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黎明のデシリア  作者: 中條利昭
第十六話「泥に塗れた身体を雨で流して」

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第十六話「泥に塗れた身体を雨で流して」-5-

 意識が、ゆっくりと浮上してくる。

 重たい瞼を開けると、見覚えのあるカフェの天井がぼんやりと視界に入った。窓の外では雨が降っており、さっきよりもずっと暗く見えた。

「……あれ? 寝てた……?」

 そのとき、ポケットに入れていたスマートフォンがバイブレーションを発していることに気がついた。どうやらこの振動で目覚めたらしい。

 画面には『月音優菜』の文字。通話ボタンを押す。

〈瑞季! 大丈夫!? 何かされてない!?〉

 電話口から聞こえてきたのは、切羽詰まった声だった。

「ゆ、優菜……? ど、どうしたの、そんなに慌てて。私は大丈夫だよ。学校近くのカフェにいる。ちょっと……うたた寝しちゃってたみたいだけど……。特に何も」

 言いながら、瑞季は周囲を見回した。そして、ハッとする。

「あれ? アスラちゃんは」

 ついさっきまで、アスラがそこに座っていたはずだ。テーブルの上には、色鮮やかなフルーツジュースのグラスが置かれたままになっている。

 グラスの横には、畳まれたコピー用紙がコースターの上にちょこんと置かれていた。

「?」

 訝しみながらそのメモを手に取る。

 そこには、印刷された字で、こう書かれていた。

『お会計は済ませておきました。瑞季さん、今まで、本当にありがとうございました』

「なに、これ」

 別れの挨拶のような文面。

 瑞季の胸に、嫌な予感が急速に広がっていく。

〈今、学校近くの喫茶店にいるんだよね!? すぐ行くから、そこで待ってて!〉

 電話の向こうで、優菜が何かを確信したような声を上げる。

〈ヒナ? どうしたの? ……えっ、スレイヴが!? どこに!?〉

 優菜の声に、ヒナの声が混じり始めるのが聞こえた。そういえば、今日ヒナは優菜の元にいるのだと思い出す。

 急速に、瑞季の意識がはっきりとした輪郭を帯びてきた。

「スレイヴが現れたの?」

〈瑞季! 大変ニャ! 駅前のロータリーの方に、スレイヴが現れたニャ!〉

 瑞季の脳裏に、先日の敗北のことがよぎる。ブラフザールの圧倒的なパワーに負けたこと。続いてカスパールにあっという間に銃口を突きつけられてしまったこと。

 あのときの恐怖が背筋を伝う。

 それでも。

「ヒナたちは今どこ」

 立ち向かわなければならない。

〈駅の方面ニャ〉

「分かった! それなら、こっちからそっちに行くべきだね。すぐ向かう!」

 電話を切るや否や、反射的にバッグを肩にかけ、テーブルに置かれたアスラの置き手紙をバッグにしまい込んだ。カフェの椅子を蹴るようにして立ち上がり、周囲の客の怪訝な視線も気にせず、扉を押し開けて雨降る街へと飛び出し、入り口の傘立てから自分の傘を取って広げ、走り出した。

 アスラの不可解な行動、優菜の切羽詰まった声、そしてスレイヴの出現……。

 頭の中は疑問と焦りでいっぱいだったが、今は考えるよりも先に体を動かすしかない。目指すは、駅前のロータリー。カフェからは、全力で走っても五分はかかる距離だ。

 歩道を行き交う人々を縫うようにして、アスファルトを力強く蹴った。肺が酸素を求め、ぜえぜえと息が上がり始める。心臓が早鐘のように打ち、脇腹が鈍く痛み始めた。だが、足を止めるわけにはいかない。

 現場に着いて、デシリアに変身すれば、この息切れだって、すぐに楽になるはず——。

 駅に近づくにつれて、街の様子が徐々に不穏なものへと変わっていくのが分かった。前方から、悲鳴を上げて逆走してくる人々。けたたましく鳴り響くクラクション。遠くで何かが破壊されるような轟音が、断続的に聞こえてくる。尋常ではない事態が起きているのは明らかだった。

