることで、世界に綺麗な白い感情をたくさん生み出して……そうやって、卑劣な雲なんかなくても、ぼくら精霊が、誰かを傷つけることなく生きていけるよう、導いてみせるニャ! それは、ぼくひとりだけの力じゃできないかもしれない……。でも! 瑞季や優菜、星輝がいれば……! そしてアスラ! おぬしが一緒なら! 絶対にできるはずだニャ!!」
必死の訴え。
しかし、アスラはそれを一蹴した。
「ふざけないでください」
その瞳には、綺麗事ではどうにもならない現実の重みがあった。そして、その重みを知らない瑞季たちへの怒りが、浮かんでいた。
「そんな綺麗事……私を倒してから言ってください!」
アスラが再び空の黒槍を構える。リアマイムも、リアスピサも戦闘態勢に入った。
しかし。
リアハイリンだけは構えをとらず、静かに前へ歩み出た。
そして、ヒナの隣に立つ。
「ヒナ。かっこよかったよ。初めて王子様に見えた」
「一言余計だニャ」
リアハイリンはクスリと笑い、そして真剣な眼差しになった。
「私は、ヒナの理想論に付き合うよ」
これまで、彼女には明確な目標がなく、漠然と「侵略者からヒナを護らないといけない」「ヒーローとして信念を曲げたくない」と思って戦ってきた。
だが今、この瞬間。
彼女は初めて、本当の戦う理由を見出したのだ。
「あなたの言うとおり、精霊と人間が手を取り合っていけば、必ず明るい未来が築けると私も信じている。あなたが目指す未来作り……私に手伝わせて」
「瑞季……」
ヒナに向かって微笑むと、リアハイリンは背後を振り返った。
後ろで構えるふたりの仲間へ、素直な気持ちを伝える。
「ここは、私に任せてくれないかな」
「えっ?」
「アスラちゃんが色々なものを背負って、ずっとひとりで戦ってきたのはよく分かった。……だから、私もひとりで向き合わないといけない。そう思ったの」
彼女は、まっすぐに仲間たちを見据える。
「いいかな?」
リアスピサは少し不満そうに眉を寄せたが、やがて、ふっと息を吐いて構えを解いた。
「……仕方ないな。ハイリンがそう言うなら」
「そうだね」
リアマイムも静かに頷き、一歩下がる。
「わたしたちの気持ちも……瑞季なら、ちゃんと伝えてあげられると思うから」
「ふたりとも、ありがとう」
仲間に背中を預け、リアハイリンは再びアスラへと向き直った。
「……私は、よほど低く見られているようですね」
アスラは侮辱されたかのように、微かに眉をひそめる。
「いいでしょう。……かかってきなさい、リアハイリン」
「行くよ、アスラちゃん!」
リアハイリンは両拳を握りしめ、大地を蹴った。
すべての精霊の未来と、仲間たちの想いを背負い、彼女は一陣の風となって駆ける。
「あなたの苦しみごと、全部ぶつけて!」