 息も絶え絶えになりながら、ようやく駅前のロータリーが見える角までたどり着いた瑞季は、その光景に息を呑んだ。

 ロータリーの中心部は、まるで竜巻でも通過したかのように荒れ果て、ひしゃげたバス停の標識や、砕け散ったショーウィンドウのガラスが散乱している。逃げ遅れた人々が、物陰に隠れて怯えている姿も見えた。

 その惨状の中心で、既に激しい戦闘が繰り広げられていた。

 リアマイムが放つ水流が、巨大な影の攻撃を受け止め、弾き返す。

 リアスピサが、目にも止まらぬ速さで影の周囲を駆け巡り、連続で炎弾を叩き込んでいる。

 彼女たちが対峙しているのは、禍々しいオーラを放つ巨大なスレイヴ。全体的に紫がかった黒一色の、影のような姿。身長は三階建ての住宅ほどもあり、見上げるだけで威圧される。そのシルエットは、警察官の制服に酷似していた。

 そして、その巨大なスレイヴの傍らのバス停の屋根の上には、冷徹な表情で戦況を見つめる少女の姿があった。左側が黒、右側が紫がかった銀色の、印象的なツートンカラーの髪。

「ナーサ……!」

 息を整える間もなく、すぐさま変身しようとバッグの中に手を入れた。

 デシリル・ジェムとデシリル・アンプを取り出そうと——。

「……あれ?」

 しかし、指先に触れるはずの、硬質な感触がない。バッグの内ポケットにあるはずの、ふたつの小さなアイテムが、どこにも見当たらないのだ。

「ない……!? なんで!?」

 冷や汗が背中を伝う。

 まさか落とした? いや、そんなはずは……。家を出る前、確かにバッグに入れたはずだし——。

「ねえ、ヒナ。知らな——」

 いつものように語りかけようとして、気づく。

 今日はヒナと一緒じゃないのだ。

「瑞季!」

 幼い声に顔を上げる。雨に濡れて毛並みが暗くなったヒナがいた。

「来てくれたのかニャ! とにかく、今は戦うしか——」

「デシリル・ジェムやアンプがないの!」

「……ニャ? どういうことニャ。朝は確かにあったはずだニャ」

 朝はたしかにあった。

 つまり、家に置いてきたわけじゃない。

「失くしたのかニャ……?」

「分からない……でも、取り出した覚えはないよ」

「あれは国宝だニャ! そんな大事なものを失くすなんて何を考えてるんだニャ!」

 ヒナの言葉には、ざらざらとした怒気が混ざっていた。

 瑞季は必死に首を横に振る。

「違う! 取り出した覚えはないんだって!」

「じゃあなんだって言うんだニャ!」

「分からないんだって!」

「——瑞季!」

 彼女の目の前にリアマイムが降り立った。その声には、安堵と、すぐに援護を期待する響きがあったが、瑞季の表情を見て、彼女の表情が凍りついた。

「……そういうことね」

「優菜……?」

 リアマイムは怒りを奥歯を噛み締めるように、一度強く目を閉じた。そして、再び目を開けると、その瞳には決然とした光が宿っていた。

「星輝! ふたりで、なんとかするよ!」

「……お、おう!」

 リアスピサも一瞬驚いたような表情を見せたが、力強く頷いた。

「瑞季」

 リアマイムは呆然と立ち尽くす瑞季に向き直り、その肩に手を置いた。

「大丈夫。瑞季は悪くないから。……今はわたしたちに任せて。ヒナは、瑞季を慰めてあげて」

 その言葉には、有無を言わせぬ覚悟が込められていた。

 瑞季は、ただ唇を噛みしめ、強く頷くことしかできなかった。

「行くよ、スピサ!」

「ああ!」

 リアマイムとリアスピサは、再びナーサと巨大な警察官スレイヴへと向き直り、果敢に立ち向かっていく。


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